風の無い夕暮れ。
沈みかけた太陽の光が、目の前の海や波止場、遠くの港へも反射して、輝いている。

ゆっくりと、波のうねりに傾ぐ、波止場に繋留されたヨットのマスト。
近く、遠く、何羽も何十羽も飛び交うカモメたち。
……
すべてが黄金に変わり、遠い空の橙色と藍色の下、
全てが暖かくやさしげな、この空間。


『マスター…! とっても、すっごく綺麗ーっ!!!』

先に走っていって、桟橋の突端まで行き着いた蒼星石が… こちらをふり返り、
大きく手を振って叫んでくる。


防波堤のコンクリートの海岸を降りきって、桟橋の敷石へと降り立つと、
夕陽と、蒼星石と、俺とが… 同軸線上に重なった。

燦然とした逆光に包まれて、いつもより小さく見える、蒼星石のシルエット。

俺は、少し不安に駆られ、
歩みを速めて、蒼星石の元に近寄り、そのまま抱きしめる… 強く、がっちりと。

蒼星石が、俺のところに現れて、契約を交わして… もう三ヶ月。
昨夜、俺たちは、ようやく結ばれた。


お互いに、「初めて」 だった。

体験したことがない肉の交わりに、思わず焦って不器用に動く、俺。
痛みを堪えて、俺を包み込んでくれる、蒼星石。

ぐいぐいと激しく抱きしめて、奥に突き進めたまま、激しく射精を繰り返した。
泣きじゃくり、俺の胸にキスを繰り返す、蒼星石。


『マスターが気持ちいいなら、それで、幸せです…。』

そんな事を言われて、「幸せ」 で居られるはずが無かった。

俺自身の快楽など考えず、とにかく、
ただ蒼星石に喜んで貰えるように、愛撫を繰り返した。

激しい痙攣と、恍惚の表情と涙を浮かべ、蒼星石はとうとう絶頂を迎えた。

『ありがとう… ありがとうございますっ、マスター…!』

俺も、二度目の射精に打ち震えながら、精一杯に蒼星石を抱きしめた…
そんな昨夜の余韻に浸りつつ、愛おしさに腕の力が止まらない、俺。

『マスターっ… 、も、もぉっ、 ちょっと痛い、ですよ…っ 』

そう言いながら、蒼星石は甘えたように俺の背中に腕を回す。
ギュッと、狂おしいほど身体を寄せて、お互いのぬくもりを確かめ合って。

ふわふわと、甘い香りの髪に顔をうずめて、深呼吸して。
撫でさすりながら、立ち上ってくる蒼星石の甘い吐息に酔いしれて、
……
顔をずらし、蒼星石のおでこや頬にキスを繰り返しながら、その口元をトレースして、
唇を捉え、強く吸う。

『ん… む ま、ますたぁ…っ 』
……
口づけの合間に、蒼星石の喘ぎ。
顔全体を真っ赤に染めて、甘えるような目元、可愛らしく震える鼻腔、切なそうな表情、
全てが… 俺の腕の中。


でも…
いつまで、俺は、この子と一緒に居られるのだろう。

いや。 考えては、いけない。

考え始めれば… 蒼星石にも、不幸を与えてしまうはずなのだから。
『マスター…、どうしたの? すっごく哀しそう… 』

いつのまにか、蒼星石が、俺の顔を見上げていた。

『ボク… 何か、悪いことしちゃった? あ、あの…っ』


思わず、抱きしめていた腕の力を抜いてしまう。

「するっ」 と身体を離し、俺の顔を正面から見つめる蒼星石。


『マスター。』

『……』

『ボクっ… あのっ、…やっぱり、迷惑だった、かな… 』

『え…?』

『… だ、「抱いて欲しい」 ってお願いしたの、ダメ、だったの…?』

真剣に、憂いの顔で俺を凝視する。
また、あの思い詰めたような、壊れそうな表情で。

『ボク… 以前のままで居た方が、良かった…?』
『違う。 …とっても嬉しかったよ、ひとつになれて。』

『ほ、本当にっ…?』

『ああ。 今までの人生で、こんな素晴らしいこと無かったくらいに、素敵だった。』

『…。』


風が出てきた。
暖かな空気が、蒼星石の柔らかい髪を少し揺らして、遠くへと過ぎ去ってゆく。
……
嬉しそうな、でも不安そうな表情の蒼星石。
「泣き笑い」の、ひとつ手前に留まってるような、寂しそうな顔。


俺は、思わず、言葉を続けてしまう。

『だから…
 おまえが最高だからこそ、怖いんだ。』

『… えっ…?』

『また、あの「アリスゲーム」って始まってしまったら… って。
 ……
 そのときは… 俺たち、お別れなんだろ?』
遠く、鳴き叫びつつ飛び交うカモメ。
夕陽は、遥か遠い山並みへと没しかけて、その輪郭を歪ませ始めている。


『俺は、蒼星石が本当に、本当に大好きだ。
 だから、邪魔はしたくない。
 アリスを目指すのなら本気で頑張って欲しいし、出来る限り応援したい。
 でも…
 離ればなれになってしまうのは、とても苦しい。 胸が痛くなる。』

