リチャード・ボナ


1967年10月28日、カメルーンのミンタ村で生まれる。

母がシンガー、祖父がパーカッション奏者という音楽一家において
祖父にバラフォン(アフリカの木琴)の手ほどきを受ける。

6歳の頃には自転車のワイヤーなどを駆使しギターを手作り、7歳で自分のバンドを作り演奏する。

その後、父と生まれ故郷のミンタ村から首都ドゥアラへと引越し、とあるフランス人男性と知り合う。
彼はLPを抱えて旅するような人だったらしく、そこでジャズのレコードを多く聴くことになる。

そして彼の運命を変えたのがジャコ・パストリアスのレコードだった。

それまではベースに全く興味を示していなかった彼が、すでにミュージシャンとしての活動を
スタートさせていたにもかかわらず楽器をベースに持ち替え、ジャズに傾倒していった。

父の死後、フランスはパリに移り、そこでの活躍がジョー・サヴィヌルの目にとまることとなる。
その後はアメリカに拠点を移し、パット・メセニー、ランディ・ブレッカーら大物ミュージシャンと共演を重ねる。
渡辺貞夫、渡辺香津美らとの共演で、日本での知名度も上々。

現在、時代の最先端を走る天才ベーシストである。

楽器

シンセサイザーのコントローラーを内蔵したフォデラ・インペリアル5弦、またペンサ・サーの4弦フレットレスを使用。
他に、NYBW(NewYorkBassWork)のリチャード=ボナシグネイチャーモデルもあり、使用頻度が上がっているらしい。
シンセの使用で多彩なサウンドを聴くことができる。

演奏

ボナの演奏は、彼が最も影響を受けたベーシストであるジャコ・パストリアスの直系にあるといえる。
彼自身、「僕の80%はジャコでできている」と語る。
フランスに移った当初はフェンダーのフレットレスベースでまったくのジャコスタイルで演奏したというが、
その後、自分の音楽的背景に注目。

つまり「昔演奏していたバラフォンの基本リズムにジャコのスタイルを組合せ、その上で歌う」と言うものだ。

彼はソロにおいて、自分が弾くフレイズをそのままユニゾンで歌うというアプローチを取り、
さらにヴォーカルにおいては、彼の故郷の言葉であるドゥアラ語で歌う。
アフリカ出身のアーティストとして、故郷の言葉で歌うことに責任を持っているという。

また、ステージ運びではダイナミクスを表現するため、PAに対して
「音が極端に小さくなっても、それはわざとやってるからいじらないで欲しい」と注文をつけることもある。

余談
  • レコード会社に、聴いたこともないAC/DCやスティングのカバーをしろと言われ反発。
音楽は演奏する人の心と結びつかなければ説得力がないと言う彼は、
そのレコード会社からの要求を無視し、パット・メセニーとのツアーに旅立つ。
レコード会社を移籍してからは自由に音楽を作れているという。

  • 尊敬するミュージシャンとして、よく祖父、母の名を挙げる。
ここから見ても、彼の背景には生まれ故郷の音楽が根付いていることが分かるだろう。


Richard Bona - Liberty City 01
02もあるので、そっちもご覧あれ。ニコニコ動画にフルで上がってるので良ければご利用ください。

このベーシストへのいざない
Reverence
Tiki


  • 今、生きているという意味で一番好きなベーシストだな。メセニーとの『ブライト・ザイズ・ライフ』は聴きモノ! -- 名無しさん (2011-10-07 10:44:55)
  • ↑同感です。本気でベースが好きなんだろうな~…って伝わってきますね。 -- 名無しさん (2012-01-24 14:45:04)
  • 一度耳にしたメロディは絶対に忘れない人らしい。あと、マーカスが初めてクラブでボナの演奏を見て「うめー!」って絶叫したらしい -- 名無しさん (2012-06-07 02:57:26)
  • PMGに加入したのは今となっては謎(実情は知ってるけど)。あそこベーシストいるのにw -- 名無しさん (2013-07-25 22:29:37)
  • この人はベース以上に歌がいい -- 名無しさん (2013-11-21 14:26:09)
  • サウンドが異質すぎる -- 名無しさん (2014-11-14 02:37:55)
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最終更新:2014年11月14日 02:37
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