【種別】
異能・技術
【初出】
一巻
【概要】
学園都市の『
開発術』が確立されたことで人為的に習得することが可能になったが、
それ以前から天然で能力を発現させた者である
原石が存在する。
また、「才能なき人間」が原石という「才能ある人間」と対等になる為の技術として、
魔術が生み出されている。
これを行使する者は『超能力者』と呼ばれそうだが総称は『
能力者』。
真に「超能力者」と呼ばれるのは7人の
レベル5のみである。
レベル5などの特別な能力者は、能力名がある種のコードネーム・通称として一般に広まることがある。
(例:『
常盤台の超電磁砲』、
麦野が
垣根を『未元物質』と呼んでいる、など)
【原理】
量子力学の語る所によると、ミクロな世界では、
観測されていない物は抽象的な確率や可能性でしか語ることができない。
「ある」「ない」ではなく、「70%存在する」といった表現しかできない。
そして観測されると「70%存在する」物は70%の確率で現れ、30%の確率で消えるのである。
とあるシリーズの世界ではミクロな世界の「観測者」は人間の脳であり、
故に人間の脳を適切に操作し、ミクロな世界を観測させれば、ミクロな世界を歪めることができるとされている。
例えば、自然的現象が99%存在し、超自然現象が1%存在する時には、
普通の人間が観測すると99%の確率で自然的現象が起こり、超自然現象が起こる確率はわずか1%でしかない。
しかし脳を操作された人間は、1%しか存在しないはずの超自然現象を観測し、本来の確率を無視して無理やり発生させることができる。
そしてミクロな世界の歪みが「バタフライ効果」のようにマクロな世界にも影響を及ぼし、
マクロスケールでの超自然現象、つまり本来有り得ないはずの歪んだ現象を引き起こすのである。
操作された人間の脳にある、「超自然現象を発生させる何か」を『
自分だけの現実』と呼ぶ。
自分だけの現実には未だ不明な点も多く、例えば脳のどこが司っているかは判っていないし、
また脳単体では超能力を発生させることはできないようである
(これについては
プロデュースという暗部の実験が行われていた)。
ともあれ、「自分だけの現実」を持っているということは「まともな現実から切り離されている」という一種の精神障害と同義であり、
事実「自分だけの現実」を極めた存在とも言えるレベル5は、全員が人格破綻者として広く知られている。
学園都市で行われている
開発術とは、投薬や電気ショック、催眠術などにより、
人為的に「自分だけの現実」を獲得させる技術である。
【演算】
能力自体は「自分だけの現実」があれば発現するが、
その能力を行使・制御するためには頭脳による「演算」が必要となる。
どんな能力にも現象を起こすための計算式があり、それを正確に演算することで能力を発動させる。
演算能力は訓練や学習、実験等で向上させることができ、
そして演算能力の大きさはそのまま能力の精度の高さに繋がる。
このため、基本的に「演算能力が高い」ことは「学習能力が高い(≒頭が良い)」ことと同義であり、
その結果、高位能力者ほど知能が高くなる傾向がある
(もちろん低位能力者でも知能が高い者は多いが、知能が低い高位能力者は少ない)。
ただし、黒い翼を展開させた
一方通行などの例を見るに、
演算は非科学的(魔術的?)法則の様なものに基づいて使用する際にはあまり関係ない(もしくは邪魔)のかもしれない。
また、
原石に分類される能力者は自身の力を
全く抑えきれなかったり、
詳細を把握していない状態でも行使しているため、
彼らについても学園都市製の能力者と同様の演算が必要なのかは不明。
端的にまとめると、
能力の「種類」と「最大値」を決めるのが『自分だけの現実』、
能力使用時の「精度」と「制御可能値」を決めるのが『演算能力』
である。
能力の総合的な強さはこの二つの掛け算と考えると分かりやすい。
【特性】
観測さえすればいいので特に予備動作は要らず、使おうと思いさえすれば即座に発動可能。
ただし可能性がその場に全く存在しない現象は起こすことができず、
疲労や苦痛などで集中力が乱れると演算の精度が落ちて使用不能になったりもする。
また、観測の力と言う性質上、知覚能力と干渉能力がセットになっていることもある。
(例:
御坂美琴の電磁場操作と電磁力線可視)
基本的に学園都市の
カリキュラムを受ければ誰でも能力を獲得することが可能だが、
能力の種類は先天的資質に大きく左右され、どんな能力が身に付くかは開発するまで分からない。
また、能力は
一人につき一種類で、一度習得した能力は
変更することはできない。
応用次第で多様な現象を起こすこともできるが(例:発火能力で煙を作ったり、酸素を奪うなど)、
根本の能力が一つなのは変わらない。
ただし、努力によりある程度成長させることは可能で、
強さに応じて6段階の
レベルで評価される。
【学園都市において】
学園都市の真の目的は、超能力の先にあるとされる
『
神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)』に到達することであり、
超能力自体はその研究の過程で生まれた副産物に過ぎない。
そのため能力開発は能力発現までの仕組みを探る生体実験的な意味合いが強く、
基本的に学園都市は能力の効果そのものにあまり興味はない。
実際、大多数の能力は戦闘利用の観点で見れば役立たずで、
高位能力者でも銃に勝てる者は少ない。
ただし一部の上位能力者だけは別格であり、世界を敵に回しても勝てるとさえ言われる。
学園都市暗部では、能力そのものではなく、
「その能力を用いて鍛え上げた武装を作る」といった二次利用が画策されており、
一部の装備は実戦投入可能なレベルにまで達している。
垣根帝督がかなり無理をしてでも生かされていたのは、
「この世のものでない性質を物質に付与できる」という特異な能力による工業的な価値が高いためらしい。
レベル5の序列も戦闘力ではなくこの研究的な利用価値で決まっており、
やたらと戦闘能力の高い
削板軍覇が第7位であるのもこれが理由である。
【余談】
前述の通り一定のカリキュラムをこなせば、誰でも大なり小なり何らかの能力に目覚めるはずだが、
それでも能力を得られない、「真の
無能力者」とでも呼ぶべき人間も僅かに存在するらしい。
小萌先生はレベル5ではなく、彼らこそが『SYSTEM』に辿り着く鍵だと思っているようだ。
また上条当麻の能力の有無については、幻想殺しを有している弊害なのか、
それとも本当の意味での無能力者なのかは言及されていない。
なお、学園都市の「能力を制御する方法を学ぶ」という名目からか、
都市内には「自分の能力を自分で制御できないヤツは恥ずかしい」という風潮があるようだ。
【関連】
最終更新:2021年01月22日 15:38