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冬のキャンプ」(2007/02/01 (木) 00:15:33) の最新版変更点

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   俺は車に蒼星石を乗せ、雑木林が辺りに広がる道路を延々と走っていた。    さて    助手席に座ってる蒼星石に声を掛ける。 マ:「やっとこさ着いたぞ。ほら、あの湖だ」    たった今、視界に入ってきた湖を指差す。 蒼:「大きな湖だね」    今日は蒼星石に、日本の冬の自然を楽しんでもらおうと、はるばる山奥の湖まで遠出したのだ。    山奥の湖といっても、地元の観光名所として機能させるためか、駐車場やトイレなどの    必要最低限の設備は揃っている。    駐車場に進入したが、俺らの他に車は見当たらなかった。    車を停め、俺と蒼星石は降車する。 蒼:「うう~ん、空気が美味しいや」    地に足を付けるなり、さっそく胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む蒼星石。    俺はトランクからキャンプ用具一式を取り出していた。 蒼:「僕は何を持っていったらいいかな?」 マ:「そうさな。じゃあこれ」    俺は今日の昼食が入ったバックを蒼星石に渡し、残りの荷物を両手に持った。 マ:「さ、行くべ」    テクテクと枯れ草の生い茂る緩い土手を下っていく。    そして湖のほとりから10数メートルほど手前のところで マ:「よし、ここらにテント張ろうか」 蒼:「そうだね、ここからなら湖のほとんど見渡せるし」    そう決まるや、さっそくテントの設営に取り掛かる俺と蒼星石。    荷物から用具一式を取り出す。 マ:「ペグ打つからここ押さえててくれ」 蒼:「うん」    蒼星石とキャンプに来てテントを張るのはもう一度や二度ではない。    蒼星石もすっかりテントの張り方を心得たもので、あっという間に設営は完了した。    その後、荷物を配置し終えると、俺は携帯式コンロを地面に設置して湯を沸かし始めた。    蒼星石は辺りを見回している。 蒼:「マスター、湖に鳥がたくさんいるね」 マ:「今のシーズンは特にな。渡り鳥達の越冬地として賑わってるんだよ。    で、バードウォッチング用に……」    俺は双眼鏡を荷物から取り出し、蒼星石に渡した。 蒼:「あ、これ新しく買ったの?」 マ:「ああ、俺の双眼鏡じゃ蒼星石にはちとデカイからねぇ。    デパートで幼児用の小さい双眼鏡が売られてたから思わず衝動買いしちゃったよ」 蒼:「そんな、僕のためにわざわざ……ありがとうっ。高くなかった?」 マ:「そうでもないよ。んで、視度調整とピント調整は……」    使い方を教えると、さっそく蒼星石は双眼鏡で湖のほうを覗き込んだ。 蒼:「わぁ、よく見えるよっ、マスター!」    高かったからな。そりゃあ、よく見えてくれないと困る。 蒼:「♪」 マ:「へへっ」    蒼星石の嬉々とした姿に、自然と俺の心も弾む。    さて、湯が沸いた。 マ:「昼食にしよう。バードウォッチングはその後だ。蒼星石はお茶がいいよな?」        蒼星石が朝作ったサンドイッチを食べ終わり、いよいよバードウォッチングを始めることとなった。    湖のほとりの枯れ草の生えた所に鳥達から身を隠すように陣取り、折りたたみ式の椅子を設置する。 マ:「蒼星石、俺に膝に座りな」 蒼:「いいの?」 マ:「少しでも目線高い方が見やすいだろう」    俺は蒼星石を持ち上げて膝に座らせた。    蒼星石の顔を覗き込む。 マ:「あと、この方があったかいだろ?」 蒼:「うん、これならマスターに包まれてるから寒くないや。へへ」    寒い冬の湖で、体の小さい蒼星石が凍えないための配慮だ。    決して、蒼星石と密着したいからとかそういう下心からではないぞ。うん。    そして俺は蒼星石にバードウォッチングをするうえでの注意を促す。 マ:「ありのままの鳥の生態を観察するわけだから、鳥達には気付かれないよう、こっそりと観察な」 蒼:「(わかったよ、マスター)」    急に声を潜めだす蒼星石。    俺は苦笑交じりに マ:「この距離なら普通に声出したって鳥達に気付かれないって」 蒼:「それもそうだね」    蒼星石は少し照れ臭そうに微笑んだ。 マ:「じゃ、ぼちぼち観察始めっか」 蒼:「うん」    俺は自分用の双眼鏡を覗きこみ、ピントを調節しつつ目を凝らした。    双眼鏡から覗く先では多くの水鳥達が水面を賑わせていた。    その多くは越冬のため日本に飛来したカモ類達だ。    毛繕いやエサを取るのに勤しんでるものもいれば、ただフラフラと漂ってるだけのやつもいる。    水辺を歩いてるシギ類やサギ類もちらほらと見える。    まこと長閑な光景だった。    ひとしきり湖を見渡した後、膝の上の蒼星石はどうしてるかと見やる。    蒼星石は、俺が用意したポケット鳥類図鑑を片手に、それと湖の鳥達を    交互に見比べながら観察を続けていた。    勤勉な姿に感心しながら見てると 蒼:「どうかした、マスター?」 マ:「あ、いや。あんまり熱心に見てるからさ」 蒼:「ふふ、勉強になるし、鳥さんたち可愛いからね。    特にあの…マガモが餌を取るときに、水面にお尻だけ出してヒョコヒョコさせてるのがとっても可愛い♪」    話してる最中、蒼星石の笑みは絶えなかった。    