そろそろ蒼星石と暮らし初めて十年近くになろうとしているのだが、先日初めて蒼星石とともに旅行に出かけた。
もっとも十代の頃の俺は親に捨てられおかげで旅行に行くような余裕はどこにもなかった。
蒼星石に内職をやってもらっていたおかげで俺はなんとか生活が出来た。
生活がそんな状況では旅行など口に出すことすらおこがましかった。
二十代になって俺は定職らしきものに就き、ようやく蒼星石に恩返しが出来るような状況になったのである。
しかし、仕事をするようになったので、今までの恩返しに「旅行」についれていくというのは、
子どもが親にする恩返しの定番のようで、色々と思うところもあり苦笑を禁じ得ないのであるが、
実際、親であった一面を今更否定できないのだから、のんびり蒼星石と旅行というのも悪くないだろう。
もっとも、これが恩返しの旅行だなんておこがましいことをいう積もりは毛頭無い。
自分も蒼星石とともにいく旅行を楽しむつもりであった。

蒼星石と旅行に行くためにはいくつかの試練が立ちはだかる。
まず何よりも蒼星石のあの性格だ。俺がどこかにつれていってやるといったところで、

「え……僕はそんな……僕にそんなお金を使うなら…ね?マスターの好きなことに使ってよ」

と頑なに拒否されるのが関の山である。
おまけに俺が蒼星石に貧乏生活をさせてしまったためか、生活がだいぶ良くなった今でも旅行なんて言ったら、

「そ、そ、そ、そんな…もったいないよ、マスターが病気とかしたらお金…困るよね?」

などと、人形らしからぬ所帯じみたことを言い出す傾向にある。
誇り高きローゼンメイデンに「所帯じみた」特質を植え付けた俺は義父さまに恨まれるかもしれない。
もっともそれについては翠星石にこんなことを言われたことがある。

「やい、カビ人間!お前が蒼星石をちゃんと養ってやらねーですから、蒼星石がこの前翠星石のところ来たときに
 『翠星石!みかんの薄皮を残したらダメじゃないか。ちゃんと食べないともったいないじゃないか』
なんて言い出して翠星石のことを叱ったんですぅ。お前、どれだけ食べ物に困っているのですか?」
「いや…それは好みの問題じゃないか…?それにみかんの薄皮は栄養もあるし、食べた方が良いんじゃないか?」
「うるさいですぅ。そもそも人形には栄養関係ないですから、翠星石の食べたいように食べて良いじゃないですか?」
「まあ、それもそうだな」
「それなのに、蒼星石と来たら『だめだよ、少しでもおなかを膨らませるには食べられる場所は食べなきゃ』と…」
「………」
「………」
このときの俺はよっぽど情けない顔をしていたのだろう、翠星石の毒舌を黙らせるくらい悲愴な表情をしていたらしい。

話が横道にそれたが、俺は蒼星石と旅行に行きたいのである。何が何でも蒼星石を説得しなければならないのである。
蒼星石は口だけは達者な翠星石とは違ってよっぽど頑固で頭の回転も速い。
その蒼星石を説得して、なおかつ俺に気を遣わせずに旅行に行ってもらうためにはどうするのが一番良いか。
そこで考えたのが「将を射止めんとすればまずは馬から射よ」という古典的な作戦だ。
蒼星石が「将」とするのであれば、馬は何だ?
……もちろんそれは「俺」だろうな。

そこで俺はまず旅行雑誌を自宅に買い込むことから始めた。もちろん自分が読むためではない。
ある日仕事の帰りに本屋によりめぼしい雑誌を一通り買い込んだ。
家に帰ると甲斐甲斐しい蒼星石は俺が大仰に俺が紙袋を抱えているのを疑問に思い、その中身を当然尋ねてくる。

「マスター、その紙袋の中身は何かな?本屋さんの袋だよね?」
「ああ、ちょっとな。勘違いするなよ、えっちぃ雑誌なんかじゃないぞ?」
「え?え?!!!も、も、もちろん、僕だってそんなこと期待しているわけじゃないし、そそそ、それにマスターの趣味なら…」
「落ち着け蒼星石、だからエッチな雑誌じゃないと言っているだろう」