『… マスター… 』

『俺は…
 こんなに好きになってしまった蒼星石が、居なくなって、二度と戻らなくなったとき、
 「いい思い出」とかに割り切ってしまうこと、絶対にできない。』

『……』

『だから… いや、
 いま、こんな事を考えちゃいけない。 
 精一杯に一緒の時間を楽しんで、出来る限り蒼星石を愛したい。
 でも…
 …
 だから。』

…その瞬間、蒼星石が、「ふっ」と近寄って… 抱きついてきた。
『もうっ… マスターってば、いっつも表情変えないまんまだから、
 哀しい顔見て、心配しちゃった… 』

泣いている、蒼星石。
うなじも肩も震わせて、しゃくりあげて… 俺の胸元に顔を埋めて、ぶるぶると。

……
どうして、このコ相手だと… 俺は、こんなにも狂おしくなるのだろう。
……
今までだって、それほど 「女の子との経験」 無かったわけでも無かった、のに。
……
もっと、ココロの動揺を抑えて、冷静に居られてもよいはず… なのに。


風に、蒼星石の甘い香りが、舞う。


言葉をかけようとした瞬間… くぐもった声。

『ボク、もう、アリスゲームには参加しません。
 いえ、…参加できないんです。』

『え…?』

『……
 もう、「メイデン」じゃ無くなったから…。』
俺は、全身の力が抜けて、ガクガク震え始めるのを感じていた。
……
そんな!
俺は、自分の欲望に負けて、この子の未来をぜんぶ閉ざしてしまった… のか!?

……
一緒に過ごしていくうちに、
だんだんと触れ合いが増してきて、親密に、かけがえの無い存在へと変わり、
もう堪えきれないほどに愛情が高まって…
でも、
それは蒼星石の方でも同じで、
……
泣いて、必死に懇願されて、
「確かに、俺も抱きたかったけど!」 …誘いを断れずに、抱いて、
……
あまりに素晴らし過ぎて、ずっと身体を重ねたまま、夜明けを迎えて…


と。

蒼星石が、少し怯えたように身体を震わせながら、小さく叫んだ。

『マスターが悪い事なんて、ありませんっ…!
 ……
 ボク、もう 「アリスゲーム」 に参加したく無くなったんです。
 だ、だからっ、…マスターに抱かれたかったっ! 本気で愛されたかったんです!!』
『ボクは、確かに、「おとうさま」 が愛おしいです…
 絶対に会いたい。
 死ぬまで、ほんの少しで構わないから、会えてお話したいです。』

嗚咽の合間に、気丈に言葉を紡いでいく蒼星石。
……
とても、暖かい。

『でも…
 ……
 マスターと、別れ別れにならなければ会えない、のなら…
 ボク、「おとうさま」 に会えなくても構いません。
 …いえ!
 諦めて 「おとうさま」 のこと、考えないようにします!』

