未来日記らしいよ

http://www.zolge.com/graphic/diarya.html

(観覧不可、Internet Archiveで観覧可能)

1999/09/03

ところで久々に悪口など。オレは「なっちゃん」とか「ごめんね」とかのCMを見ていると、企画したアホウとそれに乗ったバカ企業、恥も知らずに出演している女性タレントをまとめて絞め殺したくなる。いや、絞め殺したくなるCMタレントというと「桃の天然水、ひゅーひゅー」とか舌ったらずに言ってる奴(死んでしまえ)とかもそうなんだけど、あれは単なるバカだからまだ罪が軽い。
いったい世の中で、商品として扱ってはいけないもの、扱うべきでないものがあるとしたら、それは人の純粋な「想い」そのものではなかろうか。青臭いことを言うつもりはない。実際、広告なんて人の目についてナンボだから、「おふくろの味・インスタントみそ汁」の昔から、「想い」が商品になっていること自体を否定はしない。問題なのは、そういったものを「商品」として扱うにあたっての、作り手の姿勢だ。
たとえどんなに胡散臭い見せかけであっても、それが誰かの胸に、母親への思慕を喚起するかも知れない、といった意味において「おふくろの味」という表現は許されるだろう。それは母親への思慕という「想い」それ自体の純粋性に、なんら卑しさを加えるものではないのだから。「インスタントのどこがおふくろやねん」というのは、その通りではあるけども、また別の部分の話である。
対して「なっちゃん」や「ごめんね」の薄汚さはどうだ。これらは一見、「おふくろの味」よりよほど美しく純粋に見える。少女の向上心や純朴性といったものを、真摯に抽出して商品にまとめましたとでも言いたげだ。しかしその実際は、これまで胡散臭いインスタント食品でさえも、一応の敬意を払って直には触れなかった「想い」それ自体を、薄汚れた手でこねまわし、嫌らしい体裁にゆがめて切り売りしているのである。虫酸が走るとはこのことだ。世界のどこに立って何を作っているのか、自分でわかっているのか。恥を知れバカども

1999/09/19

なぜだか自分でもわかりませんが、最近「タツジン」にハマってます。
タイトー時代の東亜プランが出した発狂シューティングね。部屋のキュート筐体にぶちこんである基盤をはじめとして、エミュのメガドラ版、PCエンジン版と、それぞれやり狂ってます。ああ最高。
私は昔から「昔のゲームで描かれるところのSF的世界観」というものにメロメロに弱くて、古くは「ギャラガ」とか、「グラディウス」とか、マイナーなところで「4Dウォリアーズ」とか、古拙なデジタルならではの、冷たく無機的な感じが好きで好きでたまらんのですよはあはあ。
特にシューティングの場合、そのストイックなシステムと相まって、面が進むごとに味わえる、「もはや生きては帰れない遠いところ」に来てしまったなあという一種独特の悲壮感たるや堪りませんわ。
それにしてもドグラバってどうしても死なないんですけど・・・・。

1999/09/26

エミュで「達人王」をゲット!プレイ!即死!なんだこの難易度!
思えばこのころすでにシューティングの蜜月は終わって、基盤売りのビデオゲームはみんな、ストⅡを基準にしたプレイタイムとインカムで商売しなきゃなんなかったんだよなあ。

1999/11/12

仕事の帰りに秋庭に寄ると、ラオックスホビー館というのがオープンしている。なんとサターンソフト在庫処分1本500円より。冷静に考えたら500円でも遊ばないようなソフトばかりだが、これがそろそろサターンの最期と考えて買いまくり。
15本7500円。「ブレインデッド13」とか「シェルショック」とかの、リリースされたのも知らなかった洋ゲーが主。おおサターンよ、オレが保護してやるけんね。と遊び狂ってたら、なんとなんと本体がイカれる。
修理にも出せるし、今は新品でも3980円だからいいだろうって?オレのサターンは、わざわざ香港で買ってきた怪しいバージョンなのだよ!よく壊れるらしいプレステは、ちゃんと7500番台などを予備としてストックしてあったのだが、まさかサターンのほうが先に逝ってしまうとは思わなかったので途方にくれる。(稼働時間の差から考えたら当たり前だ)
畜生!せめて3ヶ月前に壊れていたら策を立てられたのに・・・というわけで、ここしばらくはサターン買いなおし月間に指定します。
とりあえず慶応活劇編と太郎丸、グランディアあたりはマストだな