早くもバードウォッチングを満喫してくれてるようだ。 蒼:「マスター、あそこでカモが喧嘩してるよ」 マ:「どれどれ」    蒼星石が指差す方に双眼鏡を向ける。    確かに二羽のカルガモ同士がバタバタと羽をばたつかせてるのが見えた。 マ:「ほんとだ。喧嘩してるな」    だがそんなに激しい喧嘩には見えない。 マ:「二羽ともまだ幼鳥のカルガモだな。たいした喧嘩じゃなさそうだ」    二人で見守っていると、やがて二羽のカルガモはお互い何事も無かったように泳ぎだした。 蒼:「兄弟喧嘩だったのかな?」 マ:「かもしれんな」    さっそく蒼星石はポケット図鑑のカルガモの頁を開き、目を通している。 蒼:「へぇ、日本のカルガモは渡りをしないんだ」 マ:「ああ。渡りをせず、日本で子育てするから、夏場に来ればカルガモの親子を見れるぞ。    ちっちゃな雛鳥達が一生懸命、親鳥のあとに付いていくんだ」 蒼:「へえ~、それはぜひ見てみたいなぁ」    そんな風に会話を弾ませながら観察を続けていく。 蒼:「マスター」 マ:「なんだ?」 蒼:「あの鳥の名前なんていうんだろ。図鑑に載ってないんだけど」 マ:「どこにいる?」 蒼:「ええと……、あそこにいる…」    蒼星石は双眼鏡を覗き込み、ある一点を指差した。    俺も双眼鏡でその方向を覗く。 マ:「どこだ? 何もいないぞ」 蒼:「ほら、林の方にいる」    どこだ?どこだ? マ:「一羽だけか?」 蒼:「うん、一羽だけ」    うぐぐ、見つからんぞ。 マ:「どこだ?」 蒼:「あそこだよ、木にとまってる」 マ:「何色だ?」 蒼:「茶色っぽいよ、首に模様がついてて…」    必死こいて探すが見当たらない。    どこだどこだどこだ。 蒼:「あっ、あー、飛んでちゃったよ、もう……」 マ:「………」 蒼:「でもしょうがないか。小さな鳥だったし」 マ:「……ありゃあ、オガワコマドリだ…」 蒼:「えっ?」 マ:「すげぇな…、こんなとこで見れるとは」 蒼:「マスター、見れたの?」 マ:「ああ、飛び立つ瞬間をなんとかな。しかし驚いた。滅多に見れる鳥じゃないんだが」 蒼:「珍しいの?」 マ:「ああ、珍しいぜ。新聞に載るくらい珍しい」 蒼:「えぇっ」 マ:「いっや~、さすが蒼星石っ! よく見つけれたなぁ!」 蒼:「(マスター、シー!、シー!)」 マ:「あ、すまんっ」    興奮のあまり、いきなり大声を上げたもんだから水辺の鳥達が驚いて飛び去っていってしまった。 マ:「ありゃりゃ」 蒼:「あーあ、他の鳥も飛んでちゃった。…でも、そんなに珍しい鳥だったんだ、今の」 マ:「ああ、世の愛鳥家が羨むぜ?」 蒼:「そうなんだ……」 マ:「へへへ」 蒼:「ふふ」    俺につられるように蒼星石も笑った。 マ:「さて、鳥達も飛んでちゃったし、俺達もそろそろ場所移動するか。    対岸側の林の中行ってみよう。またオガワコマドリ見れるかもしれんし」           俺と蒼星石は湖の縁に沿って歩き、対岸側の林の中へ踏み入った。    林の中はうっすらと雪が降り積もっていた。 マ:「夏より冬の方が、木から葉が落ちてる分、鳥を見つけやすいんだよ」 蒼:「なるほどね」    シャリシャリと、俺と蒼星石は薄い雪を踏みしめながら進んでいく。    数分ほど進んだところで蒼星石が口を開いた。 蒼:「鳥、いないね」 マ:「うむむむ」    ここまで鳥は一羽も見当たらなかった。    それでも根気良く林の中を進んでみたが、相変わらず鳥の気配はまったくしない。 蒼:「かなり歩いたよ。そろそろ引き返したほうが…」 マ:「いや、待て」    俺は口元に人差し指を立てた。 蒼:「?」    かすかに聞こえる。鳥の鳴き声だ。    この鋭い鳴き声は…… マ:「(こっちだ)」 蒼:「(マスター?)」    俺は蒼星石を抱き上げ胸に抱えると、鳴き声がする方向へ足早に進んだ。 マ:「(鳥の鳴き声、聞こえるか?) 蒼:「(うん。今聞こえた)」    やがて鳴き声に加え、せせらぎも聞こえてきた。    そして渓流を発見した時には、鳥の鳴き声もはっきりと聞こえるようになっていた。    俺は蒼星石を抱っこしたまま、渓流から3メートルほど離れた古木の根元に屈んだ。    チーッ、チーッ、チーッ               蒼星石は辺りを見回す。 蒼:「(鳴き声はするけれど、姿が見えないね……) マ:「(ほら、あそこ)」    俺はゆっくりと渓流の向こう側に立つ木の上方を指差した。    そこに鳥がいた。カワセミだ。    蒼星石も俺の指差した方向に顔を巡らせ、カワセミの存在に気付く。 蒼:「あっ、…もごっ」    俺は慌てて蒼星石の口を塞いだ。 マ:「……」 蒼:「……」    息を潜め、カワセミの様子を窺う蒼星石と俺。    見守ること数分。    渓流に潜む魚を捕らえる瞬間を見せてくれないかと期待したが、    俺の思いも露知らず、やがてカワセミは鳴き声とともに渓流とは反対方向に飛んでいってしまった。    俺と蒼星石はまるで金縛りから解かれたように口を開く。 蒼:「今のって、カワセミだよね? テレビで見たことあるよ」 マ:「ああ。またしてもいいもん見れたな」    俺は立ち上がった。    そして元来た道を引き返す。 蒼:「マスター。僕、下ろしていいよ?」 マ:「抱っこしたついでだ、このままでいいだろ?」 蒼:「マスターがそう言うなら、じゃあ、このままで…」 マ:「ところで蒼星石、カワセミって漢字でどう書くか知ってるか?」 