数時間前


「きゃー!」
床に足が着く前に身体が横に吹っ飛ばされた。
背中を床に倒され、
「わわ」
「蒼星石です蒼星石です蒼星石ですぅ!ほんとのほんとに蒼星石ですぅ!」
転がった帽子を案ずる余裕もなく身体をわしゃわしゃと撫ぜられる。
鏡の先、
明かりが余り射してないからぼんやりと見える、
「や、やめて翠星石!逃げないから、ね?」
馬乗りになっている久方振りの姉に訴えた。
けど、
「水臭いです蒼星石。姉からの歓待は黙って受けるのが礼儀ってもんですよ」
翠星石は手を緩めようとはしなかった。
「ひゃん!」
「スキンシップですぅ・・ハァハァ」
あ・・れ?段々妙なとこr


        ▼△


窓を開けると一層風で葉々が擦れる音が強く聞こえてくる。
故にバタバタと風がドレスをはためかす、のを殆ど意に介しない様子で、
「退きなさい」
とだけ私に告げ、水銀燈は家の中へと入ろうとしてきた。
「あ、」
これという適当な返事もせず、私は横に。
空いた空間を通って、彼女は中へと入ってきた。
そしてつられた様に、ざざ、と庭からの風が窓を通じて流れ込み、部屋に乱れが生まれる。
それが部屋を見回している彼女の羽から幾らかの黒羽根を攫い、
くるくると回転を掛けながら一片を私の足元へ運んできた。
私は何気なく指で摘み上げた。
見た目鳥のそれと区別がつけられない黒の羽根は、間違いなくこの前のと同じ物、に思えた。
と、
「!」
不意に、それは一瞬き分もかけず青白く燃え上がり、灰と帰った。だが、
それだけでも私の指を焼くには十分過ぎた。
「あら情けなぁい。ろくに反応もできないなんてぇ」
声を耳に目を水銀燈に戻すと、彼女は手を口にクスクスと私を見て笑っている。
火傷はそこそこ酷いのか顔を逸らしていても皮膚の焦げた臭いが鼻までしっかりと漂ってきた。
「あのね、老人は労わるものだよ」
「だからどうだと言うのかしら。人間一人に気を払うなんて馬鹿げてなぁい?」
まるで老いぼれた私こそがイカれている、というような目で彼女が私を見る。
常に浮かんでいる冷笑、何処と無い悍ましさ。
何時だったか、最後にその姿を見たときから、何一つ彼女は変わっていない様に見えた。
何一つ?
「それで―」
「蒼は、」
指がじんじんと疼き始めた。
「蒼は今此処にはいない。日を改めてもらおうか」
「・・・・ふぅん」
ぱさりと僅かに水銀燈の羽根がはためき、
「別に蒼星石だけが目的じゃないんだけどぉ」
彼女は私の前に着いた。


        △▼


現在


僕はローゼンメイデンの第四ドール、蒼星石・・・
「蒼星石ったら。随分遅かったのね」
「ちょっくら姉妹で文字通り『肌で』触れ合っていたのですよ」
僕はローゼンメイデンの第四ドール、蒼星石・・・
そしてマスターの幸せなお人形さん・・・
僕はローゼンメイデンの第四ドール、
「・・この子を見る限り単なる触れ合いだったとは思えないのだわ」
「いやー、どこもおかしい所はなくて一安心ですぅ!そうですよね蒼星石!」
蒼せっ
「な、何かな翠星石?」
いきなり声を掛けられた。
「ったく、そんな隅にいないで姉の横に来るです!ささ!早く早く!」
言われてすぐ、自分が部屋の隅で膝を抱えているのに気づいた。
「あ、うん」
腰を上げて翠星石の横へ歩む。
その横に座った途端、彼女は僕の腕に抱きついてきた。
「うふふふふふ」
会心の笑みがその顔に浮かぶ。
「貴女が戻ってきて嬉しいのよ。そのままでいてあげなさい」
呆れかえった目で真紅が僕達を見た。
と、見慣れた紅色のドレスのおかげで、
「そうだ」
僕は忘れていた事を思い出した。
「レンピカ、御使い頼んでいいかな」
直ぐに現れたレンピカが点滅で応答する。
「マスターにお味噌が切れてるって伝えて。全速力でお願い」
合点、と一度強く輝くと、レンピカはあっという間に飛んでいった。
あの子はしっかりさんだからきっと上手くマスターに伝えられる。と思う。
「 ゚д゚ 」
「気を悪くしたならごめんね。早めに伝えないといけないと思って」
「あぁん・・蒼星石の腕、すごく心地いいですぅ・・・」


