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「歩こう」(2007/02/01 (木) 00:09:16) の最新版変更点
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たまにはどこにも行かず、二人でゆったりと映画鑑賞にしゃれ込む。
そんな休日。
蒼星石のマスターがレンタルショップから借りてきたDVDを取り出し、セットした。
蒼:「どんな映画なの? これ」
蒼星石の問いに、マスターがDVDのパッケージの宣伝文句に目を通しながら答える。
マ:「一人の男の、波乱な人生を綴った感動巨編だって。割と評判いいぞ」
蒼:「ふーん」
やがて映画が始まった。
二時間後……
テレビ画面にはエンドロールが流れている。
マスターが言ったとおり、一人の男の、子供時代から老人時代までの波乱万丈な一生を収めた作品だった。
マ:「なかなか面白かったな」
マスターは満足そうにDVDを片付け始めた。
蒼:「……」
マ:「どうした? 面白くなかった?」
蒼:「ううん、面白かったよ。でも…」
マ:「でも?」
蒼:「最後、主人公の男の人、死んじゃったよね。お爺さんになって」
マ:「ああ、まぁ……死んじゃったな。でも天寿を全うできたんだから、いい終わり方だろ」
映画の主人公は、時に訪れる数奇な運命に真っ向から挑み、時に笑い、時に涙し、
時に愛され、時に憎まれ、時に倒れ、時に起き上がり、最後は満足しながら老衰を迎えたのだった。
まさに感動巨編の名に恥じない名作と言える作品だった。
蒼:「……」
しかし、蒼星石の表情はすぐれない。
いったい、蒼星石はこの映画から何を感じ取ったのかだろうか。
マ:「えーと、次は」
そんな蒼星石を慮ったのか、マスターは次のDVDを取り出した。
マ:「これは面白いぞ。傑作コメディーだ」
蒼:「マスター、知ってるの?」
マ:「ああ、昔見たことあるんだよ。ぜひ蒼星石にも見せたくてね。借りてきたんだ」
蒼:「ふ、ふふ……あはは!」
マ:「はっはっはっ」
マスターの借りてきたコメディー映画は、先程の蒼星石の暗鬱とした表情を見事晴らした。
蒼:「おかしいっ」
蒼星石の楽しそうな表情に、マスターはホッと胸をなでおろす。
その日の深夜。
蒼星石は夢を見た。
森の中、マスターと蒼星石が道を歩いている。
蒼星石はマスターの顔を見上げた。
マスターはニコニコしていた。
道中、一輪の花が咲いているのを見つけた。
マスターが花の傍らで立ち止まり、二人でそれを見やる。
そして、二人は互いに顔を見合わせると、にっこりと微笑み合った。
ある時。
蒼星石がマスターの歩くスピードについていけず、遅れ気味になった。
マスターは立ち止まって蒼星石が追いつくのを待った。
蒼星石が追いつくと、二人は手を繋いだ。
そして、再び歩き出した。
空が曇り、雨が降ってきた。
マスターは蒼星石を抱きかかえ、木の下で雨宿りを始めた。
蒼星石が濡れないよう、凍えないよう、マスターはしっかりと蒼星石を抱き包む。
蒼星石はすまなさそうにマスターを見上げた。
マスターは蒼星石に微笑み、愛おしそうに頭を撫でた。
二人は森の中を歩き続けた。
時にマスターは蒼星石を抱っこしながら。
時に二人並んで手を繋ぎながら。
ある時、ふと、蒼星石はマスターを見上げた。
マスターは相変わらずニコニコしていた。
だが、マスターの顔に、見慣れないシワが数本、刻まれていることに気付いた。
