この時まだ俺は15歳の中学生であった。
たった15年しか生きていない、ただの無力で生意気なガキでしかなかった。
だからこそ目の前で無言で抗議する小さなドールに対して何も言えないでいた。

「蒼星石と言ったね、黙っていられても俺には何も分からないんだ」

沈黙に耐えきれなくなって俺が先に口を開いた。

「すみません、気が回らなくてごめんなさい」
「いや…謝って欲しい訳じゃないんだ。俺も悪かったしさ」

蒼星石の暗い表情を見て余計に俺はたじろいでしまう。
幾分、落ち着きを取り戻したとはいえやはり蒼星石のオッドアイには威圧されてしまっていたし、
表情の読めないこの小さなドールの言動がそれは恐ろしくみえた。
そして実は何よりもこの純真無垢な表情をしたドールに、非難の目を向けられることに良心が痛んだ。

「ごめんよ、蒼星石。俺はこういうときどうしたらいいか分からないんだ。」
「いいんです、僕が悪かったんです。」

蒼星石の声にはこのスパイラルを打ち切りたいという強い意志がこもっていた。
思わず俺は気圧されてしまう。

「あぁ…すまなかったね」
「…いえ、それよりも、僕と契約してくれますか。あなたを利用するようで申し訳ないのだけど、僕にはあなたの存在が必要なんです。」
「利用する…なんて言って悪かったな。」
「嫌みに聞こえましたか?」

暗い色をしたオッドアイがこちらに向けられる。

「気にしないでくれよ、話が先に進まない。」

俺は気圧されないように少しだけ口調を強くした。
そしてそのまま言葉を畳みかける。

「ちょうど、一人で退屈していたんだ。さっきの話だと、契約すればイヤでも一緒に暮らすことになる。」
「ええ…そうなりますね。身の回りのお世話は何でもして差し上げられます」
「俺としても願ったり叶ったりなのさ。こうして一人で暮らしているのも何かと大変だからね」
「一人…?」

俺が一人暮らしということに蒼星石は怪訝な表情を浮かべた。

「ああ、その表情の理由はよくわかるよ。」

俺は口を開こうとした蒼星石を制した。そして語気を強めて言う。

「見るからに子どもが一人で暮らしているのがおかしいのだろう?君がこの世界についてどれくらいの知識があるかは分からないけど、
この部屋の凄惨な状況で学生服を着たガキが一人暮らしと言えば、もはや答えは出ているだろう。」

饒舌に自らの身の上を語り出す俺に対して、蒼星石は明らかに狼狽のそぶりを見せた。
俺は蒼星石が怖かった。怖かったからこそ相手の狼狽を見のがさなかった。
相手の狼狽につけ込んでさらに畳をかける。

「そうだよ、ネグレクト、つまりは虐待だ。親から見放されたのさ。」

俺の絶叫に似た語りが終わると一瞬だけ静寂が部屋を包む。

「きっとご両親にも事情が…」蒼星石が言葉につまった。もちろんこの隙を見逃さない。

「子どもに親の事情など関係ないね。残った事実は生活の困窮と退屈だ。そうだ…君たちも『ローゼン』という父親に見捨てられているんだったな」
「!!!…お父様は……違う…!!!」

狼狽えていた蒼星石の語気が急に強くなった。その語気の変化に俺はハッと自分が酔狂しすぎたことに気付く。

「……親の心子知らずだ。もう一度聞く、ワガママなガキと契約するつもりかい…?」

俺は自分の言葉が信じられなかった。親を恨むことは未だかつて無かった。「仕方ない」で上手く飲み込めていたはずだった。
それなのに、このドール「蒼星石」の表情を見ていると思わず、叱責のことばを吐き出したくなってしまい、
また、自分の屈折した思いを吐き出すことに快感を覚えていた。
蒼星石はうつむいて少しだけ震えていた。しかし、しばらくすると俺にそのオッドアイを向けて力なくいう。

