「では、私共はこれで」
まだ見た目若い男が私に会釈する。
訓練したかの様なキビキビとした動きで部下を引き連れ、彼はトラックへと乗り込んでいった。
俗に言う引越し屋。彼らの職業だ。
「・・・ごくろうさん」
既に届くはずもないが、小さく労いの言葉を口にする。
殆ど新築かの如くリフォームを果たした我が家。
家財の再搬入も何事無く終了し、数ヶ月ぶりに私はここに帰ってきた。

時は昼。
とにかく早く元の生活に戻りたい。
車のトランクを開け、今朝まで社宅で使用していた身の回りの生活品を取り出す。
・・・といきたい所だが、
「よっこらっしょっと」
何より優先して、家に戻さなければならない物がある。
重たく大きなアンティーク調の鞄を抱え、私は真新しい玄関をくぐった。



新しく窓を設けたこの部屋は格段に明るくなっていた。
今までは物置兼蒼星石の寝室として使用していたが、これからは蒼星石だけの部屋だ。
落とさない様に、静かに鞄を床に置く。
その前に座り、かぱっ、と鞄を開けて、
「ほら、蒼。蒼の新しいお部屋だよ」
こじんまりとした体勢で眠る蒼星石に話しかける。
座ったまま手で抱きかかえ、内装が蒼星石に良く分かる様にゆっくりとその身体を回した。
「私の部屋も前と同じ、この部屋の真上だからね。安心するといい」
何が安心なんだか、と顔に自虐的な笑みが浮かんだのがわかる。
答えもせず、相も変わらず蒼星石はその目を閉じたままでいた。
いつも通りの様子に軽い落胆を抱きながら優しく蒼星石を鞄に戻す。
別段変わった事もないのを確認し、「よいさ」と軽い掛け声をあげて立ち上がる。
「お昼、蒼の分も作っとくから。気が向いたら起きなさい」
何回目ともつかない言葉をかけ、私は鞄を閉じた。




「・・ああ、わかった。なら来週にでも私の家に来るといい。では、その時に」
引越し早々長い電話を終え、ふぅ、と溜息をつく。
この年にもなると長く立つのも辛くなるものだ。
ソファに腰を落とし、手元のリモコンでテレビを点ける。
夕方からの長寿ニュース番組。
蒼星石が起きていた頃のアナウンサーも大分老けた様で、最近はすっかりベテランの貫禄だ。
「やはり、人間慣れるものなんだな」
新人キャスターをいじる彼を見て、かつては逆の立場であった、と言って信じる者などそう多くはないだろう。
それほど、時の流れという物は大きな力を持っている。
かくいう私も―。
何時の間にか『俺』は『私』になっていた。
「・・・・・・・・」
いかん。どうもここに戻ると感傷に浸り気味だ。
少し、横になるか。



        ▼▼



・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・


「ぬふぅ」
不意に眠りから覚めた。
薄目を開け、縁側から入りこんでいた陽が沈んでいるのを確認して小さな欠伸をかます。
ぼんやりとした意識の中で徐々に現実へ引き戻されるのを感じた。
「・・あんなこともあったか、な」
庭に咲いた向日葵の季節の記憶。
頭の中では既にセピア色と化したはずの記憶が今さっきまで、頭の中で鮮明に廻っていたとは驚きだ。
何十年ぶりかのフレーズが、

「・・・・夢を、見ていました」


あなたと 暮らした夏


それはかけがえのない  永遠の季節のこと


「まっすぐに、伸びて・・・・」
ちらりと横を見やる。
「伸び・・て・・・・・?」
・・・駄目だ、これ以上先が思い出せない。
本当に年取ると忘れっぽいから困る。
「も、知らん。晩飯食お」
立ち上がり、台所へ向かう。
昼飯のチャーハンの食い残しがあったはずだ。
暖めて食い直s―


目の前を、光球が過ぎる。
「っ!!」
私は思わず後ろへずり下がった。
右から左へ抜けた光球を目で追うと、それは確かに見覚えのあるもので、蚊ではなかった。


「人工精霊・・・?」
突然の出現に訝しむ間もそれはチカチカと輝きながら部屋の中を回る。
色は藤色。
記憶を辿ると、思い浮かぶ主人は一人だけ。
「おい、ここにいるのかい?」
見た目誰も居ない部屋に問いかける。
だが、何回か呼びかけても姿はおろか返答さえも確認はできなかった。
「・・・・」
一体どういうことだろうか、
大分長い間ご無沙汰だったドール関係の事象が今になって現れるというのは。
と、その時、光球が一際強く輝いたかと思うとそれはドアをすり抜け廊下へと飛んでいった。
『本当にあの子がここに来ているのか?』
という湧き出た疑惧を抱きながら、私はその後を追った。



