△▼


その日の午前中、僕とマスターは買出しに出ていた。
いつもは近所のスーパーで済ましていたけど、
「たまには遠くの方にも行ってみようか」
とマスターが言うから、それに従うことにした。


比較的人通りの多い道の歩道を手を繋いで歩いていく。
マスターの家に来て結構経つけど、こっちの道を歩くのは初めてだった。
「ね、マスター。その遠くのお店ってどんなとこなの?」
向かってきた自転車を避けながら尋ねる。
「そーだな」
マスターはちょっと考える顔をすると、
「まあ着いてからのお楽しみ、ってな」
含みのある笑みを浮かべて僕を見た。
「もぅ、イジワルだなぁ」
僕もそれに微笑み返す。
と、
「っ」
不意にマスターの歩みが止まり、手が離れる。
「マスター?」
「・・いや、ごめん」
マスターがまた手を差し出す。
「ちょっとね、蒼の可愛さに戸惑っただけだから」
「・・・・」
顔を伏せて、黙ってその手をとる僕。
「ああん!照れる蒼の可愛さもたまんねー!」
「マスターの・・・イジワル」
汗ばんだその手を僕は握りかえした。


そう経たない内に、
無難に僕達は目的地に着いた。
入り口前で、
「うわぁ・・大きいなぁ」
その建物を見上げる。
テレビとかではよく見るけど、
「これがデパートっていうの?」
「ああ。街に出るともっと大きいのもあるんだぜ?」
ここは三階建てで小さい方だ、とマスターが付け加えた。

中に入ると、そこには通りよりもずっと沢山の人間がいた。
大分賑わっている様に見える。
「一階が食料品売り場、だけど」
「けど?」
「その前にこれを見てくれ。こいつをどう思う?」
スッ、と携帯の時計を見せてきた。
デジタル表示で、十二時過ぎを指していた。
「ああ、もう昼時だね。帰ってからじゃご飯遅くなっちゃう」
「だから、」
マスターが僕の手を引く。
「まず飯を食おう。話はそれからだ」



         △▼



『れすとらん』という所に入ると、僕達は二人席に通された。
一通り『めにゅー』に目を通して注文を終える。
「マスター、本当に家でご飯食べるの?」
「まあね。家での雑炊の方が今の性にあってるし、」
何も頼まなかったマスターがちびちびとお冷やに口をつけ、
ゴクリ、と音をたてて飲んだ。
「というか、可愛い蒼にひもじい思いはさせたくはない」
「・・・・・・(///)」
「うぇwww蒼可愛いよ蒼。ヤバいよ。恥ずかしがる蒼の可愛さは凄いよ。異常だよ」
「・・本当、変な事ばっかり言って」
あんまり頻繁に言うから慣れてきたけどね。
「で、雑炊の話に戻すが」
唐突にマスターが指を高く上げた。

「お医者センセーが言っていた・・・。
 日常健康とは其れ即ち食生活と心生活。
 つまり!人(俺)は常に蒼・粗食・腹八分目を心掛けてこそ、長生きが望める!!」

周りの人間の目線が集中した。
「まままマスター?声大きすぎだよ?」
小声で諌める僕。
けどあんまり聞いてないようだ。
「それからとある人がこうも言っていた・・・。
 病は飯から。食b『鯖味噌定食お持ちしましたー』く」
計った様にウエイターがマスターを遮る形で食事を運んでくる。
慣れた手つきでテキパキと皿をテーブルに並べると、さっさと引っ込んでいった。
「ジーザス!」
流石にフォローはできなかった。
「ま、いいや。俺は蒼が可愛く麗しく食べる様子を見ていよう」
「・・・・・」
ちょいちょいと箸で鯖を一口大に切る僕。
そして、
「はい、マスター」
それをつまんでマスターに差し出す。
「へ?」
「食べて?」
「い、いや俺は、家で」
「ヤだヤだ。マスターが食べてくれなかったら僕も食べない」
「さいですか・・・」
ちら、と時計に目をやるマスター。
「せめて、後十五分ぐらい待てない?」
「・・そんなに焦らされたら汁が垂れちゃうよ・・・」
マスターが迷ったような顔をして箸の先と時計に目を動かす。
さっきのマスターの言動のお陰で周りの目もこっちを気にしがち。
その目線の中で、僕みたいな見た目小さい子からあーんされるのは、
「ひょっとしてマスター・・・恥ずかしいとか?」
途端、マスターの顔が紅潮する。
僕に芽生えたささやかな復讐心が大きくなった。
「クスクス・・今更照れても、僕はマスターの恥ずかしい姿は沢山、知ってるんだから・・ね?」
自分でも口の端が笑みにつりあがるのが分かる。
「ちぇ・・」
意を決したのか、マスターが軽く口を開けた。
「よしよし、よくできました」
箸の先をその口に運ぶ僕。
すると、二つ隣の席の客が笑っているのが横目に入る。
マスターもそれに気づいているのか、目を伏せた。
「照れちゃって・・今度は口移しであげようか・・・?」
また、小声でささやく。
マスターは顔を逸らして、少し頬に紅を残したまま噛んでいる。
ま、お店でこれ以上は可哀想だから許してあげよう。
「それじゃ、いただきます」