1999/11/24

ゲーラボの大野君に説教する。柄にもないことだが、一応学校の後輩にあたるのでな。
最近けっこう多いのだが、書き手にきちんと筋を通すことができない編集さんがいる。
本人に悪気がない場合がほとんどだが、なにげない電話口の対応の一つで、書き手に致命的な悪印象を与えてしまうに気づかないのだ。
私も経験がないわけじゃないからわかるけど、編集にとって一番重要なのは、企画力よりも、どれだけ能力のある書き手を、自分の名前でひっぱってこれるかという、いわゆるコネの能力につきる。コネというのは、お互いがプロとして筋を通して、初めて結ばれるものだ。それを思えば、相手がどんなヘチャムクレな野郎であっても、仕事を頼んでいる最中に怒らせて、それで自分が得をしないことは判るだろう。
ほとんどの作家が才能に枯渇し、やがては消えていくのに対して、編集は多くの作家とのコネを持つことで、常に時代に応じた新陳代謝を繰り返し、はるかに長い時間モノ作りの現場に携わることができる。これは編集者の特権だが、逆に言えばコネのない編集なんてのは、もうコンビニのバイトと同じくらいの半端仕事に、人生を浪費しているのだということを、すこしは覚えておいた方がいい。
筋を通すなんて簡単なことだ。相手を惚れた女だと思って行動するだけでいいんだから。まちがっても人がわざわざ早めに仕上げた原稿に「忙しいからまた今度」なんて言っちゃいけねえぜ。
どうしても手が放せない時があることくらいはこっちだって承知。そういう時は「うれしいわダーリン、でも、本当にごめんなさい。私、今日はどうしても行けないの。許してね。そのかわり今度・・・ウフフフ」くらいは言ってやるんだよ。言ってることは同じでも、たったそんだけで丸く収まるだろ?

2000/09/07

最近スマップがガッチャマンやってるNTTのCMがありますな。わたしゃは別にスマップにもNTTにも恨みはありませんし、そんなにガッチャマンのファンでもありませんが、あれ最低
「最新のSFX技術で生まれ変わったガッチャマン」とでも言いたいんだろうけど、何をトチ狂ったのかバットマンのパチモノみたいに仕上げられた科学忍者隊を見てると本当に情けなくなります。いや、デキ自体はいいんだよ。バットマンのパチモノにしてはさ。でもなんで、ガッチャマンの名前を使ってまで、わざわざああいうことやるかね?
ガッチャマンったらアレだよ。マジンガーに放映時期がカブってるから、いまいち評価されてないけど、ジャパニメーションの一つの古典だよ。クリエイターならそれこそヨダレが出そうな、オリジナリティの宝庫だよ。黒いマントはためかして夜のビル街を飛び回る以外に、もっと見せるべきものがあるだろう。
懐ロボのプロポーションをガンダムかエヴァみたいにして喜んだり、ハカイダーをスポーンみたいに描いて得意になってたり、オリジナルの本来持っていた、優れた部分とその意味を全く無視して、単なる流行のアレンジを加えるだけのリメイクがカッコイイと思ってるバカを見てると、わたしゃその志の低さにブッ殺したくなってしまいます
趣味でやってるならともかく、プロとしてやってるんならハッキリ言いますが仕事の規模もデキも関係ない。あんたら、恥ずかしいぜ

2001/05/03

一部で話題らしかったスパイク・ジョーンズ(だっけか)監督の「マルコヴィッチの穴」を借りて来て見る。たしか劇場公開当時はそれどころじゃなかったのだ。
見て仰天。とにかく脚本がスゴイ。こんなエンターテイメントと両立したデタラメ話はちょっと見たことがない。(たいていデタラメのためのデタラメになってしまうのだ)全く意味不明なのに、ぐいぐい引き込まれるストーリー展開にはスナオに感心。
こういったやり方が商売としてアリということになれば、けっこうアメリカ映画も変わりそうな気もする。そっちに気を取られすぎて、肝心の監督の手腕の方は正直よくわからんかったのだが、いずれまあ凡庸なものではなかろう。どっちかというとカメラのほうが印象に残ったけどね。
しかし、脚本といい監督といい、こいつらみんな俺らと同年代、悪くすると年下なんだよなあ。そこらのマスコミに吹いて持ち上げられてるクリエイター様が何歳だろうと全く気にならないが、奇想なら誰にも負けないと密かに自負していたりするワタシとしては、こういうのを見ると、こりゃウカウカしておれんわ(何が)、とか思うのであった。