「僕には……他に行く場所は…ないから。お邪魔でなければ契約してもらえませんか」

俺には断る理由はない。オッドアイを恐れつつも、その恐れを悟られないように平静を装って俺は応える。

「もちろんだ。どうすればいいんだ?」
「僕の手の指輪に、誓いのキスをしてください。」

蒼星石は少し顔を赤らめながらそういうと、俺の前にその小さな手を差し出した。

「まさにメルヘンだな」
「ダメ…ですか」

蒼星石が不安げな目をこちらに向ける。俺はやはりその目が怖い。
その恐怖を誤魔化すように蒼星石の小さな手を取った。

「あっ…」

蒼星石の甘い声が漏れる。彼女の手は小さいながらもとても柔らかく暖かい。
俺は静かに膝をつくと、その小さな手に顔を寄せる。
手に顔を近づけると、その手が甘い香りをしていることに気がついた。
甘い香りを欲張りに吸い込みつつ、俺は彼女の指輪に口づけをした。
それと同時に俺の指先にほのかな暖かみが生まれ、心の中に何か居心地の悪さが生まれた。
蒼星石の手から唇を離し、暖かみを感じた自分の指先を見た。

「薔薇の…指輪?」
「これで契約完了です。ありがとうございます、マスター」

蒼星石が初めて微笑を俺に向けた。

「ますたあ……マスター?」
「ええ、契約者のことを僕らはマスターと呼びます。気に…いらないかな」
「いや、そんなことはない。些細な問題だ。呼びたいように呼んでくれれば構わないよ」
俺は急に自分との距離を詰めてきた蒼星石の思惑を測り損ねていた。
「ありがとう、マスター。僕にできる限りのことはするから……これからよろしくお願いします」
「ああ…ありがとう、蒼星石……さん」

なんて呼べばいいか聞いておけば良かったと心底後悔した。呼び方に躊躇したために激しく俺は動揺した。
そのことを見透かしては分からないが、蒼星石はクスッと微笑んでこういった。

「蒼星石でいいですよ、マスター。僕はあなただけのドールだから。」
「あなただけのドール…か」

俺はなんとなく決まりの悪さを感じて拭えなかった。
「蒼星石…」
「なんでしょうか、マスター」
俺のつぶやきに耳ざとく反応して、蒼星石が微笑しながらこちらに視線を向けた。
「いや……呼んでみただけさ。なんか、照れてしまうね」
「そうですか、僕は蒼星石と呼ばれるのが当たり前だから何とも思いませんけどね」
蒼星石は俺が言葉に窮していることを言い訳するようなセリフに対しても律儀に返答をしてくる。
蒼星石の返答は戸惑う子どもの俺に対する嫌みなのかと、このときは思った。
だからこそまだ子どもだった俺は少しでも優位に立とうとこんな命令をしてみた。
「蒼星石、見ての通り俺はただの中学生だ。敬語なんて使わないでくれ。気が参ってしまうし、舞い上がって自惚れそうだ」
「でも、マスターに対して…」
蒼星石の反応にしめたと思った。蒼星石はまだ自分に心を許してなんかいない。
きっと彼女は敬語を使って何とか俺との距離を保持しようとしているんだと、俺は考えた。
そこで敬語を使うなと言われ戸惑った蒼星石を一気に責め立てて自分が主導権を握ってやろうと考えた。
……今思えば馬鹿馬鹿しい浅知恵だ。
「馴れ馴れしすぎるかな?だけど、この狭い部屋で二人きりなのに敬語を使われたら気が滅入ってしまうよ」
しかし、このときの俺は必死だった。
何とかこの得体の知れない相手に対して良いようには流されないぞ…ってね。
しかし、子どもが考えるよりも世の中というものはずっと楽天的に出来ている。
「わかりまし……わかったよ、マスター」
蒼星石はニッコリと微笑んで明るく輝かせたオッドアイをこちらに向ける。
俺は思惑がはずれたことに唖然としてしまい、また彼女のオッドアイに怯えて視線をそらした。
「ああ、よろしくな蒼星石」
俺は完全に舞い上がっていた。こんな経験は初めてであった。
親が出て行った時であっても現実を冷静に受け止めることが出来た。
それにも関わらず、この小さな少女の数少ない言動に大きく動揺してしまっている自分がいる。

