2007年4月14日(土) 7:45
 優雅に鼻歌を奏でながら朝食の二人分のサラダにドレッシングをかけ、トーストが焼け
るいい匂いがしてきた所で丁度目覚し時計が鳴り出した。マスターの部屋からだ。予想通
り、目覚しなんかには熟睡したマスターを起こす事なんて不可能だった。とりあえず僕は
意味もなく叫び続けるその騒音発生装置を止めに行く。
 ……うわあ。その部屋の惨状に僕は思わず声を漏らす。一言で言えば、汚い。寝相が悪
すぎるのだ。大体枕から九十度も離れるなんて実際ありえるの? っていうか蹴飛ばした
毛布で本棚の本を四、五冊蹴落とすとか実際人としてありえる事なの? ……ありえるん
だね、マスターなら。僕は溜息をつく。

 目覚し時計の息の根を止めてから僕は考え込む。さて、今日はどうやって起こそうか…
…僕は思案を重ねる。白雪姫みたいにキスして起こせたら最高なんだけど、あいにくマス
ターはそんな程度で起きるタマじゃない。かといってこないだネットで見た「辞書を頭上
に落とす」って手もどうかと思う。っていうか、こないだやったんだっけあれ。あの時は
散々マスターに怒られたんだよね……「ギャルゲーの世界と一緒にするな!」だってさ。
でも僕みたいな女の子が居候してくるなんてのも相当ギャルゲーの世界だと思うんだけど
……いけないいけない、そんな事言ってたら僕の存在意義がなくなっちゃうじゃないか。
 変な考えから気をそらすためにマスターから目を離した時、あるものが僕の視界に入っ
た。フライングV。マスターのよく弾いているエレキギターだ。――そうだ、今日はこれ
で行こう。僕は新しい悪戯を思いついた子供のようにくすくすとほくそ笑む。
 んっ……重たいな、やっぱ僕の身長じゃ。それに胸の所にストラップが挟まって妙に窮
屈な感じ。あうう、最初にギターを担ぐんじゃなかった……僕はひとまずギターを床に置
いてからラジカセをセットする。マイクスタンドにマイクを取り付けてから(そういえば
何でマスターの家にはこんなに使いもしない機材が揃ってるんだろう?)、僕は再度フラ
イングVを背負う。――さあライブの始まりだ。

 1、2、3、
 ラジカセからマスターの寝室にギターの音色、というより爆音が響く。マスターが飛び
起きる。僕は気にせず歌い出す。
「アイ フェルラ イィボウ!」
「うわわわっ?!」
 僕の歌声にマスターが飛びのく。歌ってるのはART-SCHOOLのEVILだ。確かボーカルギタ
ーの木下さんは「悪魔を呼び寄せるような唄を作りたかった」って言ってたっけ。条件反
射的に耳を塞ぐマスターを尻目に僕は歌い続ける。
「アイ フェダ イーボウッ!」
「な、なな、何だよ朝から! おい蒼星石!」
 いやあ楽しいね、大声で歌うってのは。マスターは布団をかぶり必死に抵抗するも完全
に覚醒してしまったのは明らかで。どうやら二度寝の心配もないらしい。

「はいになってぇー、ゆかにふるっさあ!」
 と、僕が歌い終わると文字通り灰と化して床に転げ落ちたマスターが抗議の声を上げる。
「蒼星石……お前、起こし方ってのがあるだろ……」「気にすんなって! だって普通に
やったんじゃマスター全然起きないじゃん」「だからって朝っぱらからギター炸裂させる
こたぁないだろ!」マスターが僕を捕まえようとするのを上手くかわしながら僕はキッチ
ンへと向かう。やっと朝食の時間だ。今日は何て言って言い訳しようかな。僕は口元の笑
みを隠しきれないでいた。
 ふと、僕は窓の外を見る。窓の外には公園の木々、部活へと走る生徒、そして太陽――
ああ、これは何て美しい気持ちだ。
 と、その時――急に後ろから抱きしめられた。腕の感触。伝う体温。僕はその腕にそっ
と身を預ける。
「ほらっ、捕まえたぞ! ったく……いつまでも調子に乗ってるとそのうち俺だって――」
 僕は振り向きざまにマスターの唇を自分の唇で塞いだ。くちづけと共にふっと時が止ま
る。触れ合わせた唇から、絡め合ったその腕から、マスターの体温が伝わって僕はその中
に溶けていく。
 どれくらいの間そうしていただろう。僕はしばらくの間見終わった夢のように惚けてい
た。
「おい、朝飯にするぞ……おい蒼星石、聞いてんのか?」
「――え? あ、うん!」
 とっさに僕は反応できなかった。僕は慌ててマスターの後を追う。
「ったく、今回は許してやるが、今度あんな事したら――許さないぞ」
 マスターは僕に目を合わせようともしない。そんなマスターの顔を覗き込むと案の定真
っ赤になっていた。ふふっ、可愛いなあほんと。
「あ。何、人の顔見て笑ってんだよ!」
「なーんでもなぁい。ささっ、朝食にしよっ」
「納得いかねえなあ……」そうぶつくさ言いながらも席につくマスター。
「それとさ、」マスターが急に言った。
「え、何?」
「ああいう事する時は先に言えよな。その……心の準備って奴が」
「わかった、じゃあ今度は『水の中のナイフ』歌うね」
「そっちじゃねえよ! ……キスの話だ!」
 わかってるってば。僕の大好きなマスター。
「と、とりあえず飯が先だ、この事は後で話そう」

 では、いただきます。

マスターのメモ
 EVIL
 ART-SCHOOL 2ndAlbum「LOVE/HATE」より。