2002/11/16

真魂斗羅をやって一言。

「ゴメン、オレこの絵ダメだわ」

2002/11/19

メカデザインとオリジナリティについて雑感。
日本のメカデザインというのは一種独特で、キャラクターデザインの一部が、いつのまにやらとんでもない方向性へ複雑化を遂げていて、その有様がいかにも薄気味悪く思う。「宇宙空間での運用性」がどうとか「関節強度」がどうとか、擬似インダストリアルデザインみたいなことを本気で語ってる人を見ると唖然とする。
最近では大河原邦男のオリジナルなガンダムは「リアルでないから」人気がないそうな。 最新の技術で「リファイン」されるんだそうな。 バカじゃなかろか。曲線一本で実際に性能が変わる自動車や飛行機ならいい。四半世紀も前のオモチャ用デザインを、いい大人がうれしそうにこねくりまわして何をやってるのだ
「ガンダム」や「マクロス」がいまだに商売になるというのはご同慶の至りだが、要は逆に、それ以降もうメカデザインというものが、新たな金を稼いでこなかったというだけの話だ。そんな場所でメシを食ってる人間は、自分を恥じろとまでは言わないが、ちょっとは足元を見た方がよろしかろう。こないだくたばった成田亨の無念が、ちょっとだけよくわかる。
人は、まったく見たことのないものよりは、ありものに具合よくトゲや羽根を付けた方を喜ぶ。 だから一番評価されるのは、一番カッコよくトゲや羽根をつけた人間かもしれない。でもそれは、決して「モノを作る」ということにはならない。
オリジナリティというのは、実際のところ世間で言われるほど評価されない。うっかりするとマイナスに取られることの方が多かったりもするのだが、もしも「自分はモノを作ってメシ食ってます」と胸を張って世間に言いたかったらトゲや羽根でなく、自分のオリジナリティで勝負していくしかないのではなかろうか。義務として
いや、オレもまだ到底言えてないんだけどさ。

2002/12/01

最近のポリゴンがポリポリしたゲームを遊んでいると、メガドラとかスーファミ時代の「ジャギー感」がたまらなく恋しくなってきます。特にスーファミは、ファミコンよりもさらに解像度が粗い分、露骨な「ジャギー感」があって、いい感じでした。ジャギー!
実は私はOBJの拡大縮小がジャギジャギしたのも大好きで、「もっとガクガクさせて!」とか言って、プログラマからはイヤな顔をされてました。ジャギー!
この「ジャギー感」というのは、ゲームが発達していく過程において、とにかく排除されるものとされて今日に至るわけですが、結局それが、キレイなだけで主張のない、フォトリアルもどきに終始している今日を考えると、今こそゲーム独自の表現様式として、「ジャギー感」の復権を考えるべきではないでしょうか。ジャギー!
俺様の名を言ってみろ!

2002/12/09

「ベルセルク」が好きになれない。
アクション漫画としてはなるほど面白いのだが、作者がタマになんかそれ以上の、思索的というか哲学的なことを語ろうとして、それがいかにも底が浅くて辟易とさせられる。
この作者、実に丹精込めて、一生懸命ヨーロッパ的な悪魔を描くのに、そういう世界であれば対極の位置に厳然としてあるはずの「神」の方は、もうおっそろしいくらいにイメージ貧困で、適当で薄っぺらい書き割りなのな。
神がちゃんといるからこそ悪魔もちゃんといるわけで、好きな一方だけを描いて済まそうという横着は、「北斗の拳」みたいな活劇の舞台なら許されるけど、それ以上の何かを語るつもりならあまりにも根っこが弱すぎるだろう。
バケモノや甲冑の細かいディティールを細かく描いてるヒマがあったら、ヘルメスの杖なんかで逃げてないで、ちゃんと十字架を描けと言いたい。多分キリスト教系団体から抗議されると思うけど、本来それくらいの覚悟なしに、日本人が面白がって踏み込んじゃいけない世界だと思うぞ。

2002/12/20

なんかNHKで「SFホイップクリーム」とかいう邦画の紹介をやってて、これがもう最悪にダメダメな感じ。「不思議惑星キン・ザ・ザ」へのオマージュとか言ってるけど、こんなの単に粗悪なパクリだろう。
なんかサブカルっぽく気取ってるのが余計にハラが立つ。定義の範囲をよく知らないが、オレはこういう、いわゆる「サブカル」みたいなのがキライだ。多分近親憎悪に他ならないんだろうけど、自分の偏った嗜好なり知識なりを、恥ずかしげもなく「それって逆にカッコいい」とか思い込んでる連中を見ると、「スカしてんじゃねえ!」とガケ下に突き落としたくなる衝動をどうすることもできない。ちょっと世間とは離れた道を進む風をして、その実、こっそり世間に擦り寄って認めてもらおうとする卑しさみたいなところがもう最悪。
行くなら黙って無人の野を歩め!小難しい理屈を並べて自分のバカを正当化しようとすんな!というわけで近所のガケ下には、数知れぬサブカル人の骨が20人ほど埋まっているので、掘り返さないように。

