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  名は体を表すという。
  また、名とは最も短き呪だともいう。
  どちらも、間違ってはいないだろう。自分もまた、名前とは1つの鎖だと思っている。
  人から、人へ対しての。

  名を呼ぶことで人は他者のイメージに形を与え、己の中に保存する。
 「彼はこういった人間だ」「彼女はそんな人間ではない」そんな風な自分勝手なイメージを。
  そして、時にそのイメージは本物をも侵食する。他者からそう扱われているうちに、自身の形がそういったものであると本人すらも思い込んでしまうことがあるのだ。
  これは、何も特別なことではない。他者との関わり合いの中で生きる人間にとっては、ありふれた、ある意味とても自然な出来事だ。
  しかしだからこそ、人は他者の名を呼ぶ時に意識しなくてはならない。何よりも、その呼称によって己が定める相手の形を。
  結局どこまで行ってもそれは自分勝手なイメージでしかないからこそ、後悔しないように。

  この時、最も重要なのは、実のところ名前として使われた単語が持つ意味や音などではない。
  その呼称が持つ音も、文字も、呪も、因果も、それらの何よりも――その『名』に意味を与える力を持つのは、名を口にするものが抱いた想いなのだから。結局のところ、それらの全てはその想いを補佐するものでしかない。
  信頼か、怨嗟か、好奇か、諦念か、友情か、侮蔑か、愛情か、憎悪か――何れの心情を以って名を呼ぶか。
  それこそが、その人のイメージを決定する上で最も重要なものとなるのだろう。


  人から人へとかけられる鎖は、時にこう呼ばれる。
  絆、と。
  願わくば、多くの人が幸いを以って笑みを交し合えることを。


    記すべき名は無し、故に無名


カテゴリ: [手記] - &trackback- 2006年05月15日 21:33:46

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