今になって思えば、「自分が必要とされる」ということが初めての経験であり戸惑っていたに過ぎない。
俺は蒼星石によって初めて「俺自身」を直視されたからこそ、俺は彼女の目が怖かった。
「いらない子」という色眼鏡で見つめられ続けてきた俺は、偏見のないまっすぐな視線が怖かったんだろう。

あとになって分かった話だが、人工精霊はドールと似た精神状況になる人間をマスターとして選ぶようである。
俺のような精神状況か……と、この話を聞いたときは苦笑したのだが、今思い返せばはっきりと彼女との類似点が分かる。
それは……。

蒼星石の視線から逃れるように俺は彼女に問うた。
「なあ、これからどうするんだ。アリスゲームが始まるのか?」
蒼星石はアリスゲームという単語に一瞬だけ身を強ばらせたように見えたが、それが思い違いであると言わんばかりに一層の微笑を見せて俺に応えた。
「いや……すぐにはアリスゲームは始まらないよ。まだこの時代に僕以外の他のドールが居るかも分からないしね。」
「それならば…もし他のドールが現れたら…」
「わからないよ」
話を打ち切らんとばかりに蒼星石が言った。
俺は釈然としない思いを抱えたままため息をついた。
申し訳なさそうに蒼星石はこちらを見た。そしてしばらく黙っていたが今度は彼女が先に口を開いた。
「ねえ、マスター。僕の鞄と同じような鞄はなかったかな?」
「いや…見ていないけどな。」
「そう……どうしたんだろう…」
蒼星石は顎に手をやる。すぐに彼女は眉をひそめ何かを考えているような面持ちになった。
「どうしたんだ?」
「僕は双子の姉の翠星石と一緒にこの時代に来たはずなんだ。だからマスターのところに一緒に翠星石の鞄があると思ったんだけど…」
「部屋はこのありさまだから、どこかに隠れてしまっているかもしれない、探してみようか」
「うん、ごめん、マスター。お願いします。」
蒼星石が申し訳なさそうな表情でいった。
相変わらず俺は蒼星石の表情の変化に気圧されて舞い上がってしまいそうだった。
しばらく衣類の山をかき分け、散らかり放題だった部屋の中を探してみたものの、蒼星石が入っていたのと同じような鞄は見つからなかった。
「ちょっと外を見てこようか」
俺は蒼星石の表情が曇っていくことに激しく動揺していた。逃げ出したいが為にこんなことを提案した。
しかし、蒼星石は諦めたようにかぶりを振って言った。
「ううん…彼女は彼女でどうにかできるはずだから…大丈夫だよ。迷惑懸けてしまったねマスター」
微笑して蒼星石は俺に謝罪の言葉を述べる。
「いや…それはいいんだが…」
(大丈夫だって顔してないじゃないかよ…)
言動が一致しない蒼星石を見るに付けてもやはり俺は言葉を失ってしまった。

蒼星石は今でも本心をないがしろにして心の奥にしまい込んでしまう癖がある。そのくせ嘘はつけないから、あからさまに言動に変化が出る。
気持ちと行動とが一致しない蒼星石を見るのは彼女と長く生活してきた今であっても、相変わらず苦手だ。