2003/03/14

引き続きゲームの話を。
最近(でもないか)よく「今のゲームはつまらん。昔のゲームのほうが面白かった」というのを聞きますが、なんででしょうかね。私なりにちょっと分析してみました。
やっぱり一番大きいのは「昔はよかった」と同じ類のノスタルジーでしょうかね。ただ、ちょっと書いておきたいのは、昔のゲームというのは「面白くする以外に作りようがなかった。」という部分です。
アタリVCSとか、カセットビジョンとかを見れば納得がいくと思いますが、昔のゲームって、とにかくもう表現力が低くて、絵にしろ音にしろ、何にもやれることがなかったのね。 そうすると開発者の労力のベクトルも、中身にしか向けようがないわけで、それが初期のゲームに特有のシンプルで確固とした面白さを形作っていたように思われるのです。
つまりゲームはそもそも、足りない表現力を補完する形で、むしろ「しょうがなく」面白くなっていたという。 表現力が向上していけば、そっちに労力を割かざるを得ないわけだから、その分面白さが減っていくのはこりゃ当然…というわけです。
マクドナルドとかで、売り上げに大した差が出るわけでもあるまいに何か妙にうまい店というのがありますが、いまどき「面白いゲーム」とは多分そんな感じで、単にもう現場のスタッフが意地になってやってるのではないかと。

2003/03/19

私がなにげに気に入っている「グラディウス・ジェネレーション」。
なんかあんまりいい評判は聞きませんが、MSX版グラの新作を遊ぶような独特の味があって好きです。特に評判のよくない音楽に関しても、例の「ぴきぴっぴきぴき」とか以外、特に1、2面などではなかなか意欲的なことをやってて悪くないと思ってました。
つい先日、偶然にもネット上で音楽担当の方を見つけまして、お話を聞いてみると、やっぱり担当が複数おられ、その方は1、2、4、5、面。後は別の方だそうです。本来はPSG三音用に書かれた曲で、なんかメロディとかみあってないPCMドラムも、実は後から別に加えられたものだとか。なるほど納得!インターネットって便利だなあ。
こんなとこに書いても意味ないかと思いますが、このソフトを持ってる人は、だまされたと思って、1、2面のPSGメロディだけ聞いてみ。私の大嫌いなグラIVや外伝なんかより、よっぽど「きちんと新しいグラディウス」だから
ホムペも発見しましたが、荒らされたりしたらヤだから書きません。

2003/04/14

「世界観」について
よく「このゲームの世界観は…」とかゲーム雑誌に書いてあるけど、
ゲーム業界ほど「世界観」という言葉をやたら好んで使ってる場所はないそうな。
これはゲームというのが、小説や映画のような、決められた時間軸にただ流されていく「物語」とは異なり、曲がりなりにもプログラムによって自律している「状況そのもの」を描けるということと無縁ではないだろうけど、ぶっちゃけそんなカッコいい話ではない。ゲームの世界における「世界観」というのは、単に「商品価値のある美術設定」という意味でしかないのがポイントである。
さらにぶっちゃけると「人の目を引く奇抜な見た目」ということだ。なにしろ商売だから、そうした割り切りが必ずしも悪いとは言わないが、そうした薄っぺらい内実にまったく無自覚なまま、「世界観」などという言葉を恥ずかしげもなく使ってしまうというのは、たしかにゲーム業界のある面を象徴しているのかもしれない

わかりやすい例で言えば、一番「世界観」について言われるファンタジーRPGに登場する人間たちは、いかにも趣向を凝らした奇抜な衣装を身にまとって、風変わりな舞台で活躍しているが、彼らがどうしてその場所でそんな格好をするに至って、それでどんな生活を送って、どんな望みや悩みを持っているのかといった部分は果てしなくナゾである。
要は宝塚のようなもので、出てくるものすべては無責任で薄っぺらい書き割りに過ぎない。もちろん宝塚は確信犯的にそうした無責任で薄っぺらい書き割りを描いており、それはそれできちんと一つの表現足りうるのだが、よりにもよってそうしたものに「世界観」という言葉をうれしそうに使ってしまうところが、すなわちゲーム業界の浅薄さというものではあるまいか。
「世界観」というのは、文字通り世界を見つめる「視点」のことであって、たとえ画面に映る物が一足の古靴であっても、それを内包する世界そのものを暗示させる視点によって、たとえその場に写っていない関係性を観客に提示することだと思う
世界観とは奇抜な衣装を考えることでなくて、そんな奇抜な衣装を着ている人間が登場するためには、彼の周囲の状況が恐ろしいほど欠落していることが多い。まったく想像できないし、たぶん制作者も考えたこともない
本来「世界」というものであれば当然示されるはずの関係性といったものは
そういったことは一切
そうしたその関係性は一切
ビジュアルでまったくフォローまったく想像もできない。
もっともらしいビジュアルで毎回描かれているけれども、ビジュアルに関係ないもの商品価値のないものは世界観として呼ばれない。よくある「文明が崩壊して千年」とか絵的な見た目以外と さらに言えばなんかファンタジックな異世界を一番よく使われる