        ▼△


「旅立った魂に遠くから呼ぶ声が届くこともある・・・」
焼けて白く爛れた私の指を小さな指が撫ぜる。のが見えた。
硬くなった皮膚からは何の外感触も感じられなかった。
「でもそんなこと中々ありっこないじゃなぁい?」
水銀燈は私を見上げ、例の嘲る様な、
「直接呼ばせた、という事か。私に。蒼の魂を」
薄笑いを浮かべた。
「折角器があっても魂が入っていなかったら只のジャンクよぉ。それにミーディ」
「お、」
その時、チョイチョイと何かが私の背中を突いた。
目を遣るとレンピカが点滅しながら台所を指している。
「・・あら?」
「なんだなんだ」
何となくその気になり点滅を繰り返して飛ぶ光球を追う。
のしのし歩く私の後ろには、軽い足音が付いてきた。


流し台横の棚の前でレンピカが『←』と光球文字を作った。
「この中?」
『←←』
応を受けて、火傷していない方で引き戸を開けた。
「あ。赤味噌切れてる・・・」
『misso-』
「・・・・」
手を伸ばす。
「蒼の御使いだろう?ご苦労さん。早めに戻っておやり」
『・ω・』
「・・メイメイ」
突然、
空になった容器を出した私の周りを藤色の光球が回る。
いや、私というより、
「あなた。この人間がどうなってもいいかしら?」
レンピカが目的か。
・・・?
「水銀燈?」
流し台の縁に両手を置いている水銀燈が愉しそうな笑みを浮かべた。
「蒼星石が帰って、大切な『マスター』が妙な事になってたらどんな顔するでしょうねぇ?」
ぐいと藤色の光球が私の首を押し上げる。
人工精霊に感情とかがあるかどうかは知らないが。
嫌におぞましいことを聞いた所為か天井下を飛ぶレンピカがたじろいだ。気がした。
「だから・・」
困ったかの様に一定範囲を飛び回るレンピカ。
やがて、


        △▼


「え・・?」
「?どうしたです・・です?」
「翠星石は何も?」
「いいえ。って唐突に何の話ですか」
「・・着いたのかな」
「蒼星石!くんくんの話は今から佳境に入るのよ!ちゃんと聞いて頂戴!」
「はいはい」
「いきなりシリーズ41作目の話をしてもわからんですよ・・」


        ▼△


「ん」
視界がいきなり変わった。
灰色の草が目の前、周りはぼんやりと、暗い。
何処か何処か。私は草むらに横たわっている様だ。
体を起こし、
「一体―」






















暫く言葉を忘れた。


「何だこれ」
ビュウウウと風が私をすり抜けていく。
敢えて言うとするなら、
私が見ているのは、巨大な満月。
いつも小銭ぐらいの大きさでしか見たことの無い月など、比較にもならない程、巨大な満月が。
それこそ私目掛けて落ちてきている、と錯覚しかねない程、視界の半分は蒼煌々とする満月で占められていた。
「やっとお目覚めぇ?」
何処かから言葉を掛けられた。
周りを見回すと、
妙に見覚えがある、
歪で大きな、樹を見つけた。
「ああ」
「蒼星石や翠星石みたいに上手くは使えないけどぉ、これくらいはできるわ」
再び声が届いた。
これくらい―とはこの月の事を指すかはわからない。
だが今朝の様に意識がハッキリしているし、何より、
「私の、夢の世界なんだな」
朧に照らされる私の姿がかつての『俺』の頃のだった。
声方は月、私は眩いそれを見上げた。
「・・つまんなぁい」
唐突に、
小さなシルエットが月影から切り取られた。

羽根が蒼白光に舞った。
翼が円月を瞬いた。
私は目を見開いた。

水銀燈。
月を背に、天使の影と見紛う彼女の姿が、
「アリス・・」
さも当然の様にそれを私の口から零れさせた。
それを聞いてか、宙で止まった水銀燈が冷ややかな笑い声をあげた。
「ふふ、自分の人形を差し置いて、私がアリス?」
「君だけじゃない」
指を上に、
「あの月もアリスだ、って」


今顔が見えていたら、目をしばたかせていたかもしれない。
「あんな物・・?・・・アリス?冗談は止して」
「まぁまぁ。昔からこの島国は月に特別な意味を求めていたんだ」
翼を動かさず浮かび続ける水銀燈へ近づき、
「真如の月、ありのままの姿、絶対心理、煩悩からの脱却、最の無垢」
月明かりでその顔が見える位置で草上に腰を落とした。
「その象徴として捉えられていた。結構昔の事だがね」
「・・・・・」
良く理解できない、と言わんばかりの表情で水銀燈が月を見上げた。
その明かりに照った横顔が月影の幻想さを確かに際立たせたのを見て、私は思い知った。
彼女達は美しい、と。

