俺は16歳になった頃には、蒼星石との奇妙な同棲生活に馴染んでしまっていた。
俺と蒼星石との生活はお互いが必要であり、お互いに居心地が良く、そしてお互いに都合が良かった。
蒼星石はこの世の中ではあまりに目立つ存在であるために、基本的に家の外には出れなかった。
ときどき、窓から外を眺めては退屈そうな表情を浮かべるのを見るに付けても、相変わらず俺は動揺しないではいられなかった。
不満があるように見えたにも関わらず蒼星石は家のことをよくやってくれた。
掃除洗濯にはじまって毎食の食事や裁縫、果ては生活のために内職までやり始めた。
今でこそ自分で働いてどうにか生計を立てている俺も、このころは蒼星石の内職の給料に大きく頼っていた。
世界が広いとはいえ、ドールに養ってもらっている人間なんて俺くらいなものだろうよ。
しかし、若さというのは無知で高慢なものだ。
このころの俺は蒼星石がそうしてまで俺を養ってくれることを、当たり前のことだとは思いこそすれ、感謝などほとんどしていなかった。
居候させてやっているのだからこれくらいは当然だろうと考えていた。今となってはおこがましさに顔が紅くなる。
ただ、ひとつだけ弁明するのであれば、この時の俺はただの子どもだったんだ。
自分では何もできない、ただの子ども。
子どもだからこそ全てが自分のものだと思いこめた。

そんな子ども時代の俺はある日何も考えずに蒼星石に詰問した。

「俺が死んだら…蒼星石はどうなるんだ?」
「やめてよ…縁起でもない、ね、マスター、悪い冗談はよしてよ」

蒼星石は内職の手を止め、俺の方に悲しそうな瞳を向けた。このころには彼女の視線にも随分慣れた。
しかしながら真っ直ぐな視線で非難されると思わず俺は怯んでしまっていた。
怯んだからこそ強がって自省した内容とはまったく反対のことを切り出してしまう。

「しかし…蒼星石は…つまりドール達は不死の存在だろう。それが正確でないにせよ俺より先に寿命が尽きることはない。
 つまりは俺との契約を破棄した後にまた新しく契約者を捜すことになるのだろう?望もうと望むまいが」

「確かにその通りだよ、マスター。マスターと契約する前に、契約していたマスターは確かにいたよ。」

蒼星石が詰問する俺に根負けしたように言う。俺を非難するような目を向けながら。
このころになると蒼星石とはもう半年以上一緒に暮らしていたので、俺が詰問するときは逆らいようがないのだと蒼星石にも理解できていた。
俺の詰問は「病気」みたいなものであった。詰問によって何かを得ようというのではなく、ただ突発的に疑問が口に出てしまうのである。
このことが理解されるまでには随分蒼星石に迷惑をかけてしまったがそれはまた別のお話として別の機会を譲ろう。
非難の目を向けられながらも俺はなお詰問を続ける。

「前のマスターは死んだのか…?」
「違うよ、僕が力を使いすぎてしまったから…僕が殺してしまわないうちに、契約を破棄したんだ」

蒼星石が苦しそうに吐き出した。その様子をみてさらに俺は追い打ちをかけたくなる。

「そうか…もし、俺と契約している間に、力を使いすぎて殺しそうになってしまったとしたら……構うことはない、吸い尽くせばいい」
「マスター!!」

蒼星石の非難はついに視線だけではなくなった。明らかに俺を呼ぶ声に非難の色がにじみ出ていた。

「まあ……アリスゲームなんて怒らないに越したことはないな」

蒼星石の非難に俺は負けた。言葉数が少ないときほど蒼星石を怖く感じることはない。

「アリスゲームはローゼンメイデンの定め…僕らはその定めに逆らうことは出来ないんだ…」
「しかし、この時代にはまだ他のドールがいないのだろう?」
「でも…僕がこの時代にやってきたということは、いずれは……」

