「久しぶりだね、翠星石。 何分急に訪ねてくるものだからな、何も用意してなくて……ははは」 「………」 「部屋、散らかってるだろう? 蒼星石が数日留守にしただけでこうだよ」 俺が淹れたパックの紅茶を前に翠星石は何も喋らず、複雑な表情をしている。 「柴崎さんの家で蒼星石は元気にしてるかな?」 「………」 「あ、それともまた桜田君のところでみんなで騒いでるとか?」 「……人間、聞くです」 聞きたくなかった。 翠星石の表情から悪い報せを告げに来たことは知っている。 「いやぁ、蒼星石がこんなに家を空けるくらいだからきっと大騒ぎに」 「人間」 「それなら俺も混ぜてくれてもいいよな。ははは、水臭い。何なら今からでも」 「聞きやがれですぅ!」 蒼星石がいないこの三日間で何があったのか。何故蒼星石が帰ってこないのか。 ……本当は翠星石が訪ねてきた時から俺は察していたのかも知れない。 「あはは。何だよ、翠星石。桜田君と喧嘩でもしたのか」 「…蒼星石の体が消されたです」 「………」 今度は俺が黙る番だった… 消された……消えた…蒼星石…が……? 「……蒼星石が…食べられちまったですぅ……っ」 「………!」 頭の中が真っ白になった。悲しいとか、否定するとか、そういう風に頭が動き出す前に―― 俺の眼から涙が零れ落ちていた。 『あなたにさよならを』 涙が止まらない。何か、何かを言うべきなんだ。 妹を失った姉に。目の前で泣き続ける翠星石に。 だが、頭の中に言葉が浮かんでこない。浮かんでくるのはただ、蒼星石の姿だけ…… 『マスター、早く起きないと遅刻しちゃうよ』 『今日は美味しく作れた自信があるんだけど…味、どうかな…?』 『見て、マスター。紫陽花が綺麗に咲いたんだ』 蒼星石はもういない。いないんだ。 真っ当な思考は虫食いが走るように次々と消されていく。 「そ……」 沈黙を破った俺の第一声は平静を装おうとして、無様にも漏れた吐息のよう。 「そうか。仕方ないな。 だって、な…そ、蒼星石は皆との暮らしより…アっアリスゲームを選んじゃったんだからな」 「人間……」 「その結果、こうなっても、そ、蒼星石が選んだ道だから…俺は尊重したいし……」 偉そうなことを言っていても、俺の嗚咽は止まらない。涙は涙腺が壊れたかのようだ。 「マスターとして言うことは何も」 「…っ!!」 気付くと俺は天井を見ていた。違う、凄い勢いで翠星石にはたかれたんだ。 翠星石は重そうに俺の襟首を持ち上げると右手を振り上げた。 「まだ殴られないとわからねぇですか! このヘッポコ人間!! 蒼星石がどんな気持ちで戦いに行ったか、どんな想いで雪華綺晶と戦う道を選んだか! それなのに蒼星石のマスターがそんなんで、どーするんですぅ!!」 「…………」 「お前はまたカッコつけて偉ぶって、今度は何を失くすつもりですか!? 蒼星石との絆を失ったら、お前なんてただのダメ人間ですぅ! 抜け殻ですぅ! 死んだも同然ですぅ!!」 翠星石の振り上げた右手はそのまま力なく俺の胸元に振り下ろされた。 その拳はさっきの一発より、もっと痛かった。言葉が心に突き刺さった。 翠星石の涙は、悲しみも怒りも隠さないまま俺の頬を焼くかのようだった。 「失くして良いわけない……良いわけないだろう…」 抑えきれない、感情が爆発する―― 「良かねぇよ! 蒼星石にもう会えないなんて嫌だ! 俺は蒼星石に会いたい! 戦いより俺との暮らしを選んで欲しかった! だって俺は蒼星石のマスターだぞ!? そうしたい! そうであって欲しいよ!! 今まで通りじゃなきゃ、絶対に嫌だ!!」 ははは……まるで駄々をこねる子供みたいだ。 だけど、本心そのものだ。 「だったら何で最初からそう言わないですか!」 「蒼星石の意思がなきゃ悲しいだけだからだよ!!」 「蒼星石が遠くに行っちまう前に何でそれを言わなかったです!」 「それは……俺が…! っぐ…えぐ……!」 「ひっく…えっ…」 その後、俺と翠星石は日が暮れるまで泣き続けた。自分のため? 相手のため? 蒼星石のため? あるいは、意味なんてなかったのかも知れない。ただ、泣くことが俺たちに必要だった。 「それじゃ、翠星石は帰るです人間」 「ああ」 「お前、もうこれ以上翠星石たちに深入りするなですぅ」 「……どうしてだよ。さっき言ってた『雪華綺晶』っていうのが関係あるのか?」 「今のお前は危険な目をしてるですぅ。お前に詳しい事情を教えるのは危険すぎるですよ」 当たっていた。もう俺の腹は決まっている。 「頼む翠星石。真実が知りたい」 「ドールを失ったミーディアムに何ができるですか」 「俺はまだ蒼星石のマスターだ」 「それで十分です」 翠星石は鞄に乗り込んで窓から数十センチのところに飛び立った。 「人形にとっての本質的な死とは忘れられることですぅ。 誰かのエスの海に在り続ける限り、蒼星石はこれ以上遠くはならないです。 ましてや心を通わせたミーディアムの想いなら尚更ですよ。 人間、その指輪は外せないし忘れられないでしょうが、思い出すことも忘れるなですぅ」 「待て! 俺を蒼星石を倒した奴の元へ連れて行ってくれ!」 「復讐は何も実をつけないですよ、人間…さよなら」 「待……!」 俺が翠星石の鞄を掴み、引き止めようとした手は空しく中空を掻き、 危うく窓から落下しそうになる。ここはアパートの二階だった…… そして体勢を立て直した時には既に、翠星石の鞄は暮れる街の空へ飛び去っていた――