2003/05/26

BSマンガ夜話で999をやってる。
うーむむ。マンガってこれだけ一大産業を成したのに、きちんと語ることがホントにできてないなあ。マンガに限った話じゃないかもしんないけど。結局才能のある人は語る側じゃなくて作る側に行っちゃうからなんだろうなあ。

2004/01/03

2ちゃんナショナリズム。
また2ちゃんねるの話。
2ちゃんで大人気の安ーいナショナリズムを見るに付け、なんだか暗澹とした気分にさせられる。ナショナリズムには、本来それなりの意義や必要性もあると思うのだが、こと人の口の端に登るや、なぜにこうも安ーい方向にしか利用されないのだろうか。
それこそナショナリズムの本質なのかもしれないが。
さらに言えばそんなことオレに言われたかないと思うが。

2004/01/06

以下覚え書きですが、私はゲームのビジュアルとは常々「絵」よりも「図」に近くあるべきだという信条を持っております。つまり「何がどうなっていて、何をすべきか、誰でも一目でわかること」こそが第一義であって、迫力とかリアリティとかは、あくまでもそれを飾る一要素に留めるべき、ということですね。
ゲームは、寝てても最後まで進む映画とは違って、とにかくプレイヤーに、積極的に関与し続けてもらわないと一歩も先に進みません。ということは、その関与の方法が常に明示されない、つまり「何をやったらいいのかよくわかんない」というのはそれがどれだけビジュアルとして優れた表現であっても、ゲームとしては、もうダメダメになってしまうのです。
もちろん、図というのはわかりやすい反面、表現としては退屈なので、そこでプレイヤーを飽きさせないための、あらゆる手段、演出というものがが必要とされるわけですが。
悲しいことにプレイヤーというのはワガママで、どうしても見た目の派手な部分にまず目を向けてしまいますので、作り手としてはそこで手段と目的が入れ替わったりしないよう注意が必要です。
最近では、ハードの性能がハネ上がったので、昔はやりたくてもできなかった迫力満点の凝った演出がいくらでも実現可能ですがことゲームのビジュアルに限っては、普通とは逆に「いかにウカツな演出に振り回されず、全体を『図』に留めるか、」という、引き算のセンスなり努力が大事のように思いますね

2004/01/08

ゲーム売り場のデモで「七人の侍・20XX」を見て暗澹たる気持ちに。
これは一体誰が望んだリメイクなんだろう。作り手に、オリジナルへの理解も敬意もカケラも見られない。「こんなん別に興味ないけど、回ってきた仕事だからな~」という気配がアリアリ。
なまじ結構力が入っている作りだけに…あーあ…。

2004/01/16

平林久和が写った瞬間見るのをやめてた「ファミコンのビデオ」を一応最後まで見る。
オレが悪かった。他のメンツはもっとアレだわ。
本当にこの業界、もうロクな人間残ってないのな(オレ含む)。今だにゲームにしがみついているのは、他に能のないバカか、ただのサラリーマンか、安いサギ師だけだ。こんなソツないだけの、安っぽいくくりで終わるメディアって無残だな。
いいモチベーション向上になった。

2004/01/22

今度の仮面ライダー、頭にGペンくっつけたみたいでヘンなの。ディティールにもいちいちセンスがなくて、えらくカッコ悪いんだけど、なんかデザインが石森プロの人みたい。
こういうのって「宮崎駿が死んだ後のジブリ」みたいなもんで、純粋なリメイクとかならともかく、いまさらわざわざ新規に発注する意味なんかないんじゃあるまいか。それとも、何か権利がらみの綱引きでもあるんだろうか。
放映は見てないんだけど、デンセンマンみたいな「龍騎」とか、踏み切りの信号みたいな「555」とか、ヒット作なのにデザイン的な冒険を恐れない姿勢には結構シンパシーを感じていただけに残念。
戦隊ものもなんだか最近急にダサくなったし、ゴジラのどうしようもなさは言うまでもないし、(毎回モスラかメカゴジラかキングギドラを出せって横槍入れてるバカは死ね!)ああいうのはたいてい、上の人間がいらんことを言ってるんだろうなあ。

2004/02/27

ジャッジメントシルバーソードが再販されるそうで、まずはメデタイ。
こんなとこ見てないと思いますが、どうせならぜひ今度は「スーパーイージー」を追加してください。いやマジで。インカムをかっぱぐ必要があるアーケードならともかく、コンシューマーで、しかも携帯機だというのに「この難易度を楽しめるヤツだけがプレイすればいい」みたいなのはやめたほうがいいと思いますよ。
いつまでたっても26面が越せない逆恨みじゃないよ。ホント、信じて!

