日常の動きの中のビート2


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2003.1.22
改訂 2006.5.3

前置きが長いとほんとイライラしますね。ごめんなさい。ここからが本論です。

日常の動きを考えることの意味

さて一般に、日本人はリズム感が悪いとか、タメが苦手で軽いとか、「ウラ」が分からないからグルーブがないとか言いますが(もう言わない?)、そんなのぜーんぶウソ。そんなことは知ったかぶりの戯言だと思って忘れて下さい。人間の身体はビートでしか動かないようになっているのです(でも確かに上手下手はあって、「息が合う」こともあれば「間が悪い」人もいるわけですが)。それをどれだけ大事にしているかが音楽にもそのまま現れてしまうのです。だからその辺をまずは押さえておこうというのが一つ。


日常の動きの中のビートを改めて考えることのもう一つの意味は、我々にとって自然な動きに逆らわずビートを出せればそれが最も安定しているはずだし、日常的にビートを出しているのなら、意識してやる場合もそれと全くかけ離れた方法ではあり得ないはずだということです。言い換えれば、人間の身体(ここでは精神と肉体を分けて考えないで下さい)は動くようにしか動かないし、実際、動くようにしか動かしてない/動いてないだろうからそれを再確認しようということです。



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