蒼:「えっ、うーん……小川の『川』に虫の『蝉』で、川蝉とか?」 マ:「正解。鋭いねぇ。くんくん顔負けの推理力だな」 蒼:「え、そんな、適当に言ってみただけだよ」    俺の胸の中で蒼星石ははにかんだ。 マ:「でもな、カワセミは他にも別の漢字の書き方があって、『翡翠』とも書けるんだよ。    まんま宝石の『翡翠』な。    宝石の翡翠の名はカワセミの背中の模様の色からとられたとも言われてるんだ」 蒼:「へぇ、よく知ってるね」 マ:「まぁな。だから『翡翠』繋がりで翠星石の鳥と言えるかもな、カワセミは。」 蒼:「翠星石の鳥かぁ」    そうしてカワセミ談義に花を咲かせながら数分ほど    歩いたところで、蒼星石が辺りを見回した。 蒼:「それにしても、冬の林ってなんかこう、寂しいね。生き物が全然いなくて」 マ:「そうか? いないようでけっこういるもんだぞ」    朽木の傍に横たわっている石の前で屈み、蒼星石を降ろす。    そして目の前の石を少しだけ、そっとどかしてみた。 マ:「いたいた。ほら」    石の地面からあらわになった部分には大量のテントウムシがびっしりと張り付いていた。 蒼:「わぁ…」    見せてから思ったが、女の子にはちとキツイ光景か? 虫の集団の光景というのは。    しかし蒼星石はまじまじとテントウムシの集団を見やっている。    なにやら感慨深げだ。    庭師の蒼星石とってはテントウムシはけっこう縁深い昆虫なのかもしれない。    アブラムシとかの害虫食べてくれるしな。葉っぱ食い荒らすやつもいるが。 蒼:「みんな、互いに寄り添ってるね……。全然僕たちから逃げようとしない。死んでるみたい」 マ:「冬眠だからな。それぐらい深く眠らないと、冬を越せないんだろう」    ひたすら寒さに耐え、春の到来を待つテントウムシ達を、蒼星石はより一層感慨深げに見やった。 蒼:「……必死に生きてるんだね」    そして蒼星石は俺の方を振り向き、 蒼:「マスター、いつまでも冷たい空気に晒してたらこの子たち可愛そうだよ」 マ:「おっと、そう言われりゃそうだな」    俺はそうっと石を元の位置に戻した。    再び湖へ戻った俺と蒼星石。 俺の不注意で飛散させてしまった鳥達もすでに湖に戻っていた。    再びバードウォッチングに興ずる。    蒼星石は熱心に双眼鏡で湖の鳥達の観察を続けてたが、そろそろ日が暮れるな。 マ:「蒼星石、暗くなる前に夕食済まそう」 蒼:「うん、そうだね」    蒼星石は素直に従った。    テントのところまで戻り、準備に取り掛かる。    準備といっても大したことはしない。    小型ガスコンロで鍋に湯を沸かし、あらかじめ家で調理しといた    材料や調味料を投下していくだけだ。    あっという間にキムチ鍋うどんは完成した。    レジャーキャンプの食事にしては質素かもしれないが、二人しかいないし、    この冬の情景に対してバーベキューやら派手な食事の風景はミスマッチだ。    蒼星石の器に盛ってやる。 マ:「ほい」 蒼:「ありがとう。いただきます」 マ:「いただきまーす」    ふぅふぅ言いながらうどんを啜る蒼星石と俺。 蒼:「美味しいっ」 マ:「うんむ、美味いし、あったまるな。寒い冬空の下で食べるうどんは最高だ」 蒼:「まったくだね」    食事と片付けを終えた頃には、辺りはもうすっかり夕闇に包まれていた。 蒼:「さすがにもうバードウォッチングは無理だよね?」 マ:「この暗さじゃな。さ、もうテント入って休もう」    蒼星石と俺はテントの中に入り、ランタンを吊り下げて点す。    そして二人とも腰を下ろした。 マ:「寒くないか?」 蒼:「ちょっと寒いかな」 マ:「こっちにおいで」 蒼:「うん…」    蒼星石は胡坐をかいてる俺の脚の上に座った。    毛布を取り出して自分の体ごと包んでやる。    蒼星石は顔だけ出してる形だ。 蒼:「なんだか、ここにきてからマスターと密着してばっかりだね」 マ:「いやか?」 蒼:「ううん。とってもあったかくて…いいよ」    蒼星石は目を閉じた。リラックスしてくれてるようだ。 蒼:「林で見たテントウムシ達と一緒だね、今の僕達。寄り添って、あったまって」 マ:「そうだな」 蒼:「マスターもあったかいよね?」 マ:「もちろん」 蒼:「よかった」 マ:「どうだ、冬のキャンプは?」 蒼:「夏には見れなかった冬の自然の姿が見れて楽しいよ。マスターは楽しい?」 マ:「そりゃ楽しいさ。ちと寒いが、夏と違って蝿や蚊がいなくてその点は快適だしな」 蒼:「マスターは現実的だね」 マ:「そうかなぁ」 蒼:「ふふ」    他愛の無い会話の他にも、図鑑を引っ張り出して二人でそれを眺めながら、    この鳥は見れた、この鳥は見れなかった、この鳥の生態はなどと、いろいろ語り合った。    そうしてしばらく後、明日早朝にまたバードウォッチングをするため、    俺と蒼星石は早々に眠りにつくことにした。    隣で眠りにつこうとしてる蒼星石に声を掛ける。 マ:「本当に鞄の中寒くないのか?」    蒼:「うん、この鞄は完全に寒さを防いでくれるから大丈夫だよ」    相変わらず寒いテント内だが、蒼星石はいつも通り鞄で寝るようだ。    一方俺は、冬用の足先から頭まですっぽり被るマミータイプの寝袋を用意している。 マ:「寒かったらいつでも言いなよ」    俺はランタンへ手を伸ばす。 蒼:「うん、おやすみなさい」 マ:「おやすみ」    明かりが消え、テント内を暗闇が支配した。       