蒼星石はレンピカにこの時代に自分以外のローゼンメイデンがいないか探らせていた。
人工精霊では手近なところしか探せないものの、蒼星石以外のドールはこの時代にはまだいないようだと半年の間に結論づけていた。
この事実は俺にとっても都合が良かった。
他のドールがいないということは少なくとも「アリスゲーム」が今は起こらないということである。
奇妙な同棲生活を続けるうちに俺は多少なり蒼星石に情が移っていたため、「アリスゲーム」が意図せず回避されている状況を喜ばしく思っていた。
また、あの凄惨なまでに散らかった薄汚い部屋での一人暮らしに戻されるのは、
温かい食事と心地良い生活を知ってしまった俺には耐え難いものに感じられたからだ。
俺の下らない詰問のせいで蒼星石が思い詰めてしまったのを見て「しまった」と心のなかで呟いた。

「僕のせいで何も関係のないマスターを、僕たちの宿命に巻き込んでしまうんだ」
「それは契約の前にちゃんと説明してくれただろ」
「だけど実際は僕が一方的に迫ったんです。僕のような存在を見れば人間はみんな混乱する。その混乱につけいれば契約は難しくない。
 きっとそんなふうに考えていたからこそ、僕は契約を一方的に迫ったんだ。…自覚の有無に関係なくね。
 利用する…だなんて思っていなかったけど、やっぱり利用しようと思っていたからこそ…こんな契約の仕方したんだよ」

蒼星石の表情がどんどんと暗くなる。表情の暗さと反比例して俺に対する非難の色は薄くなっていく。
蒼星石の非難の対象が蒼星石自身へと向けられていくのが、傍で見ていてあからさますぎるほどよく分かる。
ああ、そんな表情するなよ。俺に何を期待するんだい。お前のその表情は俺まで不安にさせる。

「俺はどうしたらいいか……わからないよ。」

素直に「ごめん」とでも言えば良かったのか。この日もそうだったが十代の俺は蒼星石に謝ったことはほとんど無い。
自分の非を認めて謝ることが何となく許せなかったし、蒼星石と対等であるためには謝ってはいけない気がした。

「そんな顔…しないでくれ。どうにもならないなら、その時考えればいいから。」
「ごめん…マスター」

俺とは対照的に蒼星石は俺によく謝った。
そして蒼星石が謝ると決まって俺たちは揃ってしばらく沈黙する。
沈黙することで全てをリセットするのだ。内心で何を抱えていようとも、お互いに未熟すぎたために問題を解決するのには無力すぎた。
だから、すべてを飲み込んでリセットするしかない。
もっとも、俺は忘れてしまえば良かった。俺の分まで蒼星石が飲み込んでいたから。


しばらくお互いに会話せずに好きなことをしていたが、日も暮れかかり夕食の頃合いになった。

「蒼星石、今日の夕ご飯は何かな」
「今日は……まだ何も考えてません」

蒼星石は内職手を辞めない。

(あらあら…機嫌を随分損ねてしまったかな)

あきれたように心の中では毒づいてみたが、蒼星石のそんな姿を見るとなぜか彼女の理不尽さに対する怒りと自分の行為に対する罪悪感が湧いてきた。

「そうか…」

罪悪感はやがて不安と変化した。居たたまれない思いが溢れてきた。
俺は小さくため息をついた。
すると、蒼星石が内職の手を止め、こちらを見た。

「マスター……何を怯えているの?」
「え…?」
「言ったでしょう?薔薇の指輪で僕たちの心は繋がっているんだ。マスターの心の状態はすぐに分かるよ」
「それは…随分悪趣味だな」

