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死者は、何も語らない。
生前、彼ら彼女らが何を想い、何を考え、何を大事にしていたのか。
生き残ったものに、死者達が何を望んでいるのか。
それら全ての一切を知る術は既に無く、そして彼らに生者の声が届くこともない。
それ故の死だ。
だから、生きている人間が死者の為にすることは、実のところ死者の為ではない。
それは、生者の為だ。
祈りも、懐旧も、追悼も、回想も、謝罪も、そして忘却も――全ては、生者の為にある。
何故ならば、死者が生きる場所はもう、生者の中にしか無いのだから。
それは幻想と、本物とは違うものだと、そう知りつつも人は己の中の死者のイメージに囚われ、多くの場合そのことを忘れる。
そして、己の行動に対し、そんな己の中の死者を通して自己へと向けられる問いかけ。
それこそが、不意に生者を絡めとり、時に足を止めさせようとする死者の呼び声の正体だ。
これを乗り越えられるかどうかは、言ってしまえば、己との戦いでしかない。
そしてそれ故に、勝つことも負けることも酷く難しく――だからこそ、目を逸らさずに結論を出さなくてはならない。
勝ったにせよ、負けるにせよ、それが己にとってのその『死者』の重みということなのだから。
その重みを受け止めて、初めて人は死者を過去と出来るのだ。
記すべき名は無し、故に無名
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手記] - &trackback() - 2007年04月05日 21:27:48
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最終更新:2007年04月05日 21:29