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    <title>太宰治Wiki</title>
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    <description>太宰治Wiki</description>

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    <title>姥捨</title>
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    <description>
      &lt;br&gt;
　そのとき、&lt;br&gt;
「いいの。あたしは、きちんと&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;仕末&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;しまつ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;いたします。はじめから覚悟していたことなのです。ほんとうに、もう。」変った声で&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;呟&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;つぶや&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;いたので、&lt;br&gt;

「それはいけない。おまえの覚悟というのは私にわかっている。ひとりで死んでゆくつもりか、でなければ、身ひとつでやけくそに落ちてゆくか、そんなところ
だろうと思う。おまえには、ちゃんとした親もあれば、弟もある。私は、おまえがそんな気でいるのを、知っていながら、はいそうですかとすまして見ているわ
けにゆかない。」などと、ふんべつありげなことを言っていながら、嘉七も、ふっと死にたくなった。&lt;br&gt;

「死のうか。一緒に死のう。神さまだってゆるして呉れる。」&lt;br&gt;

　ふたり、厳粛に身支度をはじめた。&lt;br&gt;
　あやまった人を愛撫した妻と、妻をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫と、お互い身の結末を死ぬことに&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;依&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;よ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;ってつけようと思った。早春の一日である。そのつきの生活費が十四、五円あった。それを、そっくり携帯した。そのほか、ふたりの着換えの着物ありったけ、嘉七のどてらと、かず枝の&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;袷&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;あわせ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;いちまい、帯二本、それだけしか残ってなかった。それを風呂敷に包み、かず枝がかかえて、夫婦が珍らしく肩をならべての外出であった。夫にはマントがなかった。&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;久留米絣&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;くるめがすり&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;の着物にハンチング、濃紺の絹の&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;襟巻&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;えりまき&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;を首にむすんで、下駄だけは、白く新しかった。妻にもコオトがなかった。羽織も着物も同じ矢絣模様の&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;銘仙&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;めいせん&lt;/rt    </description>
    <dc:date>2007-02-12T23:43:55+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/46.html">
    <title>「晩年」と「女生徒」</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/46.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
「晩年」も品切になったようだし「女生徒」も同様、売り切れたようである。「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;筈&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;はず&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;で
ある。「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千部、増刷される事になった。「晩年」は、昭和十一年の六月
に出たのであるから、それから五箇年間に、千五百冊売れたわけである。一年に、三百冊ずつ売れた事になるようだが、すると、まず一日に一冊ずつ売れたと
いってもいいわけになる。五箇年間に千五百部といえば、一箇月間に十万部も売れる評判小説にくらべて、いかにも見すぼらしく貧寒の感じがするけれど、一日
に一冊ずつ売れたというと、まんざらでもない。「晩年」は、こんど砂子屋書房で四六判に改版して出すそうだが、早く出してもらいたいと思っている。売切れ
のままで、二年三年経過すると、一日に一冊ずつ売れたという私の自慢も崩壊する事になる。たとえば、売切れのままで、もう十年経過すると、「晩年」は、昭
和十一年から十五箇年のあいだに、たった千五百部しか売れなかったという事になる。すると、一箇年に百冊ずつ売れたという事になって、私の本は、三日に一
冊か四日に一冊しか売れなかったというわけになる。多く売れるという事は、必ずしも最高の名誉でもないが、しかし、なんにも売れないよりは、少しでも売れ
たほうが張り合いがあってよいと思う。けれども、文学書は、一万部以上売れると、あぶない気がする。作家にとって、危険である。先輩の山岸外史氏の説に&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;依&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;よ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;ると、貨幣のどっさりはいっている財布を、&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;懐&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;ふところ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;に
いれて歩いていると、胃腸が冷えて病気になるそうである。それは銅銭ばかりいれて歩くからではないかと反問したら、いや紙幣でも同じ事だ、あの紙は、たい
へん冷く、あれを懐にいれて歩くと必ず胃腸をこわすから、用心し給え、とまじめに忠告してくれた。富をむさぼらぬように気をつけなければならぬ。&lt;br&gt;
    </description>
    <dc:date>2007-02-12T23:42:41+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/45.html">
    <title>女生徒</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/45.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
　あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;襖&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;ふすま&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;を
あけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた！」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物
のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっ
とやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、ま
た、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの
小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのう
ちに、だんだん&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;澱粉&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;でんぷん&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;が下に沈み、少しずつ&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;上澄&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;うわずみ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;が出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。いやだ。いやだ。朝の私は一ばん&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;醜&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;みにく&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;い。
両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。熟睡していないせいかしら。朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。
一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;身悶&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;みもだ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;えしちゃう。&lt;br&gt;