深夜    俺は目を覚ました。    なんのことはない。ただトイレに行きたくなっただけだ。    懐中電灯を手にし、蒼星石を起こさないよう、静かにテントから出る。    駐車場脇の公衆トイレは、ここから歩いて2、3分のところにある。    近いっちゃあ近いが、やはり蒼星石をテントに一人にさせておくのは多少なりとも不安だ。    俺は足早に、懐中電灯で辺りを照らしながらトイレへ向かった。    その途中、 マ:「む?」    何者かが草陰にうずくまっているのを発見した。    懐中電灯を照らし、近づいてまじまじと見てみる。    こいつは……    ダイサギだ。    体長90cmほどの、日本で生息するサギ類の中で最大級のサギだ。    シロサギの一種なので全身真っ白の羽毛である。    さて、このダイサギだが、どうやら足に釣り糸が絡まって    動けなくなってしまっているようだ。    ダイサギもこちらに気付いてジッと見ている。    相当弱ってるんだろうか、俺が近づいても逃げようともしない。    俺は上着からキャンピングナイフを取り出し、ダイサギの足元に屈んだ。 マ:「今釣り糸とってやるから大人しくしとれよ」    ナイフでダイサギの足に纏わり付いてる釣り糸を切断していく。    ダイサギはじっとその作業を見つめていた。 マ:「ほれ、とれたぞ」    取れた釣り糸を見せてやると、ダイサギはよろよろと立ち上がった。    大丈夫かいな。    そして、翼をバサバサと動かし始めた。    そして調子を取り戻したのか、力強く翼を羽ばたかせ、    あっという間に闇夜の中へ飛び去っていった。 マ:「………」    俺は手の中の釣り糸を見つめた。    釣り人が残していった釣り糸が絡まって命を落とす鳥が増えてきてると聞く。    今のダイサギは大したことにならなかったが、もしあのままだったら、    恐らく足が壊疽を起こして切断の憂き目にあってただろうな。    ……蒼星石には見せたくない光景だ。    と、急いでるんだった。はよトイレ済ませて戻らねば。    トイレを済ませ、テントのところまで戻ってみると……    おや、明かりが付いてる?    俺は胸騒ぎがし、テントまで全力疾走で戻った。    テントの入り口を開けると 蒼:「マスター!」 マ:「蒼星石」    蒼星石が俺の元に駆け寄り、抱きついてきた。 蒼:「もう、どこいってたの! 心配したんだから!」 マ:「どこって…、トイレだが?」    蒼星石、俺がトイレに立った後に目を覚ましてしまったらしい。 蒼:「黙って行かないでよっ」 マ:「いや、起こしたら悪いと思ってな」 蒼:「黙って行っちゃうほうが悪いよっ。    目を覚ましたらマスターがいなくなってて……僕、凄く怖かったんだから」 マ:「そうか、そりゃすまんかった」    よっぽど怖かったのか、蒼星石は涙目になっていた。    まぁ、起きたら深夜の山奥でひとりぼっち、だからなぁ。    俺は蒼星石を抱き上げる。    蒼星石は俺の胸に顔を埋めた。 マ:「悪かった」 蒼:「………」    これは困った。    俺は蒼星石を抱いたまま、テントの外に出た。 マ:「ほら、蒼星石。見上げてごらん」 蒼:「え……?」 マ:「夜の星を」    蒼星石が上空を見上げる。 蒼:「わぁ……」    満天の星空が広がっていた。    山奥の澄んだ空気と、都会と違って邪魔な光源が無いお陰で、    小さな星まで鮮明にキラキラと輝いているのがわかる。 蒼:「綺麗……」    俺はおずおずと切り出した。 マ:「……なぁ、蒼星石。今回はこの星空に免じて許してはくれまいか」 蒼:「む、それとこれとは話は別だよ」 マ:「うぅ…」 蒼:「くす、いいよ。やっぱり許してあげる。でも次からは黙って行かないでね」 マ:「ああ、肝に銘ずるよ」    蒼星石は再び星空を見上げた。    俺も星空を見上げる。 蒼:「マスター。星空、本当に綺麗だね。たくさんの星がキラキラ瞬いてて」 マ:「そうだな」 蒼:「こんなに綺麗な星空を見るのは、いつぐらいぶりかな……    たしか、あの時は、屋根の上から翠星石と二人で見たっけ…」 マ:「………」    どれぐらい過去の話なんだろうか。    まだ彼女がヨーロッパにいた頃だろうか。 蒼:「…なんだか、昔を思い出しちゃったよ」    蒼星石はフッと笑い、再び俺の胸に顔を埋めた。    一瞬だけ見えた蒼星石の笑顔が、寂しく、儚げに見えたのは気のせいか。 蒼:「ねぇ、マスター。僕ね、時々、幸せすぎて怖くなるときがあるんだ……」    冬の夜空は人を感傷的にさせるようだ。    俺は蒼星石の頭を優しく撫でた。 マ:「幸せ過ぎて怖い、か。嬉しいこと言ってくれるねぇ」 蒼:「………」    蒼星石は依然、俺の胸に顔を埋めたままだ。    この子の冬は長かった。    だが今は雪解けの時なのだ。ただその急な変化に戸惑ってるだけだ。 マ:「だがな、これぐらいの幸せで怖がってちゃ駄目だぞ。    俺はもっともっと君を幸せにするつもりなんだからな。覚悟しとけよ」    『幸せとは何か』、その疑問が、ふっと心に浮かんだ。 蒼:「……マスターさえいてくれれば、僕はそれで充分だよ」 マ:「俺はそれじゃ駄目なんだ」 蒼:「マスター」    蒼星石は俺を見上げた。    数秒間見つめあった後、キスを交わす。 マ:「さ、もう寝よう」 蒼:「うん」    俺と蒼星石はテントに戻った。                                       終わり