        △▼



廊下に出ると、蒼星石の部屋の方から光が漏れているのに気づいた。
強く瞬いている光は、僅かに開いたドアの小さな隙間からでも廊下を照り返すには十分な光量だった。
異様なまでにピンクに似た光で染まるドアの向こうへ赴こうとするも、
「・・!!」
別のもう一つの異常に、私の注意は奪われた。


「鏡・・・」
湖面の如く。
廊下に戻されたばかりの鏡には、中心から波紋の様に『ゆれ』が全体伝わっていた。
何より、
「まさか、」
手を伸ばすと、何の抵抗無く手は鏡の中に吸い込まれたことが、
「nのフィールドへの扉が、開いているのか?」
この家にいる他のドールの在の可能性を一層際立てた。
息を呑み、静かに手を引き戻すと更にゆれが大きく広がる。
となると、
「やはりあそこか」

揺れる鏡の隅に映り輝き続ける蒼星石の部屋のドア。
二階や庭は確認していないが、十中八九間違いはない。
鏡に身体を向けたまま、ゴクリ、と息を呑む。
体力的に余裕があったかつての私も今となってはこの老け様。
のこのこ行って下手に攻撃されでもしたら堪える事なくやられるだろう。
臆する気持ちは十二分にある。
だが、
「私以外に、」
意を決して、
「誰が行くってんd」
振り向いて足を出だすも、

突如として眼前に現れた藤色の光球に、
「ぐぅっ!」
ドグッと鈍い音を立てて突き飛ばされ、


私は鏡に頭から吸い込まれていった。



        △▼



















真白。



上も下も右も左も全て総じて真っ白だ。



「・・・やぁ」

「こんなところに、
 お客さんなんて珍しいね」
お客?
「お客さん、どこから来た・・て言うのは野暮だね。
 この場所じゃそんなのは関係ない」
私が、客?
ねえ。話しかけているのは誰なんだい?
私にはあなたが見えないよ。
「見えない?
 それは可笑しいな。
 『見えない』んじゃなくて『見ようとしていない』だけじゃないかな」
・・笑わないで欲しいな。
「あはは、ごめんね。
 でも、ここで何より求められるのは主体性、自分の意思だから。
 『与えられるだけ』じゃ飲まれるよ。きっと」
飲まれる?
でも私には、ここは『只々白い所』というのは自然にわかったんだ。
なのにあなたが・・・
「良く話が解ってないようだね。それは、」
それは?
「未だに君が『与えられるだけ』だから。
 今僕は自分から僕の情報を君に『与えよう』とはしていない。
 けど君が、ここは何処か、何であるかを知りたい、僕はどういうモノなのか知りたい、と思えば、」
・・・あっ!
「自ずから、眼は開かれるものさ」



「開かれる・・・?」
ぼうっ、と白闇にシルエットが浮かぶ。
次第にその小さい人影は色を持ち、本来、とでもいう見た目が明らかになっていった。
「ようやく、」
服、容貌、瞳、
「解ったようだね」
それ全てを『見ようとして見た』時、
「ここは『九秒前の白』と言う。
 そして、君はとある世界から―」
私はまるで、頭を鈍器で殴られた様なショックを。
同時に、
「・・そうそう。忘れちゃいけないことがある」
存在が根底から消える様な、悪寒にも似た、恐怖を感じた。
「ここは自分自身でさえ見失う白の世界。
 己を保てなかったら存在は希薄して、ドロドロになるよ」



ドロドロ・・?
このぐにゃぐにゃしたのが、私って言うのかい?
「不安定だね。でもそれが君自身だとわかるだけでも大したものだよ」
私自身・・。
ああ、また君がわからなくなった。
それに、私がどんなモノかも。
・・・いや、
「その様子じゃ君自身の名も忘れたのかもね。
 名前なんてモノの本質を示すには至らない些細な物。でも、」



「必要なもの。
 だから大切にした方がいい」
「君は、」
再び、眼前に蒼い影が浮び、
「君は、君には自身の名前はわかるのかい?」
「?」
小さな影を見下ろす様に問いかける。
「・・・忘れてしまったね。
 それを探して僕もここにいるんだよ。君と同じで、」
「私は、」
ドッドッドッと遠くから地鳴りの様な音が聞こえてくる。
「私には、私自身の名前は、私自身はわからない。けど、」
その音は秒刻みで近くなり、
「ずっと、君の事はわかっていた気がする」
波は私達を包んだ。