私は水銀燈にも上手く理解が進む様ヨーロッパの『狼男』の話を例えに、
『月は動物主に人間の深層を浮かび上がらせる』と説いた。
―その間彼女は私を見ようとはしなかったが。
煩悩の下の下の深層。それを照らし映すのが月影、顕になった心理こそ正に穢れなき無垢。
純真を至上とするのならば、それは、
「アリスとは、どんな宝石よりも無垢で、一点の穢れもなく、世界中のどんな少女でも敵わない程の至高の美しさを持った少女、」
呟きながら、水銀燈は足が地に着くか着かないかの位置まで羽を滑らせた。
「・・やっぱり違う。アリスは」
「月とアリスは一緒、だ。自分では輝けない所も」
「やめて」
ツリ気味の目が私を強く睨め付けた。
私は少したじろいだ。
「君は思わなかったかい?一度くらいは」
再び水銀燈が目を地に伏せた。
「月は太陽ありき。アリスはローゼンありき。照らしてくれるモノが無いと輝きを持たない」


        ▼△



「皮肉だよ。月もアリスも手が届かない高みにある、ってことが」



        △▼


・・・・やっぱり勘違いや気のせいじゃない。
「翠星石」
やっと僕の腕を解放した姉に尋ねる。
さっきまでのとろけかけた顔とは違って、今は、
「わかってるです。レンピカも戻ってきてないですし」
緊張が現れているのは目に見えてわかった。
「ああ!くんくん!・・と思ったその時だったのだわ!」
「「真紅」」
声が揃った。
「・・何かしら」
「用事を思いついたのでちょっくら出かけてくるです」
「すぐ戻るから」
翠星石が僕の手を掴んだ。
僕達は軽く目配せして、ドアへと駆け出した。
半開きのドアが、
「真紅、お茶もっ」
「じゃーまーで、っすぅ!」
大きく開き、入って来た誰かを、
「て」
「あ」
翠星石がドロップキックで跳ね飛ばした。
「きだほぉ!」
どすん。
がちゃちゃん。
びしゃあ。
「あつっ!つっ!つっ!」
小事とは思えないのを尻目に、翠星石は僕を引っ張って更に導く。
廊下の角を曲がる前、

一瞬だけ、その『誰か』と目が合った。

「今の・・・?」
「スィドリーム!」
曲がった先にすぐ部屋が、中にあの大きな鏡が、あった。
緑の光球で鏡は波打ち、何の抵抗も感じず僕達は鏡面へ飛び込んでいった。


        ▲▼


「あいつ・・いきなり蹴っ飛ばしやがって・・・あちち」
「葉の買い足しにし・て・は、遅すぎるわジュン。それに零すなんて、足らないわね」
「仕方ないだろ!これでも急いで帰ってきたんだぞ!」
「口答えしない」
「うるさいな。・・着替えたら淹れ直してくるから、待ってろ」
「十分以内。カップは二つでいいのだわ」
「はいは・・い?」


        ▽△



「だから―」
「言うなぁ!」

「手が届かない・・・ですって?」
さふ、と水銀燈の靴が原に着いた。
そのまま、
「ぅ」
「だからどうだと言うのよ・・・!」
座ったままの私ににじり寄り、拳を振り上げ、
「だったらそれを求められた私達はどうだっていうのよぉ!」
思いっきり私の頬をぶん殴った。
「がッ!」
体不相応にも程がある威力、私は草上に倒れこんだ。
「ねえ、痛い?痛い?」
頬に両手を、がら空きとなった脇を強く、その後も私の体を執拗に蹴り上げる水銀燈。
度々に私は体を震わせ、激痛に、口にまで這い上がる異物感に耐えた。
「痛いわよねぇ?人間なんですものねぇ?」
何回やられたかは分からない、数えていない。
幾かの果て、水銀燈は私の涎と胃酸が垂れた顎を持ち上げ、無理矢理目線を合わさせた。
その細い輪郭と豊かな銀髪を、後ろの月が際立たせた。
「あ・・」
「貴方って本当につまんなぁい」
出来の悪い子供でも見る様な眼つきで、
「私は貴方の本当が見たいのに、ここでも上辺しか見せてくれないしぃ」
困ったように微笑んだ。
「」
『上辺?』
と口から出る筈だった言葉は言葉に成らずに、口からはゴボゴボと咳だけが出た。
「蒼星石と貴方が共鳴した所。樹が教えてくれるかと思ったの」
だからレンピカを使った、と水銀燈は続けた。

