第四話(1) Ave Maris Stella

俺は怖かった。

蒼星石との奇妙な同棲生活がはじまって、丸々三年の月日が過ぎた。
蒼星石と出逢ったときは高校を受験していた俺も、今では大学入試を受験した。
地元の底辺高に金銭的な理由で通っていたために、ずいぶんと面倒な目にも遭ってきたものの、
蒼星石に支えられ、腐らずに勉強してきた甲斐があって、俺は一流と目されるような大学へ進学するだけの学力を身につけていた。
金銭的な事情も、高校入試に当って困惑したときとは違って、
ここでも蒼星石の支えがあり、多少の不都合はあるものの、解決できない問題ではなくなっていた。
俺は大学に対してこだわりはなかったが、蒼星石が強く勧めてくれたのだ。

「マスター、あなたは大学へ行くべきだ」
「生活もままならないのに四年間を無為に過ごすのか?」
「僕を……侮らないで欲しいな。あなたの才能は僕が一番分かっている」
「冗談なら……別の機会に譲ってくれ」
「あなたの才能のために……僕にはちゃんと援助する力がある。」

蒼星石は黙って、預金通帳を俺に渡す。
そこにはわずかながら、蒼星石が内職をへそくって貯めたお金が記されていた。

「これは……?」
「マスターに内緒にしていたことは謝るけど……僕がこっそり貯めておいたんだ」

蒼星石は俺に秘密にしていたことを申し訳なさそうにしているように見えるが、
どのような反応をするか期待しているようなまなざしを俺に向けた。
俺は思わず苦笑する。通帳に記されていた金額では、せいぜい大学の入学金にしかならない。

「残念だが…蒼星石。これじゃ全然お金が足りないね。勉強不足だ。」
「え……これだけあれば……僕たち二人で一年は暮らせるのに…」

蒼星石の期待に満ちていた目が落胆の色に変わる。
だから……俺はその目が大嫌いなんだよ…。勝手に言い出して勝手に落ち込むなよ。
俺は思わずイライラとする。

「何にしても……詰めが甘い。視野が狭い……」
「ごめんなさい……」

蒼星石が俺から視線を背ける。
ほう、いつからそんな狡いことを覚えたんだ。
いや、俺が何かにつけて罵倒すれば自然に対処法の一つでも覚えるか。

「いつから……お前は俺の生き方に口出しするようになった?」
「ごめんなさい」

謝罪で黙りを通す気か?腹が立つ。

「ただ……僕はマスターのお役に立ちたくて……」
「なら…何もするなよ。そしてそんな表情を見せるな」

何で俺は苛ついているんだ?それもこれも全部蒼星石のせいだ。

「ごめんなさい……」

蒼星石が自分の殻に閉じこもろうとしているのがありありと伝わってきた。
ああ…もう面倒だ、ご機嫌でもとってやればいいのか。

「わかった…俺が大学行けば良いんだろ?成績優秀であればいくらでも金を工面できるからな」
「いや…僕は…もう……」
「黙れ、見ておけよ。俺は誰に頼るのでもなく大学に通うから。このお金は自分のために取っておけ」
「マスター…」

18歳になっても相変わらず蒼星石は俺の母親であった。
俺は彼女が母親であって欲しかった。だからこそ、彼女の不機嫌には苛つくのである。

遅い反抗期のせいか彼女の言動にはひたすらに反発したものの、結局俺は大学を受験した。
いや、むしろ彼女に世話になりたくないとう反発によって大学を受験したようなものであった。
そして蒼星石に言ったように、某有名私立を主席で合格し、授業料免除を勝ち取った。

内情はイライラしたことが多々あったものの、俺と蒼星石の生活は傍から見れば順風満帆であったといえよう。
しかし、その順風満帆な生活に陰りを見せたのが、俺が大学に入学した春先のことであった。
その理由は至極簡単である。
ついに俺がもっとも恐れていた自体が現実のものとして具現化してしまったからである。

俺は怖かった。
彼女が戦いの宿命にある、悲しき玩具、であることを認めることが。
俺にとって彼女は母である。
いかなる理由があろうとも母を失うことを恐れない子どもがいようか。
まして、初めて自分という存在に対して愛情を与えてくれた存在……俺にとっての母が、
自分とは無関係な都合のために居なくなってしまう可能性というものは、
想像することさえストレスであり、そうしたストレス故に忘却されてしまってさえいた。

