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 存在し始めた瞬間からある程度「機能」としての完成を見ていたアステールにとって、理解出来ないことではあるのだが。感情を持つ人間にとって――「未知」のものとは、酷く恐ろしいものであるらしい。
 勿論、彼とて「未知」のものと遭遇した事が無いワケではない。時にそれは生物であり、能力であり、そして何よりも他者の大きな感情のブレであった。
 しかし、それらのモノが彼に与えたのは多くの場合「困惑」、時にあったとしても己にとって受け入れられぬが故の「拒絶」でしかなく、脅威として認識したが故の恐怖を覚えることはあっても、「未知」故の恐怖を覚えたことは無かった。
 だが、どうやらソレは、人間にとっては違うものであるらしい。
 人は、未知のものを恐れる。……恐らくは、失敗を恐れるが故に。
 だから、ソレを埋めようとする。調べることで、他人に尋ねることで、経験者を探すことで、類似した情報を得ることで、あるいは失敗そのものを知ることで、未知のベールを――実際に剥がれたかどうかは別として――引き剥がし、恐怖を気にならない程度に薄めようとするのだ。
 無論、例外はある。好奇心と呼ばれる感情、それを強く持つ者達がその代表だ。
 しかし、例外とは所詮は例外であるからこその例外でしかなく、大多数の人間はこの法則からは逃れ得ない。
 そのことを、彼はこれまでの十数年の人生の中で学んだ。



 ……堕落街の端に居を構える冒険者の店『ラム・タム・タガー』。
 その一角、カウンターに近いテーブル席で、ユインとシャルは紙束の山と睨めっこをしていた。
「……コレなんてどう?」
 銀髪の娘、シャルがふとその中から一枚を選び出しユインの眼前へと差し出す。
「ん? ……ステンドグラスの輸送?」
 それを見た兄は、ざっと内容を一瞥して一言。
「却下。万が一があったらどうするのさ、こんな違約金払えないよ」
「むぅ~……。駄目かぁ」
 残念そうに溜息を吐く、シャオリール。……其処へ今度は、ユインが別の紙を選び出す。
「それよりは、ほら。……このあたりが堅実なんじゃないかな」
「地味」
 妹の返答は、先程の兄より早かった。
「……堅実は堅実ですけど、美術館の警備なんて冒険者の仕事じゃないです。同じ警備でも、それをやるぐらいだったら……」
「……はぁ? ケーキ屋の入場整理? 冒険者の仕事じゃないって言うなら、それこそ……」
「いや、ほら。此処、此処」
 くいくい、と。……シャオリールが、己の選び出した紙の下方を指で指し示す。
「なになに……報酬がパティシエ自慢の高級スィーツ? ……シャル。自分の趣味で仕事選んでるだろ」
「……そんなことないですよ?」
 呆れたような兄の言葉に――平静を装ったまま、シャオリールはついと視線を逸らして見せた。
 ……そうして、それから。どちらともなく苦笑すると、顔を見合わせる。
「……決まりませんね」
「だね。……存外、コレだ、っていうのは無いもんだね」
 冒険者として最初の依頼。……二人が、それを選び始めてから、もう1時間が経とうとしていた。
 どうせなら、後々まで記憶に残るような記念になるものを。……最初にそう言いだしたのは、シャオリールの方だった。
 ユインとしても、特にそれを拒む理由も無かったし――実を言えば、何だかんだと言いつつもそれなりの期待は抱いていたので、否定を口にはしなかった。
 が、『記念として』という観点でいざ仕事を選び出そうとしてみると、これがまた存外に難しい。
 無論、彼らがまた冒険者としては駆け出しである為、店側から廻される仕事に制限がかかっている、というのもあるのだろうけれど。……ただこなすだけで良いならばともかく、『記念』になりそうな仕事というのがさっぱり見つからない。
 テーブルの上に山と積まれた紙束――依頼書の山を前に、ユインとシャル、どちらともなく溜息が漏れる。
「……ちょっと休憩にする?」
「そうですね……。アス兄も、まだ来てませんし」
 些か疲れた笑みを浮かべながらのユインの提案に、シャルも似たような表情で頷きを返す。
「ん。……そだね。全員揃ったら、また改めて考えればいいさ」
 ――丁度、二人がそんな結論を出した時だった。
「二人とも、揃っているな?」
 不意に横合いから、そんな声が向けられた。――噂をすれば影、というヤツだ。
 思わずきょとん、とする二人。
「タイミングが良いんだか悪いんだか……」
「……? 何か問題があったか?」
「いや、なんでもないよ」
 苦笑と共にユインはそう呟きを零すと、声の主へと向き直る。
 其処に居たのは今しがた話題に出ていたばかりの人物。ユインとシャル、二人の兄であるアステール――と。……もう一人、予想外の人物だった。
「……子供?」
 首を傾げる弟と妹に、兄はこくり、と頷きを返した。