俺は笑いながら蒼星石の頭を撫でてやった。蒼星石がうつむき顔を真っ赤にしている。

「とりあえず疲れたから風呂にするかな。この荷物頼むよ。中身を見ていても構わないよ、どうせ気分転換に買っただけだからさ」
「うん、わかった。晩ご飯の準備をして待っているね」

蒼星石は俺から荷物を預かるとトコトコとリビングの方へ歩いていった。
その様子をみて俺は、計画通り……!!!、とほくそ笑んだ。
そして俺はこっそりと蒼星石が入っていったリビングの様子を、ちょっとふすまを開けて伺ってみた。
蒼星石は俺の荷物をテーブルの脇に片付け、紙包みを机の上に丁寧に置いた。
そして、作りかけであった夕飯の支度をてきぱきとこなす。
いつもは帰ってすぐに食事にする俺の習慣を分かっているため、食事の準備はほとんど終わっていた。
そのため、おかずなどを食器に盛りつけ、食卓に並べると蒼星石は手持ち無沙汰になった。
蒼星石はテレビでも見ようかというのか、食卓を離れテレビの前へと移動してきた。
そして、彼女は再び紙袋の存在に気付いた。

「あ……マスターの本…、読んでいいといっていたよね。マスターはどんな本読むのかな…?」

彼女は紙袋を手に取った。
そして丁寧に紙袋の口を開けると中から俺が買い込んだ雑誌を取り出した。

「箱根…?熱海…?」

雑誌のタイトルの意味するところがすぐに分からないのは誤算だった。
旅行なんてしたことなかったので当然観光地についても知識は薄弱だったようだ。
蒼星石は雑誌の表紙をめくり中を読み始めた。

「あぁ…これはきっと旅行の雑誌なんだな。マスター旅行に行きたいのかな…?」

さすが蒼星石、期待通りに俺の心情を察知してくれた。
このまま「もしかして僕のために…?」と気付いてくれれば誘導は楽なんだが…。

「マスターは趣味って言ってたね…もしかして……」

そうだ、そのまま「僕のために?」と言ってしまえ!

「もしかして……僕のせいで…」

うん?「せいで」?
なんだか雲行きが怪しいぞ……。

「僕のせいで……マスターは旅行に行けないんだな。僕がいるために……」

蒼星石は悲しそうに俯いた。そして光のないオッドアイが虚空を見つめる。
直視はしていないものの、やはりあの力のない視線は俺は相変わらず苦手だ。
そして泣きそうな蒼星石も苦手だ。
だが、コレは想定内の範囲ですから。

「もし…僕がドールでなければ…マスターは旅行に行けたんだろうな」

蒼星石はしばらく考え込む。

「温泉が多いな……疲れているのかな…?今度、肩でも揉んであげようかな…」

コレは想定外。温泉の雑誌が多いのは適当に取ったからたまたまなんだが、その情報から俺の状態を分析し、
さらに肩でももんであげようなんて考える彼女はあまりに健気だ。

「旅行か……僕がドールでなければな……僕もマスターと旅行に行ければな…」

俺はニヤリと笑ってふすまを開けた。蒼星石がビクッと身をすくめてこちらをみた。

「話はすべて聞かしてもらったぞ、蒼星石」
「ま…マスター?」
「俺と旅行に行きたいんだな?」
「そ、そんなことは…」

俺は黙って右手に持っていたICレコーダーを再生する。

「……僕もマスターと旅行に行ければな……」
蒼星石のつぶやきがICレコーダーから再生される。
俺はニヤニヤして蒼星石に問いつめる。

「言っただろ、話はすべて聞かしてもらったぞ、と」
「ま…マスター、僕のこと嵌めたね…?」
「蒼星石が旅行にいきたそうだったから実はもうチケット買ってきてあるんだ」