つまり、俺が恐れた現実を思い出さざる得ない状況が現れたのである。
彼女の姉妹が目覚めたのだ。

ある日、家に帰ると家の窓ガラスが割られ、ガラスの破片が飛び散る床には、
蒼星石が入っていた鞄と同じデザインの鞄が当たり前のように鎮座していた。
俺は「しまった」と思った。そして、その不吉な鞄に対して酷く嫌悪したことを覚えている。
蒼星石は俺に対してバツが悪そうな視線を向ける。彼女は何を言わんとしているのだろうか。
しばらく俺と蒼星石の間でどちらが先に言葉を発するか牽制し合っていた。
しかし、先に開いたのはどちらの口でもなく、鞄の口であった。

「あたたた……久々に目が覚めたから、鞄の飛び方忘れちまったですぅ…」
「!!……もしかして…」
「ん……?懐かしい声ですね……」
「翠星石!!!!」

蒼星石は鞄からはい出てきた人形に駆け寄ると、勢いよく飛びつき、そして抱き締めた。
俺は蒼星石のそんな行動を見たことがなかったので、表情を隠せないほど動揺した。

「うわ…!!!!……びっくりするじゃねーですか!!!」
「翠星石!!!」
「その声は……蒼星石ですね!?目覚めたら隣にいなくて心配したですよ!!」

蒼星石の飛びついた人形は、蒼星石の名を呼ぶと彼女の体を強く抱き締めた。
俺はその人形もまた「ローゼンメイデン」なのだとこのときはっきりと理解できた。
すなわち、「アリスゲーム」の開始であり、俺と蒼星石の生活の終わりの合図と理解された。
俺は表情を歪め、憎悪をその人形に向ける。

「……マスター?」

俺の感情に蒼星石はいち早く反応する。当然か、俺の心は蒼星石と繋がっている。

「蒼星石?いま、この男のことをマスターと呼びましたよね?」
「……うん、今度の僕のマスターは……この人なんだ」

「今度の」という修飾語に俺は頭を殴られたような気がした。
思わず気が遠くなりそうになる。いくら俺が彼女にすがっても悠久の時を過ごす彼女には俺は刹那的な存在に過ぎないのか。

「蒼星石……」

俺は悲嘆の目を彼女に向ける。
彼女は俺の表情に気付かない。よほどに姉妹に出会えたことに舞い上がっているようだ。
翠星石と呼んだ彼女の姉妹に俺のことを話すのに夢中だ。

「アリスゲーム……ローゼンメイデンの宿命、俺と蒼星石の生活の終わり……」

俺は小さく呟く。

「マスター……?」

そこでようやく蒼星石は俺の異変に再び気付く。

「ローゼン……メイデン……アリスゲーム」

俺は壊れたように呟き続ける。
そして頭皮に爪を立てて掻きむしる。何だか体中に虫がうごめくようにぞわぞわとした感触がわき上がるので、
体中を掻きむしることを止められなくなった。

「……なんですか……この気持ち悪い男……蒼星石は昔から人間見る目がないですぅ…」

翠星石が俺の足下に近づく。
俺は足下のやってきた小柄な翠星石をギロリと睨んだ。

「ひぃ……人間……なんて大嫌いですぅ!!!」

俺に睨まれて翠星石は俺の臑を思いきり蹴り上げた。

痛い。

痛みは大したものではないが、この痛覚が現実的である以上、俺と蒼星石の生活の終わりも現実となろうとしているのである。
痛みが脳へ達すると俺の本能は生活を守るために反射的な行動を取らせていた。

殺気走った瞳は翠星石をじっと睨みつけながら、そして体は彼女に飛びかかれという指令に忠実に反応し、
俺の両腕は蒼星石の制するまもなく翠星石の首へと伸び、彼女の首を締め上げた。

「きゃああああああ……」
「マスター!!!!!!!!!!」

俺の耳には何も届かない。ただ、一途に翠星石の首を絞める力を強める。
ギリギリと締め上げる手には、リアルな人間の質感が伝わってくる。

「罪ある俺の鎖を解き放ってくれる蒼星石…盲目な俺に光をくれた蒼星石……そんな生活の邪魔をさせるものか……」
「マスター!!!」

蒼星石は酷く動揺したが、百戦錬磨の経験が次の瞬間には人工精霊によって俺の意識を奪うという冷静な対処を行わせていた。

「かぁ……そう…せ……い…せき……、なんで……」
「ゴホっ…ゴホっ……なにするですか……」
「ごめん……マスター…」

薄れゆく意識の中で俺はようやく彼女たちの姿に気がついた。

「ああ…こわ…かった……のは……その……目か…」

俺の狂気に怯え体を寄せ合う様子を見て、翠星石と蒼星石が双子であるとようやく気付いた。
俺は蒼星石の瞳同様に翠星石のそれを恐れたのだ。

「俺の……悪を追い払って……あらゆる幸福をいのって……くれるんじゃなかった……の?」

俺は気を失った。


第四話(1)終了
(2)につづく。