マスターが蒼星石の視線に気付き、にっこり笑った。
蒼星石は慌ててマスターから目を逸らした。
二人は森の中を歩き続けた。
雨の日も、風の日も、時に雷鳴が轟く日などもあったが、その度に立ち止まり、
休憩し、励ましあい、ただその時が過ぎ去るのを待った。
二人は延々と森の中を歩き続けた。
だが退屈はしなかった。
蒼星石にはマスターが、マスターには蒼星石がいるから。
ある時。
マスターは抱っこしてた蒼星石を下に降ろした。
まだ抱っこして歩き始めてから少ししか経っていないのに。
マスターは額に汗を浮かべ、荒く息をついている。
蒼星石は心配げにマスターを見上げた。
マスターは、ばつが悪そうに、微笑んだ。
それ以来、マスターが蒼星石を抱いたまま歩くことは無くなった。
二人は手を繋いで歩き続けた。
いつしか、マスターの顔に刻まれたシワの数と深さは顕著になり、背筋も曲がっていた。
蒼星石がマスターを見上げた。
マスターは『どうした?』と微笑み返した。
蒼星石も微笑み、『なんでもない』と首を振った。
ある時。
マスターが蒼星石の歩くスピードについていけず、手を引っ張られてしまった。
たまらず片膝をつくマスター。
蒼星石は慌ててマスターに駆け寄った。
マスターは息を整え、再び立ち上がった。
その時から、蒼星石はマスターの歩幅に合わせるよう、ゆっくりと歩くようになった。
二人は手を繋いで歩き続けた。
休憩を挟むことが頻繁になったが、それでも着実に前へと進んだ。
そして、ついに。
マスターが立ち止まり、前方を指差した。
指差すほうへ蒼星石が視線を向ける。
森を抜けた先に、花畑が広がっていた。
花々の鮮やかな色彩に、一瞬目を輝かせる蒼星石だったが、
急に色を失い、心配げにマスターを見やった。
マスターは蒼星石に微笑み、歩みを再開させた。
しかし、蒼星石は歩こうとしない。
そればかりか、繋いでる手を引っ張ってマスターの歩みを止めようとした。
なぜだかわからないが、蒼星石は胸騒ぎがしていた。
マスターは振り向き、蒼星石の前で屈んだ。
そして、俯く蒼星石の頭を愛おしげに撫でた。
すっかり肉が痩け、ゴツゴツした老人の手で。
マ:「歩こう」
嗄れ声でマスターは言った。
そして優しげに微笑む。
そのいつまでも変わらない微笑みが、蒼星石の不安をかき消した。
蒼星石は意を決して歩みを再開させる。
再開するより他無いのだから。
蒼星石とマスターは森を抜け、花畑に足を踏み入れた。
ついに終着点に辿りついたのだ。
感無量の面持ちで蒼星石はマスターの方を向い……
マスターはいなかった。
蒼星石は辺りを見渡した。
ついさっきまでマスターと手を繋いでいたのに……
マスターばかりか、たった今抜けたばかりの森も消失していた。
何が起きたのかわからず、茫然自失する蒼星石。
蒼星石はもう一度、辺りを見回した。
言いようの無い喪失感が、蒼星石の心を蝕み始めた。
居た堪れず、蒼星石は駆け出そうとし…
その瞬間、何か硬いものがつま先にぶつかった。
足元に目を落とす。
草花の間に何かが転がっている。
目を凝らす。
そこには……骨が。
人間の骨が。
頭蓋骨。
……マスター
蒼星石は絶叫した。
蒼星石の悲鳴に、マスターが跳ね起きた。
マ:「なんだ、なんだ!?」
マスターは急いで蒼星石の眠る鞄を開ける。
そこには涙を流して震える蒼星石がいた。
マ:「また怖い夢でも見たのか?」
蒼:「う、あ、ああ」
酷く怯えているようだ。
マスターは蒼星石を抱き上げた。
マ:「もう大丈夫だからな。大丈夫」