　朝は、&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;意地悪&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt    </description>
    <dc:date>2007-02-12T23:39:29+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/44.html">
    <title>鬱屈禍</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/44.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
　この新聞（帝大新聞）の&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;編輯者&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;へんしゅうしゃ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;は、私の小説が、いつも失敗作ばかりで伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。そうして、この、いじけた、流行しない悪作家に同情を寄せ、「文学の敵、と言ったら&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;大袈裟&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;おおげさ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;だが、最近の文学に就いて、それを毒すると思われるもの、まあ、そういったようなもの」を書いてみなさいと言って来たのである。&lt;br&gt;

　編輯者の同情に報いる為にも私は、思うところを正直に述べなければならない。&lt;br&gt;

　こういう言葉がある。「私は、私の&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;仇敵&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;きゅうてき&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;を、ひしと抱擁いたします。息の根を止めて殺してやろう下心。」これは、有名の詩句なんだそうだが、誰の詩句やら、浅学の私には、わからぬ。どうせ&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;不埒&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;ふらち&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;な、
悪文学者の創った詩句にちがいない。ジイドがそれを引用している。ジイドも相当に悪業の深い男のようである。いつまで経っても、なまぐさ坊主だ。ジイド
は、その詩句に続けて、彼の意見を附加している。すなわち、「芸術は常に一の拘束の結果であります。芸術が自由であれば、それだけ高く昇騰すると信ずるこ
とは、&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;凧&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;たこ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;のあがるのを阻むのは、その糸だと信ずることであります。カントの鳩は、自分の翼を束縛する&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;此&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;こ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;の空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の重さを&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;托&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;たく&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;し得る此の空気の抵抗が必要だということを&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;識&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;し&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;    </description>
    <dc:date>2007-02-12T14:54:36+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/43.html">
    <title>右大臣実朝2</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/43.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
&lt;div class=&quot;jisage_5&quot; style=&quot;margin-left: 5em;&quot;&gt;
同年。同月。七日、戊寅、幕府に於て、女房等を聚めて御酒宴有り、時に山内左衛門尉、筑後四郎兵衛尉等、屏の中門の砌に徘徊す、将軍家簾中より御覧じ、両
人を御前の縁に召して、盃酒を給はるの間、仰せられて曰く、二人共に命を殞すこと近きに在るか、一人は御敵たる可し、一人は御所に候す可き者なりと云ふ、
各怖畏の気有りて、盃を懐中して早出すと云々。廿日、辛卯、南京十五大寺に於て、衆僧を供養し、非人に施行有る可きの由、将軍家年来の御素願なり、今日京
畿内の御家人等に仰せらると云々。廿七日、戊寅、霽、宮内兵衛尉公氏、将軍家の御使として、和田左衛門尉の宅に向ふ、是義盛用意の事有るの由聞食すに依り
て、真実否を尋ね仰せらるるの故なり、晩景、また刑部丞忠季を以て御使と為し、義盛の許に遣はさる、世を度り奉る可きの由、其聞有り、殊に驚き思食す所な
り、先づ蜂起を止め、退いて恩裁を待ち奉る可きなりと云々。廿九日、庚辰、霽、相模次郎朝時主、駿河国より参上す、将軍家の御気色並びに厳閤の義絶にて、
彼国に籠居するの処、御用心の間、飛脚を以て之を召さると云々。&lt;br&gt;