「ああ。……この子が、仕事の依頼をしたいそうだ」


「……なんていうかさ。アス兄のキャラがこういうキャラだっていうのは解ってたつもりだったんだけどさ……」
「……ですけどねぇ」
 はぁ、と。……盛大に、疲れたような溜息を吐く二人。
 それを前に、きょとん、とするのはアステールだ。
「……何か問題があったか?」
 ……時刻はあれから1時間ほど後だ。家に帰ったのだろうか、既に子供の姿は見えない。
「いや……ほら。……あのさ、アス兄?」
「うむ」
「……俺たちって、冒険者になったばっかりだろ?」
「そうだな」
「…………つまりまず受ける依頼っていうのは、俺らの最初の依頼になるわけで」
「そうだが?」
 暖簾に腕押しとは、このことだろうか。……イマイチ要点がつかめない、という風なアステールの反応に、ユインの口から思わずまた溜息が零れる。
 ……この人は、全部説明しないといけないんだろうか。
「だからさ。……どうせ最初の依頼として受けるならさ。後々まで記憶に残るような、記念になるようなのを、って考えてたんだけど」
 そう。……相手が小さい子供だと言うこともあり、頼みを無碍に断ることも出来ず――結局、三人はそれを依頼として受けることになってしまっていた。
 ……引き受けることになった以上、前言を翻すつもりは無いのだけれど。延々と、最初の依頼を選び出そうと頭を捻っていたユインにとっては、些か思うところが無いでも無い。
 見ればシャオリールも同意見であるのか、何処か拗ねたような表情で二人の遣り取りを横から見ていた。
 ……が。不満の篭った二対の視線に晒され、そこまで説明されて、尚。……困ったことに、アステールの表情は変わらなかった。どころか、むしろこちらの方がますます困ったように眉根を寄せて、
「……つまり、何が問題なのだ?」
 なんてことを問い返す有様だ。
 流石にその返答には、ユインも若干イラっとしたものを覗かせる。
「何が……って。……今言ったでしょ? どうせなら、記念になるような仕事がしたかったって」
 ふむ、と。……ようやく、その言葉に。アステールは、何事かを考え込むように顎に手を当てて。
「……それならば、やはり問題はあるまい」
 しかし結局――やっぱり、変わらず、そんな言葉を返した。
 ……が。
「記念とは。……つまるところ、誰にでも起こる、何にでも訪れる当たり前のことに、当人や国や組織といった――『何処かの誰か』が後付で意味を持たせることだろう?」
 ……先程までと違ったのは。その後に、そんな言葉が続いたことで。
「それ自体が意味を持つのではなく、関わる人間が意味を持たせ祝うものが記念だと、我は記憶している」
 それがさも当然のように、ユインとシャオリールの兄はそこまでを語った。
 ……一瞬、ぽかんとする二人。
「……えーと」
 別に全然、凄味があったわけでもないし。……威圧するような響きがあったわけではない。視線だけは無駄にヤブ睨みだが、この兄の目付きが悪いのは元からだと二人は知っている。
 だというのに。……気圧されたように、視線が宙を泳いだ。
「……そ、その。でも、最初の、仕事ですし……」
 先程までユインが主張していたのと同じ内容を。……大分勢いの無くなった調子で、今度はシャオリールが口にする。
 もっとも、その台詞は、今にも消え去りそうにもごもごと口に篭ったもので。……更に言うなら、視線はそもそもアステールの方を向いていない。とりあえず口にしてみただけ、といった風なものだったのだけれど。
 耳ざとい彼女等の兄は、それを聞き逃さなかったらしい。
「そうだな」
 さもありなん、とばかり。……アステールはこくりと頷いて。
「だが、始まりとはそういうものだ。『最初』というのは誰にでも訪れる、当たり前のことだろう? それ自体に特別な意味は無い」
 当たり前、と言葉を繰り返す。……とはいえ、普通はそこまで割り切れるものでは無い。客観的に見てどうであろうと、人間は主観的な生物だ。……理だけでは、不満が残るのも道理だろう。
 だから、シャオリールは、そしてユインも、どうにかしてそれに言葉を返そうとした、のだけれど。
「先程も言った通り。……意味を持たせるのは、『何処かの誰か』であり、この場合は我等だ。……少なくとも我はこの日を忘れない。この依頼を忘れない。お前たちと歩き始めた最初の一歩だということを忘れない。ずっと、憶えて行く。……それでは不満か?」
 ――それが、トドメだった。
 まるで、もう、それがさも当然の、なんでもないことのように言うものだから。
 二人は、すっかり毒気を抜かれてしまって。
「……不満じゃない」
「……です」
 呆けたように。……そう、頷きを返すのが、精一杯だった。
「そうか」
 その様子に、何を思ったのか。……ほんの僅か。親しい人間でなければ気付かないぐらい僅かに、アステールは口の端に笑みを載せ。
「では、早速取り掛かるにしよう」
 そう、始まりを宣言した。


 ――人間は、未知のものを恐れる生物だ。
 ならば、例えば、もし、世界のほとんどのものを『知らない』人間が居たとしたら。……それはどれほどの恐怖となるだろうか。
 そんな人間は居ないと人は言うかもしれない。例えどんなに狭くても、どんなに小さくても、人は世界の中に生きているのだから。
 そう、『大人』は語る。
 けれど、彼は知っていた。……人間ではないからこそ、ずっと忘れずに、かつて学んだことを憶えていた。
『子供』にとって、世界は、知らないものばかりだと。
 彼らにとって、世界は、恐怖で満ちていると。
 周りが何もかも知らないモノばかりで。……縋るもの、助けを求められるモノが居ないというのは、どれほどの恐怖かというのを。
 だから――……。
「……そこの子供。どうした?」
 彼は、その子供に声をかけた。
 それが、始まりの始まり。


 彼らの冒険者としての最初の仕事――迷子の猫探しは、こうして始まったのだった。


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最終更新:2007年10月24日 21:26