   俺は車に蒼星石を乗せ、雑木林が辺りに広がる道路を延々と走っていた。    さて    助手席に座ってる蒼星石に声を掛ける。 マ:「やっとこさ着いたぞ。ほら、あの湖だ」    たった今、視界に入ってきた湖を指差す。 蒼:「大きな湖だね」    今日は蒼星石に、日本の冬の自然を楽しんでもらおうと、はるばる山奥の湖まで遠出したのだ。    山奥の湖といっても、地元の観光名所として機能させるためか、駐車場やトイレなどの    必要最低限の設備は揃っている。    駐車場に進入したが、俺らの他に車は見当たらなかった。    車を停め、俺と蒼星石は降車する。 蒼:「うう~ん、空気が美味しいや」    地に足を付けるなり、さっそく胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む蒼星石。    俺はトランクからキャンプ用具一式を取り出していた。 蒼:「僕は何を持っていったらいいかな?」 マ:「そうさな。じゃあこれ」    俺は今日の昼食が入ったバックを蒼星石に渡し、残りの荷物を両手に持った。 マ:「さ、行くべ」    テクテクと枯れ草の生い茂る緩い土手を下っていく。    そして湖のほとりから10数メートルほど手前のところで マ:「よし、ここらにテント張ろうか」 蒼:「そうだね、ここからなら湖のほとんど見渡せるし」    そう決まるや、さっそくテントの設営に取り掛かる俺と蒼星石。    荷物から用具一式を取り出す。 マ:「ペグ打つからここ押さえててくれ」 蒼:「うん」    蒼星石とキャンプに来てテントを張るのはもう一度や二度ではない。    蒼星石もすっかりテントの張り方を心得たもので、あっという間に設営は完了した。    その後、荷物を配置し終えると、俺は携帯式コンロを地面に設置して湯を沸かし始めた。    蒼星石は辺りを見回している。 蒼:「マスター、湖に鳥がたくさんいるね」 マ:「今のシーズンは特にな。渡り鳥達の越冬地として賑わってるんだよ。    で、バードウォッチング用に……」    俺は双眼鏡を荷物から取り出し、蒼星石に渡した。 蒼:「あ、これ新しく買ったの?」 マ:「ああ、俺の双眼鏡じゃ蒼星石にはちとデカイからねぇ。    デパートで幼児用の小さい双眼鏡が売られてたから思わず衝動買いしちゃったよ」 蒼:「そんな、僕のためにわざわざ……ありがとうっ。高くなかった?」 マ:「そうでもないよ。んで、視度調整とピント調整は……」    使い方を教えると、さっそく蒼星石は双眼鏡で湖のほうを覗き込んだ。 蒼:「わぁ、よく見えるよっ、マスター!」    高かったからな。そりゃあ、よく見えてくれないと困る。 蒼:「♪」 マ:「へへっ」    蒼星石の嬉々とした姿に、自然と俺の心も弾む。    さて、湯が沸いた。 マ:「昼食にしよう。バードウォッチングはその後だ。蒼星石はお茶がいいよな?」        蒼星石が朝作ったサンドイッチを食べ終わり、いよいよバードウォッチングを始めることとなった。    湖のほとりの枯れ草の生えた所に鳥達から身を隠すように陣取り、折りたたみ式の椅子を設置する。 マ:「蒼星石、俺に膝に座りな」 蒼:「いいの?」 マ:「少しでも目線高い方が見やすいだろう」    俺は蒼星石を持ち上げて膝に座らせた。    蒼星石の顔を覗き込む。 マ:「あと、この方があったかいだろ?」 蒼:「うん、これならマスターに包まれてるから寒くないや。へへ」    寒い冬の湖で、体の小さい蒼星石が凍えないための配慮だ。    決して、蒼星石と密着したいからとかそういう下心からではないぞ。うん。    そして俺は蒼星石にバードウォッチングをするうえでの注意を促す。 マ:「ありのままの鳥の生態を観察するわけだから、鳥達には気付かれないよう、こっそりと観察な」 蒼:「(わかったよ、マスター)」    急に声を潜めだす蒼星石。    俺は苦笑交じりに マ:「この距離なら普通に声出したって鳥達に気付かれないって」 蒼:「それもそうだね」    蒼星石は少し照れ臭そうに微笑んだ。 マ:「じゃ、ぼちぼち観察始めっか」 蒼:「うん」    俺は自分用の双眼鏡を覗きこみ、ピントを調節しつつ目を凝らした。    双眼鏡から覗く先では多くの水鳥達が水面を賑わせていた。    その多くは越冬のため日本に飛来したカモ類達だ。    毛繕いやエサを取るのに勤しんでるものもいれば、ただフラフラと漂ってるだけのやつもいる。    水辺を歩いてるシギ類やサギ類もちらほらと見える。    まこと長閑な光景だった。    ひとしきり湖を見渡した後、膝の上の蒼星石はどうしてるかと見やる。    蒼星石は、俺が用意したポケット鳥類図鑑を片手に、それと湖の鳥達を    交互に見比べながら観察を続けていた。    勤勉な姿に感心しながら見てると 蒼:「どうかした、マスター?」 マ:「あ、いや。あんまり熱心に見てるからさ」 蒼:「ふふ、勉強になるし、鳥さんたち可愛いからね。    特にあの…マガモが餌を取るときに、水面にお尻だけ出してヒョコヒョコさせてるのがとっても可愛い♪」    話してる最中、蒼星石の笑みは絶えなかった。    早くもバードウォッチングを満喫してくれてるようだ。 蒼:「マスター、あそこでカモが喧嘩してるよ」 マ:「どれどれ」    蒼星石が指差す方に双眼鏡を向ける。    