俺は蒼星石の問いを無視して、ポケットの中から買ってきた旅行のチケットを蒼星石に手渡す。

「マスター?どうすればいいか…僕、わからないよ」
「蒼星石、俺と旅行に行きたいと言ったのは嘘かい?」
「いや……嘘ではないけど…勢いというか」
「なら勢いで旅行に出ても同じだろう?」
「でも…マスターに迷惑かけちゃうし」
「もし、だ!もし、俺が旅行に行きたいと言ったら蒼星石は見送ってくれるか?」
「それは……もちろん、マスターの一番したいことをして欲しいから、僕は喜んで見送るよ」
「それは俺の思いを汲んでだよな?」
「そのつもりだけど……」
「なら、ここまで策を弄して言質を取るような真似をしてまで蒼星石を旅行に連れ出そうとしている俺の気持ち…わかるな?」

蒼星石はハッとしたように目を大きく開いた後に顔を紅くして俯いた。
俺はその頭をぽんぽんと撫でてやる。

「俺と同じさ、愛され慣れてないから戸惑っているだけさ」

蒼星石は劣等感を強く抱きすぎている。自分のもつ魅力や価値にまったく無頓着である。
それ故に自分が愛される根拠が分からずに、与えられる愛情に怯えてしまっている。

「意地悪く言おうか?蒼星石は俺の親でいたいのか?」

蒼星石は無言で首を強く横に振った。まあ、この問いに対する答えは当然か。
これは単純に俺が安心したかったからに過ぎないと……思う。

「俺の気持ち分かるな……?」
「マスター……」
「俺の気持ちが分かるなら自分の気持ちを言ってくれよ」

俺の尊大な言い方を許して欲しい。しかし、これくらいの言い方のほうがお互いに気を遣わないで済む。
蒼星石は何度かためらったものの一つずつ単語を絞り出した。

「僕も……マスターと一緒に…旅行に行きたい…かな?マスターも行きたいと思ってくれるなら…」
「蒼星石との旅行は楽しみだな」
「退屈しても怒らないでね?僕はドールだからたくさん迷惑かけるよ…?」
「俺を誰だと思っているんだ?無策で旅行なんて言い出さないさ」

罠に嵌めたようなやり方になったが、蒼星石に自分の気持ちをさらけ出させるためには、
彼女のために気持ちを言うためのアリバイ工作が必要なのである。
彼女はまだ自分の気持ちを相手にさらけ出すことを恐ろしく拒絶している。
だからこそ俺は彼女の言葉を引き出すためにも、「俺が彼女に言わせている」というアリバイを彼女のために工作するのだ。
本当は俺を全面的に信用してくれたのであれば、俺に本心をさらけ出すことを怖がらないのだろうが。

それはともかくとして、こうして俺は蒼星石に「旅行に行きたい」という気分を雑誌によって誘発し、
その気持ちを口に出させるアリバイ工作を行うことで、彼女が進んで俺と旅行に行きたいのだと言わしめた。

旅行は一泊二日で伊豆方面に決めた。オフシーズンの平日であれば観光客も意外に少なく、また蒼星石が温泉に興味を持ったため、
平日に簡単に行ってこられる伊豆方面と決めた。
おそらく蒼星石が温泉に興味を持ったのは俺の疲れを気遣ってのことなのだろうが、あえてそれは口にはしなかった。

こうして俺は蒼星石と二人で何のしこりもなく旅行に行けることになった


……はずだった。




「カビ人間、暇ですから翠星石たちとババ抜きをするですぅ」
俺は窓際でうたた寝をしているのにも関わらず、翠星石がたたき起こさんばかりに俺のことを呼ぶ。
「翠星石…少しくらいは俺を寝かしてやろうという心遣いはできないのか」
この旅行のために前日までに多少無理をして仕事を片付けていた。開店休業しているような仕事ではあるが休むとなるとそれなりにやることはある。
「翠星石、マスターはぼくらのために仕事を無理していたんだ、だから電車の中くらい休ませてあげよう?」
さすがに蒼星石は優しいなと思ったが、翠星石が俺の向こうずねを蹴り続けるものだから、うたた寝もすっかり覚めてしまった。
「やれやれ……」
俺は体を起こすと翠星石と蒼星石の二人とババ抜きを始めた。

なぜここに翠星石がいるかって?
それはまた今度にお話しさせてもらおう。

とりあえず、今言えることは、この旅行が翠星石のためにめんどくさいことになりそうだなと言う予感だけだ。