2004/04/18

先日、魔境4の取材で元データイーストの堀口さんと出井さんにお会いした。
ファミ通「あんたっちゃぶる」に登場したこともある、デコの誇る超絶ピンボーラーの方ね。
私はこれまであんまりピンボールに詳しくなかったのだけど(同席いただいた栗原さんと八木さんにはお世話になりました)お話をうかがって痛切に思ったのは、日本のピンボールって、こういう人たちに恵まれてなんて幸運だったのかいうこと。
啓蒙や普及活動の数々、まさにマニアの鑑。
オレの大好きなシューティングゲームは、一握りのバカでワガママなユーザーを残して、とうとうこういった文化を残さずに消えてしまったなあ…。
しかしネタのほうは死ぬほど集まったけど、これをどうやってまとめればいいんだ!

2004/05/22

メモ
いまのところさっぱりアテはないのだけど、いつか物語の中できちんと神を描きたい。
よくある薄っぺらいキリスト教的ゴッドのパロディや書き割りでない神を。
適当なイメージをツギハギした「僕が考えた神」でない神を
みなが好き好んで描くデーモンの反語でない神を。
チャビンのランソン像のように、人間を一顧だにせず、ただ蹂躙するおそるべき神。
いつぞや電車で乗り合わせた、●●教にハマった善良なおばあちゃんの、どうしようもない真摯な祈りのその先にいる神。
近代によって殺され、カルトによって辱められ、それでもしっかり人間にへばりついて離れない、つーか人間のほうで離れたくないらしい、そんな21世紀の神の姿を、ニヒリズム以外の視点からちゃんと描きたい。
昔アニメが何かと「愛とは」「平和とは」とかやってたみたいに、こういうバカげた試みは若者文化(つーかジャリ相手の商売の担い手)としては、一種の義務だと思うので。
オレ米食ってる日本人だから、いろいろ悩んだあげくにフタを開けたらあっさり仏を描いてるだけになるかもしれないがナムナム。

2004/06/07

PS2の「ウルトラマン」を買った。
ゲームとしては単調になりがちで、底が浅い気がするけど、オリジナルの再現度がかなりのものなので、単なる「ウルトラマンごっこツール」と割り切るとこれもアリかなあと。難易度を「キッズ」にして、風呂上りにビール飲みながら怪獣ボコボコにするのは楽しいです。
ハードの表現力が(比例して開発コストも)上がってくると、版権ものはみなこっちの方向に流れるかもな。絵的な再現度に力を注ぎ込んで、ゲームはそのオマケ程度というのは、すっかりヌルくなってしまった一般ユーザーも望んでいるところなのかも。
ペスターやグビラ相手にゴリゴリの対戦格闘をやらされても困るだろうし。

2004/06/24

オレはタバコを吸わないし、人がメシ食ってるところでタバコ吹かす奴は無条件に絞め殺したくなるのだけど、今日の話。
いつもの店でメシ食ってたら、となりのいけすかない夫婦が。お給仕のお姉ちゃんを呼びつけて、「この店は禁煙なの?タバコは毒なのよ!こんな狭い店で毒をばらまくヤツがいたらどうするの!店の怠慢よ!客の迷惑よ!すぐに禁煙にするのよ!するのよ!この近所でももう、このリスト(懐から取り出すんだよ!勧進帳みたいなリストを!)にある店はもう完全禁煙なのよ!この店も完全禁煙にしたらリストに掲載してあげてもいいわ!」…とまくしたてる。まさに世間の良識とやらをカサにきた傲慢。
てめえがお姉ちゃんを呼び止めてるあいだに、オレのところに来るはずのスプマンテがどんどんヌルくなってるほうがよっぽど客の迷惑なんだがな。オレこういう手合いが一番嫌いだ。戦争中は同じ調子で「非国民よ!」とかやってたに違いない。言ってる内容にはまったく賛成なんだけど、なんか発作的に絞め殺したくなっちゃったよ。