        △▼



さっき君を見て思い出したことがある。
私はかつて、マスターと呼ばれる存在だった。
とは言ってもそう呼んでくれたのは一人だけで、その人は、
「・・・」
聡明で、気高くて、優しくて、私にとって一番愛しい存在だった。
「・・それが僕だ、とでもいうのかい?」
さあね。
「・・・へぇ」
それにしても、この・・海?は凄いね。
心像、形象・・・イメージとでもいうのかな。
色々なイメージが激しい流れとなって今も私達の周りを過ぎってる。
そして・・・君は、
「?」
『与えてくれる』モノが居なかったから、名前も思い出せないまま、ここにいる羽目になっているんじゃないかな。
「・・仕方ないよ。だってここは―」
仮に居たとしても『与えよう』と思うモノも居たかどうか。
でも、今は私が居る。
私が君に『与える』ことができれば、君は名前を思い出せるかもしれない。



「ぅ・・」
バァッ、と身体が流れへ雲散する。
「駄目だ!自己をなくしちゃいけない!」
不安感は無い。
私は広がり、薄まり、探す。
奔流するイメージの中で、
「せ・・」
記憶の海の中で、
「せきぃ・・」
愛し人との思い出を。



やがて、
フィルムの如き記憶が、幾重にも私達を包んだ。
「これは・・!」
「わかるかい?――?」
周りを見渡していたオッドアイが、驚を交えてこちらを捉える。
「い、今何ていったの?」
「んん」
途端、私達を囲んでいたフィルムが一斉に揺れ、身体に吸い込まれていく。
眩しく、遠く、愛しい日々。
その記憶が相俟って、混ざり合って、存在は、私は、『俺』になる。
「・・蒼星石」
びくん、と目の前の少女が身を震わせた。
「俺を幸せにしてくれた、可愛い、お人形さんの名前だよ」
「・・・」
呆然とした表情のまま、私を見つめる。
「マス・・タ・・・ー?」
「ずっと、ここにいたんだな」
手を引く。
「帰ろう、蒼星石」



「家に帰ろう」












        △△



「ぬふぅ」
不意に眠りから覚めた。
薄目を開け、縁側から入りこんでいた陽が沈んでいるのを確認して小さな欠伸をかます。
ぼんやりとした意識の中で徐々に現実へ引き戻されるのを感じた。
「・・・夢か」
天井を見ながら呟く。
・・・そうか、あれは夢か。
ははは、と口から笑いが零れる。
―最も、零れたのは笑いだけではなかったが。
「性質の悪い夢だ。こうも現実が嫌にな―」

疑った。

「まさか、」
跳ね起き、蒼星石の部屋を目指す。
「まさか、」
ドアを開け、鞄を開く。
「まさか」


蒼星石は、寝ていた。
相も変わらず目を瞑り、安らかとも思える顔で、

漆黒の羽根に囲まれて。


        △▼


バクンバクンと先の短い心臓がこれでもかと言う程身体を刺激する。
震える手で、私は蒼星石を抱きかかえた。
「蒼?」
軽くその身体を揺する。
反応はない。
だが、
「そうだ。螺子だ」
さも当然の如く浮かんだ思考。
私はこれまで幾度と無く螺子を巻いた。
そしてその度に、私は蒼星石は遠くに旅立ったことを実感していた。

降って湧いた一縷の黒い望み。
それが今までの様に、カランと床に落ちる螺子の音で砕かれるのに気後れしている私。
「・・・もういい」
何も考えず、私は螺子を取った。
「悲観と絶望には、飽きた」
ぐる、と蒼星石を回し、背中の螺子穴を探る。
カチカチと、螺子穴口と震える手が持つ螺子が音を立てるも、私はそれを無理矢理、

かちり。と一回だけ、回した。








待ち望んでいた。
「・・・・・」
キリキリキリキリ。
と音を上げて一人手に螺子が回っていく。
この時を。
「・・・・・」
ギシギシを軋んで、その身体は私の手から離れ、一人で立ち上がる。
「・・・・・」
生まれたての小鹿の様に。
「・・・・・ぉ」
崩れ落ちる塔の様に。
「・・ぉ・・・ぉ・・・」


無様に声を詰まらせる私の前で、

「うう・・ん・・・」






静かに、その眼は開かれた。