まるで夜鳴きした赤ん坊をあやすように、マスターは蒼星石をあやした。
蒼星石はマスターの胸の中で咽び泣いた。
マ:「どうした、お前がこんなに泣くなんて」
マスターの問いにも、肩を震わせて咽び泣く蒼星石の耳には入ってないようだった。
しばらくそのまま、マスターは蒼星石をあやし続けた。
けれでも一向に蒼星石は泣き止まない。
マスターはすっかり困ってしまった様子だった。
マスターは蒼星石を抱いたままキッチンへ連れていった。
蒼星石を食卓の椅子に座らせ、何やらごそごそと用意し始める。
マ:「ほれ、これ飲めば多少、落ち着くぞ」
マスターはホットミルクを差し出し、蒼星石の隣に座った。
マ:「なぁ、いい加減泣き止めよ。たかが夢だろう?」
蒼:「う、うう、ひっく、夢なんかじゃ、ない…」
マ:「? どゆこと?」
蒼:「う、うう…マスターが…ひっく」
マ:「俺が?」
蒼:「いなくなっちゃうんだ、う、ううう。ぐす」
マスターは小さく溜め息をついた。
マ:「俺はどこにもいかないよ」
蒼:「違う! マスターは、いなくなっちゃうんだ…」
マ:「?」
蒼:「歳を取って、お爺さんになって、そして……いなくなっちゃうんだ…う…うっう、ひっく」
マスターは、今日観た、男の一生を綴った映画を思い出した。
マ:「俺が年老いて死ぬ夢でもみたのか?」
蒼星石は泣きながらコクンと頷いた。
マ:「別に、俺は今すぐ死ぬわけじゃないだろう?」
蒼:「マスターは歳を取っていくのに、僕は、そのままだった…」
マ:「……」
蒼:「年老いてくマスターを、僕はただ見てるだけしか出来なかった……」
マ:「…老いはどうにもならない。蒼星石は何にも悪くないよ」
蒼:「でも、いやだよ……」
泣き止むかに見えた蒼星石は再び泣き始めた。
マスターは考えた。
蒼星石は今まで幾多のマスターと死別を繰り返してきたはずだ。
その悲しみが募り、今爆発してしまったのだろうか。
蒼:「うっう、せめて、僕もマスターと一緒に歳を取りたい。人間になりたいよ」
マ:「蒼星石」
蒼:「マスター…うっう、ぐす…」
湧き上がった感情を抑えきれず、マスターは蒼星石を抱きしめた。
マ:「蒼星石、実は……」
喉まで出掛かった言葉を、マスターは慌てて飲み込んだ。
一呼吸置き、言葉を紡いでいく。
マ:「蒼星石、いつか死が、俺らを分かつ日がやってくるのは……確かだろう。
俺だって、それを考えたら、そりゃ、怖いし、悲しい。
でもな、しょうがないことなんだ」
蒼:「そんなのやだよ…」
マ:「しょうがないことなんだよ、蒼星石。しょうがないことなんだ」
蒼:「うっ、う」
マ:「だから、だからさ、そんな悲しいこと考えてる暇があったら、
二人でたくさん思い出作ってだ。
なんて言うかさ、限られた時間をな、あー、なんて言うんだ?
有益に使うことに……
そう、有益に使うことに……専念した方が遥かにいいと思わないか?
だからさ、こう、なんだ、出来る限りイチャイチャしてさ。
あ、いやいや、何しろ、時間は限られてるわけだろ?
だからさ、あー、なんて言えばいんだ」
蒼:「マスターの言いたいこと、なんとなくわかるよ」
マ:「そうか、よかった…」
マスターはホッと息をついた。
蒼:「……僕、もしかして、マスターを…今、もの凄く困らせてる…?」
マ:「ちょっとね」
マスターは照れくさそうに微笑んだ。
蒼:「…ごめんなさい、マスター…」
マ:「いいんだ。いいんだよ。…これも後で、いい思い出になるんだからさ…」
マスターは、より一層強く蒼星石を抱きしめた。
終わり