確かに二羽のカルガモ同士がバタバタと羽をばたつかせてるのが見えた。 マ:「ほんとだ。喧嘩してるな」    だがそんなに激しい喧嘩には見えない。 マ:「二羽ともまだ幼鳥のカルガモだな。たいした喧嘩じゃなさそうだ」    二人で見守っていると、やがて二羽のカルガモはお互い何事も無かったように泳ぎだした。 蒼:「兄弟喧嘩だったのかな?」 マ:「かもしれんな」    さっそく蒼星石はポケット図鑑のカルガモの頁を開き、目を通している。 蒼:「へぇ、日本のカルガモは渡りをしないんだ」 マ:「ああ。渡りをせず、日本で子育てするから、夏場に来ればカルガモの親子を見れるぞ。    ちっちゃな雛鳥達が一生懸命、親鳥のあとに付いていくんだ」 蒼:「へえ~、それはぜひ見てみたいなぁ」    そんな風に会話を弾ませながら観察を続けていく。 蒼:「マスター」 マ:「なんだ?」 蒼:「あの鳥の名前なんていうんだろ。図鑑に載ってないんだけど」 マ:「どこにいる?」 蒼:「ええと……、あそこにいる…」    蒼星石は双眼鏡を覗き込み、ある一点を指差した。    俺も双眼鏡でその方向を覗く。 マ:「どこだ? 何もいないぞ」 蒼:「ほら、林の方にいる」    どこだ?どこだ? マ:「一羽だけか?」 蒼:「うん、一羽だけ」    うぐぐ、見つからんぞ。 マ:「どこだ?」 蒼:「あそこだよ、木にとまってる」 マ:「何色だ?」 蒼:「茶色っぽいよ、首に模様がついてて…」    必死こいて探すが見当たらない。    どこだどこだどこだ。 蒼:「あっ、あー、飛んでちゃったよ、もう……」 マ:「………」 蒼:「でもしょうがないか。小さな鳥だったし」 マ:「……ありゃあ、オガワコマドリだ…」 蒼:「えっ?」 マ:「すげぇな…、こんなとこで見れるとは」 蒼:「マスター、見れたの?」 マ:「ああ、飛び立つ瞬間をなんとかな。しかし驚いた。滅多に見れる鳥じゃないんだが」 蒼:「珍しいの?」 マ:「ああ、珍しいぜ。新聞に載るくらい珍しい」 蒼:「えぇっ」 マ:「いっや~、さすが蒼星石っ! よく見つけれたなぁ!」 蒼:「(マスター、シー!、シー!)」 マ:「あ、すまんっ」    興奮のあまり、いきなり大声を上げたもんだから水辺の鳥達が驚いて飛び去っていってしまった。 マ:「ありゃりゃ」 蒼:「あーあ、他の鳥も飛んでちゃった。…でも、そんなに珍しい鳥だったんだ、今の」 マ:「ああ、世の愛鳥家が羨むぜ?」 蒼:「そうなんだ……」 マ:「へへへ」 蒼:「ふふ」    俺につられるように蒼星石も笑った。 マ:「さて、鳥達も飛んでちゃったし、俺達もそろそろ場所移動するか。    対岸側の林の中行ってみよう。またオガワコマドリ見れるかもしれんし」           俺と蒼星石は湖の縁に沿って歩き、対岸側の林の中へ踏み入った。    林の中はうっすらと雪が降り積もっていた。 マ:「夏より冬の方が、木から葉が落ちてる分、鳥を見つけやすいんだよ」 蒼:「なるほどね」    シャリシャリと、俺と蒼星石は薄い雪を踏みしめながら進んでいく。    数分ほど進んだところで蒼星石が口を開いた。 蒼:「鳥、いないね」 マ:「うむむむ」    ここまで鳥は一羽も見当たらなかった。    それでも根気良く林の中を進んでみたが、相変わらず鳥の気配はまったくしない。 蒼:「かなり歩いたよ。そろそろ引き返したほうが…」 マ:「いや、待て」    俺は口元に人差し指を立てた。 蒼:「?」    かすかに聞こえる。鳥の鳴き声だ。    この鋭い鳴き声は…… マ:「(こっちだ)」 蒼:「(マスター?)」    俺は蒼星石を抱き上げ胸に抱えると、鳴き声がする方向へ足早に進んだ。 マ:「(鳥の鳴き声、聞こえるか?) 蒼:「(うん。今聞こえた)」    やがて鳴き声に加え、せせらぎも聞こえてきた。    そして渓流を発見した時には、鳥の鳴き声もはっきりと聞こえるようになっていた。    俺は蒼星石を抱っこしたまま、渓流から3メートルほど離れた古木の根元に屈んだ。    チーッ、チーッ、チーッ               蒼星石は辺りを見回す。 蒼:「(鳴き声はするけれど、姿が見えないね……) マ:「(ほら、あそこ)」    俺はゆっくりと渓流の向こう側に立つ木の上方を指差した。    そこに鳥がいた。カワセミだ。    蒼星石も俺の指差した方向に顔を巡らせ、カワセミの存在に気付く。 蒼:「あっ、…もごっ」    俺は慌てて蒼星石の口を塞いだ。 マ:「……」 蒼:「……」    息を潜め、カワセミの様子を窺う蒼星石と俺。    見守ること数分。    渓流に潜む魚を捕らえる瞬間を見せてくれないかと期待したが、    俺の思いも露知らず、やがてカワセミは鳴き声とともに渓流とは反対方向に飛んでいってしまった。    俺と蒼星石はまるで金縛りから解かれたように口を開く。 蒼:「今のって、カワセミだよね? テレビで見たことあるよ」 マ:「ああ。またしてもいいもん見れたな」    俺は立ち上がった。    そして元来た道を引き返す。 蒼:「マスター。僕、下ろしていいよ?」 マ:「抱っこしたついでだ、このままでいいだろ?」 蒼:「マスターがそう言うなら、じゃあ、このままで…」 マ:「ところで蒼星石、カワセミって漢字でどう書くか知ってるか?」 蒼:「えっ、うーん……小川の『川』に虫の『蝉』で、川蝉とか?」 マ:「正解。鋭いねぇ。くんくん顔負けの推理力だな」 蒼:「え、そんな、適当に言ってみただけだよ」    俺の胸の中で蒼星石ははにかんだ。 