ごくん、とマスターの喉から音が聞こえた。
「あー、噛みすぎて顎が疲れた」
「?」
さっきマスターにあげた時から十分は経っていた。
まさか、あれからずっと口に含んだままだったのかな?
「念のため、が良かった。このスープ貰うぞ」
ひょい、とセットのスープを取るマスター。
スプーンで少しづつ汁を掬うその様子は、
「嬉しい、マスターの調子が良くなったみたいで」
「?」
久々に見た気がした。
「こないだまで落ち込んでたし、体調も悪そうだったから心配してたよ」
「・・・ん、何だ。気づいていたのか」
マスターの手が止まる。
「もちろん。僕とマスターは繋がってるんだから、そんなことぐらいわかるさ」
ちょん、マスターの薬指をつつく。
「ここでね?」
「御見逸れしました」
ふぅ、と息をつくマスター。
「ま、ちょっと吹っ切れたのさ」
手を伸ばすと、
「君の居ない天国より君の居る地獄を選ぶ、ってことかも」
くしゃくしゃと僕の頭を撫ぜるマスター。
「どういうことなの?」
「へへっ」
あどけなくマスターが笑う。
「蒼のことが好きなだけ、さ」
そう言って、再びマスターはスープを食べ始めた。




「さて!帰るとするか!」
ヒョイ、と僕を持ち上げ、
「うわぁ!」
「・・っしょっと」
おんぶするマスター。
「は、恥ずかしいよぅ・・・」
「大丈夫大丈夫。傍からでも変には見えないって」


そう言って来た道をゆっくり歩き始める。
まだ夕方とは言えないけど、日は西に傾きかけていた。
「どうだった?初めてのデパートは?」
「うん、中々面白かったよ」
「そっか、そいつぁ良かった」
満足気に返事をするマスター。
「またいつか来たいな。今度は二階も覗いてみたい」
「・・そうだな。まあずっと一緒にいてあげるし、何回でも連れて行ってあげるさ」
「えへへ・・・一緒かぁ・・」
頬をマスターの背中にくっつける。
「暖かいや、マスターの背中・・・寝ちゃいそう・・・」
「おおう。涎は垂らさないでくれよwww」
「冗談だよ・・・」
・・何だか、本当に眠くなってきちゃった・・・。
「僕も、」
「うん?」
マスターにだけ届く様に、
「ずっと、マスターの横に居るから」
呟いた。
「僕、もっと美味しいご飯も作る様にがんばるし、お洗濯だって・・・」
「・・・・蒼、」


がくん。


不意に、マスターの体が揺れる。
「っとっとっと」
ヨロヨロと二三歩進んで、地面に膝をつくマスター。
「だ、大丈夫?」
「OKOK。平気だ」
少し時間を掛けてマスターが立ち上がる。
「・・・まだあると思ったけど、もうそろそろか」
「?」
顔を上げると、もう家が見える所だった。
「蒼」
急に真面目な声で、
「今日、何かしたいことはある?何でも良いぞ?」
マスターが尋ねてきた。
「じゃあ・・・僕、マスターと一緒に寝たい・・な。最近はご無沙汰だから」
「プッ」
「あっ?今笑ったでしょ」
「いやね、あんまり蒼らしくて。・・っさ!」
ぐっ、とマスターの歩みが速くなった。
というか走ってる?
「わっわっ!危ないよマスター!?」
「ちょっ・・・きついけど、捕まっとけよ!」


         △▼


「ただいまー」
マスターが鍵を開けて家の中に入る。
戸締りをしてきた所為か、むわっとした温い空気が僕達を撫ぜた。
肩で息をつくマスターが僕を玄関に降ろす。
「もう、マスター、わざわざ走らなくても・・」
「・・・・」
ぎゅっ。
「え・・・?」
ドサドサと音を立てて荷物が床に落ちた。
その力を少しづつ強くしながら、
「・・・痛いよ、マスター。痛い」
「・・・・」
膝立ちで、マスターが僕を抱きしめる。
「駄目・・そんなに強かったら僕、壊れちゃうよ・・・!」
「・・・わかってる・・わかってるけどさぁ・・・!」
マスターは力を緩めはしなかった。


「俺の部屋の、」
突然、ふっ、と力が抜ける。
「机の一番上の引き出しに、大きな封筒が入ってる」
体を離して僕の顔を見るマスター。
「俺のこと話したいから、取ってきて」
それだけ言って、マスターは居間へ消えた。
「待ってマスター」
その後を追う僕。
マスターは、
「っふぅーっ」
と大きな息をついて、ソファに寄りかかっていた。
「なるべく急いで頼むよ、蒼」
その目を閉じて、
「待ってるから」