思わぬ蒼星石の「反撃」に俺はまた驚かされたので、思わず毒を吐いてしまう。

「もう……相変わらず口が悪いね。」
やれやれと蒼星石は首を振る。
「でも…誤魔化せないよ、マスター。何が怖いの…?」
「………」

俺は詰問することはよくあったが、詰問されることにはまったく慣れていなかった。
そのために蒼星石に問いつめられて沈黙する他はなかった。

「黙っていたらわからないよ…マスター」

やめてくれ、その視線は俺は苦手だよ。蒼星石のオッドアイから思わず顔を背ける。

「マスター、僕はどうしたらいいか…わからないよ。」

蒼星石はこちらにゆっくり近づいてきた。そして俺の手を掴んだ。
とても小さな人形の手…しかし、温もりは人のそれと変わらない。ああ、暖かいんだね。

「そんな顔しないで…マスター。どうしたらいいかは、その時考えよう?」

俺はなぜか目の前が霞んだ。目から涙がこぼれ落ちた。

「わわわ…ますたああああ!?」

思いがけない俺の反応に蒼星石は素っ頓狂な声を上げた。

「ご、ご、ご…ごめんなさい、マスター、ちょっと意地悪しすぎたよ…」
「え…?」

俺は自分が泣いていることに気がついていなかった。全然悲しくもなければ、泣きたいとも思っていなかったから。

「マスター…泣かせてしまって、ごめんなさい…」
「泣いているのか…俺?」

蒼星石に指摘されて俺は自分が泣いていることに気がついた。

「あれ…おかしいな……別に悲しくなんて無いんだ。ただ、暖かくて気持ちよくて…それで…」

悲しくないのに俺はだんだん言葉に窮してしまっていった。だんだん胸が苦しくなる。

「いや…わかって…ヒック…いるんだ…ヒック…俺のセリフ……真似したんだろ…?違うんだ…悲しいんじゃないっ」

もうどうにもならない。蒼星石のせいではないということだけは何とか伝えたが俺はむせびかえってしまった。
これでまた蒼星石が自分のせいだと思い詰められたら俺はどうしたらいいか、それこそ泣くに泣けない。

「マスター…うん、分かるよ」

珍しく蒼星石は自分自身のことを責めないように見えた。俺を気遣ったのか、それとも指輪から気持ちが伝わったのかは定かではない。

「嘲笑すれば……いいよ、こんな年甲斐もなくメソメソしている…男なんて気持ち悪いだろ…」
我ながら相変わらずの口の悪さだ。若さとは強がりでもある。
蒼星石は微笑して応える。
「あいにく僕はもっと口が悪くて素直じゃない人を知っているから…マスターの強がりなんてすぐわかっちゃうよ」
「うるさい…」

俺の声はもう力なんて入らなかった。仕方ないので蒼星石が握っていてくれた手に力を入れて、小さなその手を握りしめた。
蒼星石は相変わらずの微笑でこちらを見た。

「僕の手は…暖かいかい…?」
「ああ…」

珍しく素直に俺は頷いた。今自分が握っている手は本当に暖かく嘘をつく気さえも起こさせなかった。

「蒼星石」
「何?マスター」
「しばらく…握っていてもいいか…?」
「うん、僕もそのほうが安心できるからね」

蒼星石は俺の方へとゆっくりやってきた。そして隣に並ぶようにして腰を下ろした。
二人は手を繋いだまま横に並んでしばらく座っていた。
俺は相変わらず涙が止まらない。涙を止めようとしてみても、原因が分からないので涙を堪えようがなかった。
俺の涙を蒼星石は甲斐甲斐しくハンカチで拭いてくれた。
二人とも何も言わない。
いつも通りだ。いつも通り沈黙して飲み込むことですべてをリセットしたかった。
沈黙して、全てを飲み込んで、リセットしたかったけれども、俺は蒼星石の手が離せなかった。
彼女の手はとても暖かく大きかった。

「蒼星石の手は…温かいんだな」
「マスターの手もだよ」
「とても安心できるよ」
人形に俺は何を言っているんだ。少しだけ恥ずかしくなって視線を蒼星石からはずした。
「ふふ…ありがとう。僕はドールだからね…」
「いや…そうじゃなくて…さ」

蒼星石の言葉に俺は強く反発を覚えた。
ドールを愛でることで俺は安心したかったのではない。
しかし、実際はどうだ、傍から見ればドールを愛でることで心を落ち着けているようにしか見えない。