「貴方、蒼星石のことが怖いんでしょお?」




        ▼△


私の顎を掴む彼女の手が緩み、私は草の上に倒れた。

「ねえ」

何を、言ってるのか。
「あカハッ呆れたもんだ。ゲェッわ、私が蒼を、怖い?ハァッだって?」
喉がヒリヒリと痛んだ。
途切れ途切れ、私は月と彼女を仰いだままで声を発し得た。
「ええ。貴方は蒼星石を怖れている。蒼星石も知ってるんじゃなぁい?」
「な」
クス、と水銀燈が笑う。
一塊の風が吹き、その髪が靡いた。
「それどうゴボッいう・・・?」
肘をついてゆっくりと体を起こす。
私に向かって冷笑を浮かべる水銀燈の後方、
「・・・まさか」
葉を揺らす歪な私の心の樹。
昨日の夢の中、樹に触れながら感慨深くその様を見ていた蒼星石の顔がフラッシュバックする。
―感慨深い?
「まさか・・・」
肘の力が抜け、
ドスッと私は再び地に体を預けた。
もし彼女の言う通り樹が私の深層を伝えるならば、
あの時蒼星石は、何を思っていたのだろう。


「わかってないわねぇ」
私の手を引っ掴み、
「貴方も触れてみればわかるかしら」
ズルズルと樹の方へと私を引きずって行った。
「離、して、くれ。歩け」
間無く続く鈍痛で上手く言葉が出ない。
私を引っ張る彼女の力は強く、すぐに樹の真ん前に着いてしまった。
うつ伏せの私、
「ほらぁ」
ぐい、と一際強く私の左腕を擡げる水銀燈。
手の平が幹に触
「っ」
れた。
「あ」

『夢の中だから爺のままでも抱っことかはできるんだろうが、この頃の私の方がしっくりこないか?』
『二つ、今度からは家事は共同で』

「あ・・・・・・」

『本当に、もう一度蒼のマスターになれたんだな。じゃ―』

「・・・ぁあ・・」
先ず、蒼星石と交わした私の言葉が。
続き、蒼星石へと掛けてきた私の言葉が。
ポップコーンの様に頭の中で記憶がはじき返し、その言葉、本当に持っていた想を表にはじき返した。
「・・・そ・・か」
蒼星石が帰ってきた。
その時私の心を本当に占めていたのは喜びではなかったのか?
「怖い・・・・・」
深層、
私はずっと、恐れていた。
『俺』という一部だった『蒼星石』という存在を失ってしまった時の感覚が、心の奥で燻ぶり続け、ずっと、私はそれを恐れ続けていた。
なのに、
なのに何故私は『蒼星石のマスター』であり続けようとした?
「怖いの?」
手だけを伸ばし、体を地に伏せる私の首に、水銀燈の腕が絡む。
「『俺』って・・蒼が君に倒されて・・・旅立った時に・・死んだ・・・」
幹からずり落ち、腕もまた地に着いた。
「忘れて・・た・・・」
頭の中で蒼星石が渦の様に回り始めた。
ぐーるぐーるぐーると、全部が、全部。


        ▼△



仰向け、寝返りを打ち月影眩さに手で影を作る。
その拍子に首から離れた水銀燈は、私の横に居直った。


「時間は十二分にあったんだ」
少し時間が経ち、声を出すのも多少容易になり、
私は彼女が聞くとも思えない事を、つらつらと口から吐き出した。
「・・・・」
「蒼を翠星石に渡すことも、」
「・・・・」
「もう動かないって決め付けて捨てる事も出来たのに・・・」
伸ばしていた腕を額の下に押し付けた。
「どうして、」
変わらず頭の中では蒼星石が私を捻じ曲げる。
「どうして私は傍に在ろうとしたんだ」





「蒼」





答えは持っていた。
ゴボォと口からくぐもった咳が吹き出し、直後、私は強く強く腕を目に押し付け、声を殺して泣いた。
泣いた。
泣いた。
泣いた。

「待ちくたびれちゃったぁ」
私の頭に柔らかく何かが触れた。
「貴方、やっと『ありのまま』見せてくれた」
笑っていた。
無様に泣く私を見て、彼女は、慈悲・・――?の笑みを私に見せていた。
私は、
「すいぎん・・とう・・・」

「怖がりさぁん」
声に甘んじた。





「蒼星石はねぇ、帰りたい、帰りたい、って。魂は離れていてもあの子の器、心であるローザミスティカはそう願っていたの」
優しく。
冷えた風と彼女の手が私を撫ぜる。
私はその声を聞きながら、噴き続ける涙を無駄に堪えた。
「あの子は本当に臆病、だから貴方を、たかがミーディアムを、『マスター』なんて、ねぇ?」







続く