前回


  「蒼星石、旅行ももう終わりだね。あっという間だったね。」
  そんな事を言いながら部屋から出てきた。
  ありがたい事にどうやら一人きりのようだ。
  今回の参加者の中で可能性があるのはもはやあいつだけだ。
  残された時間はごく僅かだが出来ればなんとかしておきたい。
  バスに乗り込んでしまえばもうチャンスは無いのだ。
  不思議な事に移動する先はフロントの方ではない。
  とりあえずばれないように後をつける。
  「ごめんねー、バスの中で喉が渇いた時用にジュースを買っておきたいんだ。」
  何が楽しいのか、さっきから満面の笑みでしきりに物言わぬ人形に話しかけている。
  「そうだね、水筒を用意しておけばお茶を入れられて安上がりだったのにね。」
  まるで人形が何か受け答えでもしたかのような口ぶりで話す。
  そんな事をする意味が分からない、と思いつつ見ていたら人形の口の形やら表情やらが変わっている様にも見えた。
  ・・・馬鹿らしい。人形が意思でも持っているというのか?
  じゃあ良心の呵責?くだらない。なんで人形ごときに対して罪の意識を持つ必要があるのだ。
  あれがそういう機能付きのおもちゃでなければ単なる目の錯覚に決まっている。
  「着いた着いた♪もっと便利な場所にあればいいのにね。」
  どうやら自販機コーナーで買い物を済ませるらしい。
  ここはあの『キャサリン』を見るも無残な姿にしてやった場所だ。
  あの時の事を思い出すだけで興奮で胸が高鳴ってきた。
  鼓動の音が聞こえてしまうのではないかという気さえする。
  「・・・あれ?・・・あれ?・・・・・・あれれ?」
  何やらあちこちをまさぐっている。
  「ごめんね、お財布を部屋の金庫に入れっ放しだったみたいなの。いい子だからちょっとだけここで待っててね。」
  拝むポーズを作ってそう言うと人形と手荷物の鞄をそばにあった休憩用のソファに置いた。
  こちらへ引き返してくる前に慌てて身を隠す。
  どうやら気付かれなかったようで廊下を通り過ぎていった。
  ・・・千載一遇のチャンスだ。
  さっきの部屋まで戻ってまたここに来るにはどう早く見積もっても2、3分はかかる。
  その間にあの人形をズタズタにしてやる事くらい余裕だろう。
  今は辺りに人気も無い。急いで自販機コーナーに入る。
  先程見たままの状態で人形はソファに鎮座している。
  これから我が身に降りかかることも分からずに腰掛けている様は滑稽ですらある。
  「まったく可哀想に、あんな持ち主を持ってしまったとはね。」
  隠し持っていた飛び出しナイフを取り出す。
  しかし・・・人形に名前をつけたり話しかけたりする感覚は理解できないが、大切にしているつもりだというのは分かる。
  だがそんな大切な人形を、昨日のちょうど今頃に他人の人形が切り刻まれた場所に放置する神経が理解できない。
  やはりああいう真性の連中の脳内にはお花畑でも広がっているのだろうか?
  まあいい、今はとりあえず迅速に作業を終わらせる事だ。
  そう、持ち主が戻ってくる前に・・・。
  ナイフを構え一歩人形に近づく。
  「そこで何をなさってるんですか?」
  背後からいきなりかけられた声に跳び上がりそうになる。
  この声はどうやら目の前の人形の持ち主らしい。
  「!?あ・・・いや・・・これは・・・」
  馬鹿な、早すぎる!
  「ふふっ、そんなに慌ててどうしたんですか?」
  笑顔のまま尋ねてくる。
  ひょっとしたらまだ気付かれていないのか?
  「いえ・・・ここに人形が置き去りになっているのを偶然見つけまして・・・その、保護しようかと。」
  多少の余裕を取り戻し、しどろもどろになりながらも言い訳をする。
  「へえ、保護するだけにしては随分と物騒なものをお持ちになってますね。」
  言われて自分がナイフを手にしたままなのに気付く。
  「あ、いえ、これは・・・昨日あんな事があった場所で怖くなってしまって・・・。」
  「昨日あんな恐ろしい事件がありましたもんね。そう、ちょうど今頃の時間に、人形が切り刻まれてしまった・・・。
   感心しませんねえ、こんなところでそんな物を持ち出すなんて。まるであなたが犯人みたいですよ?」
  あくまでも穏やかな口調でのんきな風に言っているが、なんとも癇にさわる。
  「それにしても普段からそうやってナイフなんて危険なものを持ち歩いてるんでしょうか?」
  相も変わらぬ柔らかな物腰での追及が続く。
  だんだんとこの女の笑顔の下に隠された魂胆が分かってきた。
  「・・・・・・・・・。」
  「急におし黙ってしまってどうなさったんですか?」
  明らかに警戒の意思を保ったままで距離を詰めてくる。
  部屋の入り口から他の連中もぞろぞろと入って来た。
  この時になってようやく確信が持てた。
  「困りますね、その子まで毒牙にかけられては。なんてったって誰にも渡せない特別な存在なんですからね。」
  これは自分を陥れるために仕組まれた茶番劇だったのだ・・・。