マ:「でもな、カワセミは他にも別の漢字の書き方があって、『翡翠』とも書けるんだよ。    まんま宝石の『翡翠』な。    宝石の翡翠の名はカワセミの背中の模様の色からとられたとも言われてるんだ」 蒼:「へぇ、よく知ってるね」 マ:「まぁな。だから『翡翠』繋がりで翠星石の鳥と言えるかもな、カワセミは。」 蒼:「翠星石の鳥かぁ」    そうしてカワセミ談義に花を咲かせながら数分ほど    歩いたところで、蒼星石が辺りを見回した。 蒼:「それにしても、冬の林ってなんかこう、寂しいね。生き物が全然いなくて」 マ:「そうか? いないようでけっこういるもんだぞ」    朽木の傍に横たわっている石の前で屈み、蒼星石を降ろす。    そして目の前の石を少しだけ、そっとどかしてみた。 マ:「いたいた。ほら」    石の地面からあらわになった部分には大量のテントウムシがびっしりと張り付いていた。 蒼:「わぁ…」    見せてから思ったが、女の子にはちとキツイ光景か? 虫の集団の光景というのは。    しかし蒼星石はまじまじとテントウムシの集団を見やっている。    なにやら感慨深げだ。    庭師の蒼星石とってはテントウムシはけっこう縁深い昆虫なのかもしれない。    アブラムシとかの害虫食べてくれるしな。葉っぱ食い荒らすやつもいるが。 蒼:「みんな、互いに寄り添ってるね……。全然僕たちから逃げようとしない。死んでるみたい」 マ:「冬眠だからな。それぐらい深く眠らないと、冬を越せないんだろう」    ひたすら寒さに耐え、春の到来を待つテントウムシ達を、蒼星石はより一層感慨深げに見やった。 蒼:「……必死に生きてるんだね」    そして蒼星石は俺の方を振り向き、 蒼:「マスター、いつまでも冷たい空気に晒してたらこの子たち可愛そうだよ」 マ:「おっと、そう言われりゃそうだな」    俺はそうっと石を元の位置に戻した。    再び湖へ戻った俺と蒼星石。    俺の不注意で飛散させてしまった鳥達もすでに湖に戻っていた。    再びバードウォッチングに興ずる。    蒼星石は熱心に双眼鏡で湖の鳥達の観察を続けてたが、そろそろ日が暮れるな。 マ:「蒼星石、暗くなる前に夕食済まそう」 蒼:「うん、そうだね」    蒼星石は素直に従った。    テントのところまで戻り、準備に取り掛かる。    準備といっても大したことはしない。    小型ガスコンロで鍋に湯を沸かし、あらかじめ家で調理しといた    材料や調味料を投下していくだけだ。    あっという間にキムチ鍋うどんは完成した。    レジャーキャンプの食事にしては質素かもしれないが、二人しかいないし、    この冬の情景に対してバーベキューやら派手な食事の風景はミスマッチだ。    蒼星石の器に盛ってやる。 マ:「ほい」 蒼:「ありがとう。いただきます」 マ:「いただきまーす」    ふぅふぅ言いながらうどんを啜る蒼星石と俺。 蒼:「美味しいっ」 マ:「うんむ、美味いし、あったまるな。寒い冬空の下で食べるうどんは最高だ」 蒼:「まったくだね」    食事と片付けを終えた頃には、辺りはもうすっかり夕闇に包まれていた。 蒼:「さすがにもうバードウォッチングは無理だよね?」 マ:「この暗さじゃな。さ、もうテント入って休もう」    蒼星石と俺はテントの中に入り、ランタンを吊り下げて点す。    そして二人とも腰を下ろした。 マ:「寒くないか?」 蒼:「ちょっと寒いかな」 マ:「こっちにおいで」 蒼:「うん…」    蒼星石は胡坐をかいてる俺の脚の上に座った。    毛布を取り出して自分の体ごと包んでやる。    蒼星石は顔だけ出してる形だ。 蒼:「なんだか、ここにきてからマスターと密着してばっかりだね」 マ:「いやか?」 蒼:「ううん。とってもあったかくて…いいよ」    蒼星石は目を閉じた。リラックスしてくれてるようだ。 蒼:「林で見たテントウムシ達と一緒だね、今の僕達。寄り添って、あったまって」 マ:「そうだな」 蒼:「マスターもあったかいよね?」 マ:「もちろん」 蒼:「よかった」 マ:「どうだ、冬のキャンプは?」 蒼:「夏には見れなかった冬の自然の姿が見れて楽しいよ。マスターは楽しい?」 マ:「そりゃ楽しいさ。ちと寒いが、夏と違って蝿や蚊がいなくてその点は快適だしな」 蒼:「マスターは現実的だね」 マ:「そうかなぁ」 蒼:「ふふ」    他愛の無い会話の他にも、図鑑を引っ張り出して二人でそれを眺めながら、    この鳥は見れた、この鳥は見れなかった、この鳥の生態はなどと、いろいろ語り合った。    そうしてしばらく後、明日早朝にまたバードウォッチングをするため、    俺と蒼星石は早々に眠りにつくことにした。    隣で眠りにつこうとしてる蒼星石に声を掛ける。 マ:「本当に鞄の中寒くないのか?」    蒼:「うん、この鞄は完全に寒さを防いでくれるから大丈夫だよ」    相変わらず寒いテント内だが、蒼星石はいつも通り鞄で寝るようだ。    一方俺は、冬用の足先から頭まですっぽり被るマミータイプの寝袋を用意している。 マ:「寒かったらいつでも言いなよ」    俺はランタンへ手を伸ばす。 蒼:「うん、おやすみなさい」 マ:「おやすみ」    明かりが消え、テント内を暗闇が支配した。       深夜    俺は目を覚ました。    なんのことはない。ただトイレに行きたくなっただけだ。    懐中電灯を手にし、蒼星石を起こさないよう、静かにテントから出る。    