同年。五月小。二日、壬&lt;img gaiji=&quot;gaiji&quot; src=
&quot;http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-14/1-14-58.png&quot; alt=
&quot;※(「刀」の「ノ」が横向き、第3水準1-14-58)&quot; class=&quot;gaiji&quot;&gt;、
陰、筑後左衛門尉朝重、義盛の近隣に在り、而るに義盛の館に軍兵競ひ集る、其粧を見、其音を聞きて戎服を備へ、使者を発して事の由を前大膳大夫に告ぐ、時
に件の朝臣、賓客座に在りて、杯酒方に酣なり、亭主之を聞き、独り座を起ちて御所に奔り参ず、次に三浦平六左衛門尉義村、同弟九郎右衛門尉胤義等、始めは
義盛と一諾を成し、北門を警固す可きの由、同心の起請文を書き乍ら、後には之を改変せしめ、兄弟各相議りて云ふ、早く先非を飜し、彼の内議の趣を告げ申す
可しと、後悔に及びて、則ち相州御亭に参入し、義盛已に出軍の由を申す、時に相州囲碁の会有りて、此事を聞くと雖も、敢て以て驚動の気無く、心静に目算を
加ふるの後起座し、折烏帽子を立烏帽子に改め、水干を装束きて幕府に参り給ふ、御所に於て敢て警衛    </description>
    <dc:date>2007-02-12T14:50:56+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/42.html">
    <title>右大臣実朝</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/42.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
&lt;div class=&quot;jisage_5&quot; style=&quot;margin-left: 5em;&quot;&gt;
承元二年戊辰。二月小。三日、癸卯、晴、鶴岳宮の御神楽例の如し、将軍家御疱瘡に依りて御出無し、前大膳大夫広元朝臣御使として神拝す、又御台所御参宮。十日、庚戌、将軍家御疱瘡、頗る心神を悩ましめ給ふ、之に依つて近国の御家人等群参す。廿九日、己巳、雨降る、将軍家御平癒の間、御沐浴有り。（吾妻鏡。以下同断）&lt;br&gt;
&lt;/div&gt;
　おたづねの鎌倉右大臣さまに就いて、それでは私の見たところ聞いたところ、つとめて虚飾を避けてありのまま、あなたにお知らせ申し上げます。間違ひのないやう、出来るだけ気をつけてお話申し上げるつもりではございますが、それでも万一、年代の記憶ちがひ或いはお人のお名前など失念いたして居るやうな事があるかも知れませぬが、それは私の人並はづれて頭の悪いところと軽くお笑ひになつて、どうか、お見のがし下さいまし。&lt;br&gt;

　早いもので、故右大臣さまがお亡くなりになられて、もうかれこれ二十年に相成ります。あのとき、御薨去の哀傷の余りに、御台所さまをはじめ、武蔵守親広さま、左衛門大夫時広さま、前駿河守季時さま、秋田城介景盛さま、隠岐守行村さま、大夫尉景廉さま以下の御家人が百余人も出家を遂げられ、やつと、はたちを越えたばかりの私のやうな小者まで、ただもう悲愁断腸、ものもわからず出家いたしましたが、それから、そろそろ二十年、憂き世を離れてこんな山の奥に隠れ住み、鎌倉も尼御台も北条も和田も三浦も、もう今の私には淡い影のやうに思はれ、念仏のさはりになるやうな事も無くなりました。けれども、ただお一人、さきの将軍家右大臣さまの事を思ふと、この胸がつぶれます。念仏どころでなくなります。花を見ても月を見ても、あのお方の事が、あざやかに色濃く思ひ出されて、たまらなくなります。ただ、なつかしいのです。人によつて、さまざまの見方もあるでせうが、私には、ただなつかしいお人でございます。暗い陰鬱な御性格であつたと言ふひともあるでせうし、また、底にやつぱり源家の強い気象を持つて居られたと言ふひともございませう。文弱と言つてなげいてゐたひともあつたやうでございますし、なんと優雅な、と言つて口を極めてほめたたへてゐたひともございました。けれども私には、そんな批評がましいこと一切が、いとはしく無礼    </description>
    <dc:date>2007-02-12T14:53:09+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/41.html">
    <title>嘘</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/41.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
「戦争が終ったら、こんどはまた急に何々主義だの、何々主義だの、あさましく騒ぎまわって、演説なんかしているけれども、私は何一つ信用できない気持です。主義も、思想も、へったくれも&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;要&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;い&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;らない。男は&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;嘘&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;うそ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;をつく事をやめて、女は慾を捨てたら、それでもう日本の新しい建設が出来ると思う。」&lt;br&gt;

