目次


合唱団設立の趣旨

 ベートーベンの「第九」の日本初演は、徳島県鳴門市(当時の行政区分では板東町)にて、第1次世界大戦中の1918年(大正7年)6月1日、ドイツ人捕虜のヘルマン・ハンゼン(Hermann R. Hansen、1886~1927)の指揮によるものといわれています。
 大正区(当時の行政区分では西区)には、そのハンゼンが当初収容されていた大阪俘虜収容所がありました。
 こうした歴史を踏まえ、大正区とドイツとの友好を深めるため、2006年6月に「大正区第九合唱団」が結成されました。
 大正区ではこのほか、2005年に「大正ドイツ友好の会」が発足しており、2006年には平尾亥開公園に大阪俘虜収容所史跡碑を建立しています。

指導の先生方

定期演奏会指揮
高谷光信先生
合唱指導
西本ひろみ先生、角地直子先生、野上貴子先生
ピアノ伴奏
西浦陽子先生、岡林純香先生
総合プロデュース
西本ひろみ先生

団長からのメッセージ「大正フロイデ合唱団の歴史」


 さて、私も参加した「大正区の歴史の掘り起こし」の中で、第一次世界大戦の時に、ドイツ兵の捕虜収容所が区内にあった(1914年11月~1917年2月)ことが分かり、それを記念して、平尾の亥開(いびらき)公園内に顕彰碑を建てたことを、昨日のように想い出します。
 平成18年2月の寒い日でしたが、ドイツ総領事館の代表にもご出席を頂き、「故郷をはなるる歌」の曲も歌われました。その後、大正区に収容されていたドイツ兵捕虜の指揮によって、日本で最初の「第九」が徳島の鳴門で演奏されたことや、大正橋の欄干の「第九」モニュメントに因んで、わが区でも「第九」を歌ってみては、との声があがり、同年6月に、200名もの参加者を得て合唱団が発足しました。
 私はその際、皆さんの推挙を得、団長に就任いたしましたが、それからが大変で、なれないドイツ語や、音程の上げ下げに苦闘の連続でした。そして臨んだ平成19年2月の、第1回演奏会は生まれて初めのオーケストラとの共演で、緊張しました。しかし、終わった後には「ブラボー」の掛け声と万雷の拍手の渦で、本当に感激しました。
 その後、回を重ねるごとに自信もでき、昨年末の日本武道館での合唱にも、多数の方とともに参加いたしました。また、この間合唱団として、唐招提寺落慶法要や上海万博への出演など、場数と曲目の多さには目を見張るものがあります。
 今後とも団員みんなで力を合わせて、合唱活動を盛り立てていきたいと考えております。

2011年1月  大正フロイデ 団長  西風 勝

大正区長からのメッセージ「『大正フロイデ』は大正区の宝物です!」


 平成18年の合唱団発足以来、団員のみなさんが力を合わせて練習に励まれ、合唱を通じて大正区のあたたかいまちづくりに多大なご貢献を賜っていますことに、心より敬意と感謝を申しあげます。
 日本の古き良き人情・情緒が色濃く残るこの大正のまちで、日頃耳にすることもないドイツ語の歌詞や複雑な音階に挑戦し、平成19年に第1回演奏会を成功させただけでも驚くべき快挙です。
 その後「大正フロイデ」はその活躍の場を大正区を越えて唐招提寺や日本武道館、そしてとうとう昨年には上海まで大きく拡げてこられました。
 これらの数々の成功を契機に大正区では他にも多くの音楽関連イベントが開催されるようになり、今や大正区は「音楽のまち大正」という新しい輝きを放つようになりました。
 本当に「大正フロイデ」は大正区の貴重な財産です。

2011年1月  大正区長  筋原 章博

合唱団規約






最終更新:2011年10月09日 21:57