駐車場脇の公衆トイレは、ここから歩いて2、3分のところにある。    近いっちゃあ近いが、やはり蒼星石をテントに一人にさせておくのは多少なりとも不安だ。    俺は足早に、懐中電灯で辺りを照らしながらトイレへ向かった。    その途中、 マ:「む?」    何者かが草陰にうずくまっているのを発見した。    懐中電灯を照らし、近づいてまじまじと見てみる。    こいつは……    ダイサギだ。    体長90cmほどの、日本で生息するサギ類の中で最大級のサギだ。    シロサギの一種なので全身真っ白の羽毛である。    さて、このダイサギだが、どうやら足に釣り糸が絡まって    動けなくなってしまっているようだ。    ダイサギもこちらに気付いてジッと見ている。    相当弱ってるんだろうか、俺が近づいても逃げようともしない。    俺は上着からキャンピングナイフを取り出し、ダイサギの足元に屈んだ。 マ:「今釣り糸とってやるから大人しくしとれよ」    ナイフでダイサギの足に纏わり付いてる釣り糸を切断していく。    ダイサギはじっとその作業を見つめていた。 マ:「ほれ、とれたぞ」    取れた釣り糸を見せてやると、ダイサギはよろよろと立ち上がった。    大丈夫かいな。    そして、翼をバサバサと動かし始めた。    そして調子を取り戻したのか、力強く翼を羽ばたかせ、    あっという間に闇夜の中へ飛び去っていった。 マ:「………」    俺は手の中の釣り糸を見つめた。    釣り人が残していった釣り糸が絡まって命を落とす鳥が増えてきてると聞く。    今のダイサギは大したことにならなかったが、もしあのままだったら、    恐らく足が壊疽を起こして切断の憂き目にあってただろうな。    ……蒼星石には見せたくない光景だ。    と、急いでるんだった。はよトイレ済ませて戻らねば。    トイレを済ませ、テントのところまで戻ってみると……    おや、明かりが付いてる?    俺は胸騒ぎがし、テントまで全力疾走で戻った。    テントの入り口を開けると 蒼:「マスター!」 マ:「蒼星石」    蒼星石が俺の元に駆け寄り、抱きついてきた。 蒼:「もう、どこいってたの! 心配したんだから!」 マ:「どこって…、トイレだが?」    蒼星石、俺がトイレに立った後に目を覚ましてしまったらしい。 蒼:「黙って行かないでよっ」 マ:「いや、起こしたら悪いと思ってな」 蒼:「黙って行っちゃうほうが悪いよっ。    目を覚ましたらマスターがいなくなってて……僕、凄く怖かったんだから」 マ:「そうか、そりゃすまんかった」    よっぽど怖かったのか、蒼星石は涙目になっていた。    まぁ、起きたら深夜の山奥でひとりぼっち、だからなぁ。    俺は蒼星石を抱き上げる。    蒼星石は俺の胸に顔を埋めた。 マ:「悪かった」 蒼:「………」    これは困った。    俺は蒼星石を抱いたまま、テントの外に出た。 マ:「ほら、蒼星石。見上げてごらん」 蒼:「え……?」 マ:「夜の星を」    蒼星石が上空を見上げる。 蒼:「わぁ……」    満天の星空が広がっていた。    山奥の澄んだ空気と、都会と違って邪魔な光源が無いお陰で、    小さな星まで鮮明にキラキラと輝いているのがわかる。 蒼:「綺麗……」    俺はおずおずと切り出した。 マ:「……なぁ、蒼星石。今回はこの星空に免じて許してはくれまいか」 蒼:「む、それとこれとは話は別だよ」 マ:「うぅ…」 蒼:「くす、いいよ。やっぱり許してあげる。でも次からは黙って行かないでね」 マ:「ああ、肝に銘ずるよ」    蒼星石は再び星空を見上げた。    俺も星空を見上げる。 蒼:「マスター。星空、本当に綺麗だね。たくさんの星がキラキラ瞬いてて」 マ:「そうだな」 蒼:「こんなに綺麗な星空を見るのは、いつぐらいぶりかな……    たしか、あの時は、屋根の上から翠星石と二人で見たっけ…」 マ:「………」    どれぐらい過去の話なんだろうか。    まだ彼女がヨーロッパにいた頃だろうか。 蒼:「…なんだか、昔を思い出しちゃったよ」    蒼星石はフッと笑い、再び俺の胸に顔を埋めた。    一瞬だけ見えた蒼星石の笑顔が、寂しく、儚げに見えたのは気のせいか。 蒼:「ねぇ、マスター。僕ね、時々、幸せすぎて怖くなるときがあるんだ……」    冬の夜空は人を感傷的にさせるようだ。    俺は蒼星石の頭を優しく撫でた。 マ:「幸せ過ぎて怖い、か。嬉しいこと言ってくれるねぇ」 蒼:「………」    蒼星石は依然、俺の胸に顔を埋めたままだ。    この子の冬は長かった。    だが今は雪解けの時なのだ。ただその急な変化に戸惑ってるだけだ。 マ:「だがな、これぐらいの幸せで怖がってちゃ駄目だぞ。    俺はもっともっと君を幸せにするつもりなんだからな。覚悟しとけよ」    『幸せとは何か』、その疑問が、ふっと心に浮かんだ。 蒼:「……マスターさえいてくれれば、僕はそれで充分だよ」 マ:「俺はそれじゃ駄目なんだ」 蒼:「マスター」    蒼星石は俺を見上げた。    数秒間見つめあった後、キスを交わす。 マ:「さ、もう寝よう」 蒼:「うん」    俺と蒼星石はテントに戻った。                                       終わり

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