2004/08/20

最近よく考えること。
ゲームはだいたい5000円くらいするんだけど、5000円あったら相当いい本が買えるし、いい映画だって見られる。我々の仕事は、つまりそうした機会を子供から奪ってるわけだ。
自分の表現したいものを作ったり、それが子供たちに喜んでもらえて100万本売れたりするのも、ゲームを作る動機としてもちろんアリアリだと思うけど、みんなそろそろもちょっと考えてみないか?
もちろんそれが単なる説教の押し売りとかになったりしては意味がないんだけど、ゲーム屋の意気地としてさ、「この5000円、多分もっとマシな使いみちはあるんだろうけど、でも決しておまえさんの人生の損にはさせねえぜ!」と言い切れるくらい、内容に責任を持つべきではなかろうか。そういう自覚を持たないまま、面白おかしくフラフラと性根の座らないモノばっか作ってると、いつまでも世間にナメられっぱなしのような気がする。
実は、こないだ作ったゲームは、甥っ子に遊んでもらおうと思って作ってたのな。甥っ子の家は、ふだんゲーム禁止なんだよ。もちろんオレに直に言うわけじゃないけど、親の方はゲームを嫌ってる気配アリアリ。でも、オレもそれに面と向かって反論できないのな。オレだって自分のガキがいたら、今のゲームをわざわざ薦める気にならないもん。金を稼ぐことしか考えてない内容ゼロの遊びだし、目悪くなるし、外にも出ないし。こんな悔しいことってないぞ。
長くはない人生と多くはない才能を浪費して、ほとんど泣きわめきながら作ってるものが、世の親に嫌がられるような害毒でしかないってのはどういうことよ。手塚や藤子が、そっから歯を食いしばって見せた意気地が、なんでオレたちにはないのよ。
だからオレ、こないだの仕事は商売だからとか一切抜きで、一人の大人として、甥っ子に真正面から向き合うつもりで作ったのよ。「まだ小さいから、よくわからんところもあるかもしんないけど、これやってみてくれ。おまえさんに遊んでほしいんだ。」胸を張ってそう言えるように。
したら「ごめんさいねー。せっかくいただいたのに、ウチはゲーム、週末にしか遊ばせないからポケモンばっかりやってるんですよー」
…道は険しい。


2004/08/24

グラディウスVやってます。集中力が続かないので一日1チャレンジ。
#内さん、あのバスクリン面なんとかなりませんかムキー!
グレフが協力したというテクスチャに、クオリティのバラつきがあるのもちょと気になる(十分許容範囲だけど)。
私でよければ、よかったら今度声かけてください。

2004/11/07

こんど出るドラゴンボールのGBA版がいいデキみたいですね。大変スキのない作りで頭が下がります。

2004/11/08

一方、ネオ魂斗羅イマイチですね。
あんまりこういうこと書きたくないんだけど、魂斗羅大好きなのでちょっと書いておきたい。魂斗羅の一番の売りは、細かいことは気にしない力押しの豪快さにあると思うんだけど、その点なんだか遊びがチマチマしてる上に、絵はメタルギアみたいなスカシ気味なのが逆効果で、妙にススぼけた感じー。ムービーのバカバカしさ以外に見るべきところがなくなってしまっている感じー。とっても一生懸命作ってるのはわかるんだけど、コンセプトの部分で、もっと魂斗羅のどこを活かすかをキッチリ押し出した方がよかったんじゃないかな。あるいは営業とかプロデューサーが余計なチャチャを入れてきたのかしら。
いまどきなかなかこういうゲームを作るのも難しいと思うんで、どうかがんばってください。

2004/11/20


2005/0x/xx(その1)

日本人のファンタジー観
最近は洋風だけじゃなくて、オリエンタルなファンタジーもずいぶん親しまれてるけど、不思議なのは、そこになぜか仏教的な要素がほとんど見られないこと。神道や道教的な要素はむしろ好まれているので、意識的に排除されているような気配すらある。やはりファンタジーというのは「ここではないどこか」を舞台とするだけに、自分の血肉に近いものからは離れたいのだろうか。
本家洋風ファンタジーも、考えてみればキリスト教的要素をできるだけ廃して、セルティックなものに近づきたがる気配があるが、あんなものなのかも。仏教的ファンタジーの代表みたいな西遊記の場合も、あれが書かれた時代の仏教は、儒教や道教の中に埋没して、むしろ中国人の日常からは遠いものだったろうから、逆に憧れの対象になりえたのかもね。

2005/0x/xx(その2)

よくSFとかを読んでいて違和感を覚えるのが「人間」あるいは「生命」についての認識。
なにしろ我々は人間なので、人間というのは特別なもので、人間と他の生物の間には決定的な差があって、人間こそが勝ち組つーか万物の霊長みたいな勝手な思い込みがあるけど、多分そうじゃあるまい。
さらに言えば、なにしろ我々は生命体なので、生命というのは特別なもので、生命と非生命というのはなにか決定的な差があって、生命こそが勝ち組つーか究極みたいな勝手な思い込みもあるけど、これまた多分そうじゃあるまい。普通に考えたら、そんなのが宇宙規模での決定的な差であるわけはなくて、まあもっと上には上があると考えた方が自然だろう。それがどんな「上」で、具体的にどんなヤツなのか見当もつかないが、そいつらを前にしたら、ひょっとして我々は知性を認められないどころか、「こんなものは生命ですらない」と一蹴されるだけかもしれない。
ちょうど我々が結晶とか対流といったものを眼前にして、なんら共感を覚えないように。