結局蒼星石が止めるのを振り切って、というよりも彼女と一緒にいることが居たたまれなくなって、俺は家の外へと出た。
蒼星石という同居者が増えたため食料を買いに行かねばならないことを口実として。
蒼星石は自分に気を遣わなくていいと言ったものの、あの部屋に二人きりで居ることのほうが俺のは気を遣いすぎてしまう。
「まあ…イヤではないけどな…。」
俺はぽつりと呟いた。少しだけ独り言に顔が紅くなった気がした。
買い物は近くのスーパーで簡単に済ませる。今夜はカレーで良いだろう。
道すがら蒼星石の居たような鞄がないか注意深く見て歩いたものの、あのような時代錯誤な鞄は見あたらなかった。
「帰ったらまた蒼星石がイヤな顔するかね…」
俺は家の前の扉まで来て気が重くなった。しかし、立ちつくしているのも馬鹿馬鹿しいので玄関の扉を開ける。
「あ、マスター。おかえりなさい」
扉を開け、中に入ると小さい影がこちらに駆け寄ってきたのがわかった。
ああ、蒼星石は夢じゃないんだな…とこのときやっと実感できた気がした。
「ただいま、蒼星石」
生まれて初めてただいまといったかもしれないなと思ったら、なんだか顔が熱くなった。
「マスター、荷物は僕が持つよ。」
「いや、大丈夫だよ。気にしないで中で座っていてくれ……って、嘘だろ?」
俺が愕然とした理由。家を出るときまでは凄惨だった我が家が几帳面に整理整頓されていたのだ。
「蒼星石がやったのか…?」
「ごめん…勝手にやって迷惑だったかな?」
「いや……あれだけ散らかっていたから大変だっただろうと思ってね」
迷惑じゃないかと卑下されたのではまたこちらの気が滅入るので多少大げさに蒼星石に応えた。
すると蒼星石は少しだけ嬉しそうな表情を見せた。そうだ、その表情のほうがまだ居心地が良い。
「大変なんてことないよ。マスターのためになら全然苦痛にならないから」
「そうか…助かる。でも、お手伝いさんではないからあまり気を遣わなくていいからな」
「わかった。気をつけるよ。でも僕にできることがあれば何でも言ってね」
蒼星石は随分と嬉しそうに見えた。俺としても機嫌良くいてくれた方が都合がよい。
(彼女は何か頼んだほうが機嫌良くいてくれるのかな…?)
こんなことを思うのはやはり子どもの思考の浅はかさであろう。
「蒼星石、今日は俺が夕ご飯を作って御馳走しようかと思ったんだが、せっかくだからお願いしてしまおうか、いいか?」
「もちろん、喜んで。僕の料理がマスターの口に合うかは分からないけど、精一杯作るよ」
俺の期待したとおり蒼星石は嬉しそうに応えた。俺は自分の企てが上手くいったことに一息つくと、今買ってきたカレーの材料を蒼星石に渡す。
「マスター、この材料だと今日はカレーにするつもりだったのかな?」
「ああ、そうだよ。でも好きなものを作ってくれて構わないよ、……といっても材料はそれしかないがね。」
苦笑して俺は言った。中学生が一人で暮らしていれば、インスタントばかりの食事になってしまい、材料なんてものを買うのは久々だった。
「ありがとう、マスター。カレーは僕も好きだし、二人で食べるにはちょうど良いね」
スーパーの袋を抱えて蒼星石は台所に入っていった。
その姿を見送ると俺は今日が入試であったことを思い出し、一日の疲れがどっとぶり返した。
「すまない、蒼星石。飯になるまで寝てるから、できたら起こしてくれ」
俺は床に横になりながら蒼星石に叫ぶ。
「分かりました、マスター。」
台所からの声が遠くに聞こえた。
俺のまぶたはどんどん重くなり、ついには瞳を閉じた。
しかし、耳はしっかりと台所から聞こえてくる音を感じていた。
その音はとても居心地が良かった。

結局この日は当初の予定通りカレーになった。ただ、作り手が俺ではなく蒼星石になった。
蒼星石のカレーはとても懐かしい味がした。
その懐かしさはカレーの味ではなく、もっと曖昧で、暖かい、何か…。

しかし、その懐かしさは俺の思い違いであった。
この思い違いに気がつけないのは……結局俺は子どもだったのさ。
何も知らない子どもは無知故に残酷なことをしてしまう。