「いや…違うんだ」
イヤな焦燥感が俺の胸の中にこみ上げてくる。
「マス…ター…?」
思わず蒼星石の手を握る手に力がこもる。
「マスター、どうしたの…痛いよ…」
「あぁ…ごめん……」

冷静でない自分に気付いて俺は再びハッとする。

「その…俺は……違うんだ。」
「何が…?」
「別に…蒼星石を…ドールだからとかじゃなくて…蒼星石に安心するんだ」
「……ありがと、マスター」

なぜか蒼星石の顔が陰った。俺は堪らなくなって眉をしかめ、頭を垂れる。
視線を床に落とし俺は何も言えずに小さくなっていた。
すると、俺の頭を何か柔らかいものが触れた。

「……?」

俺は視線を少しだけ上に上げた。
すると、蒼星石が立ち上がり俺の頭を優しく撫でようとしていた。

「イヤだったかな…?マスター」
「いや…続けて欲しい」

俺は自分自身の言葉に驚愕した。しかしその驚愕以上に俺の得ている満足感は強かった。

「ふふ……マスター、可愛い。本当は僕がしてもらいたいのに」

それもそうだな、と俺は思う。
昔どこかの本で読んだがドールは人間に愛されたいそうだ。抱かれ、撫でられ、愛でられたいのだ。
俺はこの時まで一度も蒼星石を抱き上げたり、撫でてやったりしたことはなかった。
それにも関わらず、ドールに愛でられてしまっている自分は何とも滑稽思えた。
しかし、嘲笑よりも俺の表情には満足そうな微笑が浮かび上がってきた。

「マスター、涙止まったね」
「ああ…そうみたいだな」

短い言葉を交わす。俺の心の中に堪えきれない思いが募ってきた。
このとき初めて蒼星石に強い思いが芽生えた。
そのことに気付かずに蒼星石は俺の頭を相変わらず優しく撫で続けている。
俺の中に強い衝動が募ってくる。
堪え切れそうにない…。しかし、今初めてこの同棲生活に幸せを感じたからこそ、この衝動を堪えなければならない。

「マスター、少しだけ仲良くなれたかな」

蒼星石が満足そうな声で漏らした。
その声に俺の募ってきた思いは決壊し理性というものは意味をなさなくなった。
俺は顔を急に上げる。俺の頭にあった蒼星石の手は軽くはじき飛ばされる。

「マスター……?」

俺はこの時どんな顔をしていた?鏡でも見せてくれればあんな馬鹿なことをしなかったかもしれない。

「蒼星石!!」

俺は強く蒼星石の名前を呼んだ。

「な…なに?マスター…?」

若干蒼星石が怯えているようであったが、頭に血が上りきってしまった俺にはそんな蒼星石の様子を理解することも出来ない。

「蒼星石……頼む、俺を抱き締めてくれないか?」
「う…うん…」

思わぬ俺の依頼に蒼星石は体を少し固くした。しかし、蒼星石は主人に忠実だ。
俺におそれをなしながらもしっかりとその小さな腕と、体で俺のことを抱き締めた。
蒼星石の体温が彼女の体を通してしっかりと伝わってくる。
ああ…この暖かさなんだ…。
俺は蒼星石をギュッと抱き締める。

「きゃ…な…なにを…マスター…?」

蒼星石が普段は出さないような色っぽい声を出した。しかし俺の耳にはそんなことは届かない。
それほどに俺の理性は決壊してただ本能に突き動かされていた。
俺は黙って蒼星石の顔に自分の顔を近づける。
そして耳元でこう呟いた。


























「おかあさん…」













俺はまた泣いていた。
そしてそのまま強く蒼星石を抱き締めていた。
蒼星石はあまりのことにあっけにとられて沈黙してしまった。






この日の俺の一言は、今後十年にわたって俺と蒼星石を苦しめることになるなんて想像できなかった。
ただ、このときの俺は子どもだったんだ。何も知らない子ども。
愛されることも愛すことも知らない、ただの子ども。
足りないものを奪うことで埋めようとする、無垢で残忍なただの子ども。


補足:Ave Maria
訳は「めでたしマリア」
聖母マリアへの賛歌。