　私は焼け出されて津軽の生家の&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;居候&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;いそうろう&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;になり、&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;鬱々&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;うつうつ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;として楽しまず、ひょっこり訪ねて来た小学時代の同級生でいまはこの町の名誉職の人に向って、そのような八つ当りの愚論を吐いた。名誉職は笑って、&lt;br&gt;

「いや、ごもっとも。しかし、それは、逆じゃありませんか。男が慾を捨て、女が嘘をつく事をやめる、とこう来なくてはいけません。」といやにはっきり反対する。&lt;br&gt;

　私はたじろぎ、&lt;br&gt;
「そりゃまた、なぜです。」&lt;br&gt;
「まあ、どっちでも、同じ様なものですが、しかし、女の嘘は&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;凄&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;すご&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;い
ものです。私はことしの正月、いやもう、身の毛もよだつような思いをしました。それ以来、私は、てんで女というものを信用しなくなりました。うちの女房な
んか、あんな薄汚い婆でも、あれで案外、ほかに男をこしらえているかも知れない。いや、それは本当に、わからないものですよ。」と笑わずに言って、次のよ
うに&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;田舎&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;いなか&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;の秘話を語り聞かせてくれた。以下「私」というのは、その当年三十七歳の名誉職御自身の事である。&lt;br&gt;

&lt;br&gt;
　今だから、こんな話も公開できるのですが、当時はそれこそ極秘の事件で、この町でこの事件に&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;就&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;つ&lt;/rt&gt;&lt;rp    </description>
    <dc:date>2007-02-12T14:37:41+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/40.html">
    <title>ヴィヨンの妻</title>
    <link>http://www12.atwiki.jp/empty/pages/40.html</link>
    <description>
      &lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　　　　　一&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。&lt;br&gt;

　夫は、隣の部屋に電気をつけ、はあっはあっ、とすさまじく荒い呼吸をしながら、机の引出しや本箱の引出しをあけて&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;掻&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;か&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;きまわし、何やら捜している様子でしたが、やがて、どたりと畳に腰をおろして坐ったような物音が聞えまして、あとはただ、はあっはあっという荒い呼吸ばかりで、何をしている事やら、私が寝たまま、&lt;br&gt;

「おかえりなさいまし。ごはんは、おすみですか？　お戸棚に、おむすびがございますけど」&lt;br&gt;

　と申しますと、&lt;br&gt;
「や、ありがとう」といつになく優しい返事をいたしまして、「坊やはどうです。熱は、まだありますか？」とたずねます。&lt;br&gt;