『蒼星石…っ、おまえっ…!』

『だって… ボク、
 マスターと離れなきゃならないなんて… やだ、そ、そんなの…っ 』


泣きながら、身体の力が抜けていく蒼星石。

崩れ落ちないようにと、俺はしっかり抱きしめ直して。

もう、耐えられなくて… その耳元で、メチャクチャな言葉を囁いて。

『バカやろうがっ…! ちくしょおっ、オマエは、本当にバカだっ!!!』

『… えっ… 』

『こんなバカ、放っておけるかよ…っ、 いいからよっ!』

『… あ、あのっ、マスター…?』

夕陽の最後の残照。
照り輝く雲の光に、蒼星石の少し怯えたような顔が、白く儚げに浮き立って見えて。


遠いな。
どこまで来たんだろ、俺。
……
でも、俺の前に今、この子はしっかりと存在してくれていて。


『… 「オレのアリス」 に、なってくれよ… 頼むから。』

『ま… す た…!!! 』

蒼星石は、泣くのが止まらず、まともな声も出ない。
身体をすべて俺に預けたまま… しゃくりあげて、涙を零し続けている。

俺は、ときおり蒼星石の涙を唇で吸い取りながら、やさしくその髪を撫で続けた。
どれだけ時間が経ったのだろう。

気が付けば… なぜか、「世界」が止まっていて。


夕陽は、遠くの山並みに落ちかかったまま、その姿を変えず。

海は、まるで凝固材で固められたかのように、まるで動こうともしない。

そして…
カモメは、その白い翼を大きく広げたまま、あちこちの虚空に静止して。


無音の静寂の中、生きて、動いているのは… 蒼星石と、俺だけ。


蒼星石も、俺の気配に気付いて、振り返り… 「世界」を見て、身を震わせた。

『マスタ…っ! こ、これはっ?』

『ああ…。 なんだろう、これ。』


蒼星石と抱き合ったまま周囲を見渡した、そのとき…

俺たちは… 俺たち以外に、この止まった世界の中で動いてる存在に、気がついた。

その男は… 止まったままの夕陽の光を受けつつ、
静かに、防波堤の階段を降りて、桟橋の上を歩んできた。
……
金色の長髪が、動かない空気の中で、微かに、なびく。

長身の、ゲルマン系の血筋を思わせる「ゆったり」だが規律の整った歩み方。
美しい顔… 尖った頬骨と鼻筋、無駄の無い輪郭。

まだ20代前半… のように見えて、
もう既に老境に達したかのような、その表情の深みと… 遠い、まなざし。


男は… 俺たちに近づいてきて、3メートルばかり離れたところで止まり、会釈した。

突然、蒼星石が震えだした。

『… お、おとうさま? おとうさまっ!?』

僅かに微笑み、蒼星石を見やる、その男。

浮かべる表情には、長らく待ち望んでいたものをようやく手にしたような安堵感と、
同時に全てを喪ってしまったかのような虚無感が、一緒に、ないまぜに。

『お、おとうさまあああああーっ!!!』

蒼星石は、俺から離れて、その男に走り寄り… 抱きついていた。
蒼星石は、男に抱きついたまま、ずっと手放しに泣きじゃくっていた。
男は、無言のまま… 蒼星石を抱きしめて、その肩や髪を撫でさすっている。

やがて… ようやく蒼星石が泣き止むと、
男は、その身体を離して、静かに語りかけた。

『おめでとう、蒼星石。
 君は、本当の 「アリス」 になれたんだ… 他の姉妹たちの誰よりも早く、ね。』

『… おとうさま…? ぼ、ボクが、「アリス」 に?』

『そうだよ? 私は、とても嬉しい… とても寂しくもあるけど、ね…。』


男は… 俺に微笑みかけると、視線をまた蒼星石へと戻した。


『誰か、君を、本当に心の底から愛してくれるはずの人間と出会って、
 その人の、かけがえの無い存在へと自分を昇華させる…
 それこそが、「もうひとつのアリスへの道」 なんだ。』

『そ、それは… 』

『ああ。 真紅は、少し前から、既に気付きかけていたようだけど…
 蒼星石。 君の方が早かったね。 
 良いマスターに出会えて、本当に良かったね…。』

男は、静かに蒼星石の肩を両手で掴み、身体を離すと、
その胸元へと掌を当てた。

『もう… 君には、ローザミスティカは要らない。
 だから、替わりに、これを。』

蒼星石の胸元から、とつぜん薄桃色に輝く結晶が湧き出て、男の掌の中に収まり、消えた。
次の瞬間… 
男の掌から、虹のような美しい輝きをもった結晶が現れて、
蒼星石の中に溶け込み、消えていった。

『おとうさまっ… こ、これは?』

『ははっ、名前はつけて無いんだけどね…
 友達のアンドレーエやパレは、「賢者の石」 などと呼んでいる。
 とにかく、これは、
 君を 「人形」 から 「人間」 へと転生させるための、ひとつの 「おまじない」 だ。』

男は、俺を再び見やって、微笑んだ。

『どうか、この娘を、よろしく。
 あなたのおかげで… 私は、ひとつの理想を手掛けて、完成させることが出来ました。
 ありがとう。』


男はそう言って、踵を返し、歩み始めた。

『待ってください、蒼星石のお父さんっ…!』

男は、足を止めて、振り返った。

俺は、蒼星石の元に歩み寄って、やさしく抱きしめながら… 言葉を続けた。

『俺… あんまし、何の取り得も特技も無いけれど、
 けっこう、料理とか頑張ってて、気合入れて作ったりしてるんです。
 蒼星石も、料理が上手だから、いつも一緒に作って楽しんでます。
 ……
 ときどき、何人も仲間とか呼んで、二人の料理を楽しんで貰ったりしています。』

男…蒼星石の 「おとうさま」 は、ニッコリと微笑んだ。

『あなたが、もし… 噂どおりに 「サン・ジェルマン伯爵」 なのでしたら、
 料理とか、あんまり興味無いかも知れませんけど、
 いつか、
 蒼星石と俺の、一所懸命に頑張った料理、食べに来てください。
 俺、ぜひ、お礼がしたいので…!』


男は、やさしい微笑みのまま… 光に包まれて、消えていった。

最後に、微かに、だがハッキリと聞こえた。

『ありがとう。』

男が消えた瞬間、時は動き出した。

カモメは飛び交い、鳴き叫び、
夕陽は沈んでいき、周囲全体が黄昏の果ての蒼い影に包まれて。

男… 彼、蒼星石の生みの親は、
やはり 「時空の狭間に生きる人」 あの伯爵のこと… だったのか。


その夜、一緒に寝ようとしたときに、蒼星石が驚きの声をあげた。

『ぼ、ボク… 身体が、人間そっくりだよ!』
……
本当に、「つくりもの」 の球体関節や、胴の継ぎ目が、無くなっている。

……
蒼星石は、喜びの涙を流し続けて、
俺は、「人間の身体」 に変わった蒼星石を慈しみながら、ずっと交わり続けた。


あれから数年… まだ、「おとうさま」 は、訪れてはくれない。
でも、「本物の人間」 と同様に、二人の間で子供ができたりしたら、あるいは…
などと、
今夜も、俺と蒼星石は、やさしく暖かく、愛し合い続けている。


 END