「んもぅ・・・横着なんだから」
ぼやきながらマスターの引き出しを開ける僕。
案の定、中は雑然としているけど、
「あ、これかな?」
底の方に大きな封筒が納まったいた。
持ってみると意外に重いものがある。
「・・・・・」
好奇心、
僕その中から紙の束を一掴み取り出した。
どうやら、封筒にはパンフレットやB5サイズの紙とかが入っているようだ。
取り出したパンフの表紙には、
「『医食同源』・・・」
その中に、健康に良いと謳った食物の摂取法が載っていた。
ひょっとしたら、最近のマスターが健康に気を遣っているのもこの所為かもしれない。
ふっ、と笑みが零れた。


         △▼


「マスター、取ってきたよー」
居間に戻る僕。
ソファには、マスターが座っていた。
背もたれに頭を乗せ、天井を仰ぐ形で目を瞑っている。
「・・・寝ちゃったのかな?」
音を立てない様にその横を通ってテーブルに封筒を置く。
少しづつ中身を出しながら、
「マスターも人が悪いなぁ。話してくれたら僕もちゃんと考えるのに」
さっきのパンフを探す僕。
出てくるプリントにはジェムザールとかノイトロジンとか、聞き覚えのない単語ばかりだ。
「最近卵とか小麦粉を避けていたのも、そのせ」

出てきたのは、小さな紙の束。
「二月十日の支払い34000円・・」
どうやらそれ全ては、マスター宛の病院の領収書らしかった。
「二月十八日23760円、二月二十五日33270円・・・」
・・・おかしい。
只の医療費にしては異様に値段が高い。
「七月からは大分安くなってる・・?」
その二月十日の値段内訳を見ると、
「診察代、が一番高いんだ」
診察代の注には『諸検査、投与薬剤分、抗がん剤分を含む』とある。
七月分が安いのはこの『診察代』が殆どなくなったから、の様だけど、
少なくとも六月分までは『抗がん剤』の欄に丸が付けられていて、それ以降はなかった。

妙な胸騒ぎがする。
「確か、」
さっきのプリントの中に、
「抗がん剤がどうとか」
ガサガサと、広げられた紙を漁る。
「・・・あった」
―非小細胞肺癌、膵臓癌適応抗癌剤『ジェムザール』―
と、その説明がなされたプリントがあった。
「何でこんなのが封筒に・・・?」







寒々しい考えが頭を過ぎる。

それを振り払うつもりで、
僕は更に紙の束を漁り始めた。


         △▼







分かったことが何個かある。
マスターが毎日一日六回の薬を飲んでいたこと。
それが痛み止め、病気の進行を抑える為だけの薬であること。
その病気は一度進行したらどんな治療でも治る見込みが殆どないこと。
その病気には酷い痛みが伴っていたこと。


分からないことが何個かある。
何故、『七月から診察代が安くなったか』ということ。
マスターが何故、今日まで僕に自身のことを言おうとしなかったこと。


だけど、
『ま、ちょっと吹っ切れたのさ』
『君の居ない天国より君の居る地獄を選ぶ、ってことかも』
あの何気ない言葉。

それが分からないことと相俟って、予想が確信へと昇華される。




そして、

「・・・違う」

先程から露とも変わらない形で、マスターは目を瞑ったままだ。

『眠っている』筈なんかない。

「『ずっと一緒にいてあげる』って言ったくれたもん」

手を伸ばすのが怖い。

その体に触れるのが怖い。

『マスター』と呼びかけるのが怖い。

手を伸ばしてしまったら、






























ずるり。


         △▼






ゆっくりと、

力なく床に落ちた体に手を寄せる。






「――」


貴方の名を呼ぶ。


「――。――。――」


届けども、戻りはしないのに。

計らずも、『器』がその役割を終えたのだから、還りはしないのに。




なのに。





愚かだった。

僕はローゼンメイデン。

悠久という運命の中で、幾度と無く繰り返してきた出会いと別れ。

その一つで、


僕は、




貴方に永遠を願ってしまった。




「――」

絶え間なく滴る涙が服に染みを作り続けている。

持ち上げると、だらり、と垂れ下がる貴方の腕の下に、

僕は体を滑り込ませた。

目の前には『眠る』貴方の横顔。

できるだけそっと、唇を重ねて、

僕は目を閉じる。












やがて。



ぎしり、という自分の体の音で目を開けた。


さっきまで僕を呼んでいた口から顔を引いて、更に腕の中に潜り込む。


媒体を失った僕は、


「ますたぁ・・」


再び永い眠りに就くだろう。


「忘れないで」


せめて、


『ずっと、マスターの横に居るから』


貴方の隣で。


「忘れないで」












僕はここにいる。










THE END