2005/08/05

アーミートーフー
テレビで新シルクロードをやってる。
敦煌あたりは阿弥陀信仰なのな。西方の兜率浄土なのな。金ピカの阿弥陀如来のなんたる俗っぽさ。現世利益そのもの。でも彼らにとって、これこそ仏なのだ。景教のフィルターをかました、いわば仏教の最終形態だ。(もう一個、ミロク信仰もあるな)
こんなこと仏陀は一言も言ってない。だが仏陀が何を言ったか、そんなことはちっとも仏教の本質ではないのだ。イエスの言葉が、ちっともキリスト教の本質でないように。ただ茫漠たる地平が、そしてその上に、静かに積み重ねられる歴史があるだけだ。
もう沢山だ。オレは西方にも天上にも行かない。

2006/01/16

PCでゲーム
といっても最新グラボでFPSとかじゃないよ。
8リビングに仕込む-16ビットのエミュ用、レトロ系オシャレマシン。
いろいろ試したが、結局ASUSのPUNDIT(黒)にセレのトロめ、(静かで熱くない奴)
サウンドがタコなので、USBオーディオ、もしくは安めのサウンドボードを一枚かます。
コントローラはスマートジョイパッド3にロジテックのPS2用ワイヤレスを挿すのが一番カッチョよかったなりよ。無線だからPC自体は隠せるのもナイス。レスポンス、操作感では一歩劣るが、そんなときは実機引っ張り出せばいいんだよ!

2006/01/20

ジューシィなゲームたち。
8~16ビット期のゲームが、今もオレの心をとらえて離さないのは、光り輝くドットやピコピコしたサウンドが生み出す、えもいわれぬ「ジューシィ」さのせいだ。この世ならぬ電子の果実にかぶりつくような、刺激的で爽やかな味わいのせいだ。無限に流れるデジタル8色の星々を、金属的なFM音源の響きを、なんて美しいんだろうと思った。東亜プラン「達人王」の、官能的なまでに濃厚なドット絵を見ると、今も舌なめずりが出てくる。
イマドキのゲームにあまり食指が動かなくなったのは、隙がないだけでどこにも華のない、そのガサガサしたビジュアルに、「ジューシィ」さが感じられないからかもしれない。

2006/02/23

「サイレン2」買いました。怖くて遊べません。
なんで金払ってこんな怖い思いをしなきゃならんのでしょうか。
バグチェックやらされた奴は大丈夫なんだろうか。

2006/02/24

「ゲド戦記」予告見ました。
なんか思ってたよりいいですな。「バルテュス・豪華版」みたいな感じで。「アリーテ姫」みたいな、ムダな独自性を発揮しようとか妙な気負いがなく、堂々とパチモノ作ってるところに一種の清清しさがあります。どう見てもパチモノでしかないところも、かえって安心して見ていられる感じです。
こいつらを皆殺しにするのがこれからの仕事だな。

2006/08/25

ここだけの話ですが、スクリューブレイカーの大金庫が1年ぶりにクリアできました。
謎解きのヒントはもらってたのですが、ゲーム屋のサガが災いしたのか、まさか言われたとおりのことを本当にやらせるつもりだとは思わなかったのです。桃太郎伝説の「いなずまの術」を思い出しました。
ゲームフリークのゲームって、とってもゲームが好きなことはわかるけど、プレイヤーのことがあんまり好きじゃないよなあ。今エジプト面です。

2006/11/25

久々にギャラリー更新しましたのでよかったらどうぞ。「カルドセプト・サーガ」みんなもよかったら買ってね!サンプルまだ届かないけど気にしないさ!
あと、最近は「オレIN1」編集にハマってます。無人島に持っていくとしたらこれ一本で事足りるようなオレの、オレだけのマルチロムを!ちなみに断然GBミクロ用。DSはいまいち常時携帯には美しくないザマス。
今は断然オーバーホライズンさー!

2006/12/18

次回のゲームサイドは「8bit年代記」
久々にコピー不使用のマジメなマンガなので、よかったらどうぞ。
疲れたらまた桃老人が出てくる予定だけど。

2006/12/20

DSのマジコンが流行ってるんだが、正直あんまり食指が動かない。
マジコン使ってまで遊びたいハードじゃないというか。
どっちかというとGBAミクロの方がよほど熱い。多分あれがサイズ、スペック的に携帯機の最終形態だろう。ギリギリキーチェーンに繋げるし。もうちょっとPCエンジンやスーファミが実用的速度で動いてくれたら文句ないんだが。


どうもmixiでも日記を書いていたらしいが……見つからない。

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最終更新:2012年01月07日 19:05
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