　これも珍らしい事でございました。坊やは、来年は四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;足許&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;あしもと&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;さえおぼつかなく、言葉もウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山で、脳が悪いのではないかとも思われ、私はこの子を銭湯に連れて行きはだかにして抱き上げて、あんまり小さく醜く&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;痩&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;や&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;せているので、&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;凄&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;さび&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;し
くなって、おおぜいの人の前で泣いてしまった事さえございました。そうしてこの子は、しょっちゅう、おなかをこわしたり、熱を出したり、夫は殆ど家に落ち
ついている事は無く、子供の事など何と思っているのやら、坊やが熱を出しまして、と私が言っても、あ、そう、お医者に連れて行ったらいいでしょう、と言っ
て、いそがしげに二重廻しを羽織ってどこかへ出掛けてしまいます。お医者に連れて行きたくっても、お金も何も無いのですから、私は坊やに添寝し    </description>
    <dc:date>2007-02-11T17:02:29+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www12.atwiki.jp/empty/pages/39.html">
    <title>陰火</title>
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    <description>
      &lt;br&gt;
　　　　　　　誕生&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　二十五の春、そのひしがたの由緒ありげな學帽を、たくさんの希望者の中でとくにへどもどまごつきながら願ひ出たひとりの新入生へ、くれてやつて、歸郷し
た。鷹の羽の定紋うつた輕い幌馬車は、若い主人を乘せて、停車場から三里のみちを一散にはしつた。からころと車輪が鳴る、馬具のはためき、馭者の叱咤、蹄
鐵のにぶい響、それらにまじつて、ひばりの聲がいくども聞えた。&lt;br&gt;

　北の國では、春になつても雪があつた。道だけは一筋くろく乾いてゐた。田圃の雪もはげかけた。雪をかぶつた山脈のなだらかな起伏も、むらさきいろに萎え
てゐた。その山脈の麓、黄いろい材木の積まれてあるあたりに、低い工場が見えはじめた。太い煙突から晴れた空へ煙が青くのぼつてゐた。彼の家である。新し
い卒業生は、ひさしぶりの故郷の風景に、ものうい瞳をそつと投げたきりで、さもさもわざとらしい小さなあくびをした。&lt;br&gt;

　さうして、そのとしには、彼はおもに散歩をして暮した。彼のうちの部屋部屋をひとつひとつ&lt;img gaiji=&quot;gaiji&quot;
src=&quot;http://www.aozora.gr.jp/gaiji/2-12/2-12-11.png&quot; alt=
&quot;※(「廴＋囘」、第4水準2-12-11)&quot; class=&quot;gaiji&quot;&gt;つ
て歩いて、そのおのおのの部屋の香をなつかしんだ。洋室は藥草の臭氣がした。茶の間は牛乳。客間には、なにやら恥かしい匂ひが。彼は、表二階や裏二階や、
離れ座敷にもさまよひ出た。いちまいの襖をするするあける度毎に、彼のよごれた胸が幽かにときめくのであつた。それぞれの匂ひはきつと彼に都のことを思ひ
出させたからである。&lt;br&gt;
　彼は家のなかだけでなく、野原や田圃をもひとりで散歩した。野原の赤い木の葉や田圃の浮藻の花は彼も輕蔑して眺めることができたけれども、耳をかすめて通る春の風と、ひくく騷いでゐる秋の滿目の稻田とは、彼の氣にいつてゐた。&lt;br&gt;

　寢てからも、むかし讀んだ小型の詩集や、眞紅の表紙に黒いハムマアの畫かれてあるやうな、そんな書物を枕元に置くことは、めつたになかつた。寢ながら電
氣スタンドを引き寄せて、兩のてのひらを眺めてゐた。手相に凝つてゐたのである。掌にはたくさんのこまかい皺がたたまれてゐた。そのなかに三本の際だつて
長い皺が、ちりち    </description>
    <dc:date>2007-02-11T17:01:48+09:00</dc:date>
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    <title>『井伏鱒二選集』後記</title>
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    <description>
      &lt;br&gt;
　　　　　第一巻&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
　ことしの夏、私はすこしからだ具合いを悪くして寝たり起きたり、そのあいだ私の読書は、ほとんど井伏さんの著書に限られていた。筑摩書房の古田氏から、
井伏さんの選集を編むことを頼まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけ
て来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰という愚かな弟子の身の上にとって、ただごとに非ざる良薬になるかも知れぬと
いう、いささか利己的な期待も無いわけでは無かったのである。&lt;br&gt;

　二十五年間？　活字のあやまりではないだろうか。太宰は、まだ三十九歳の筈である。三十九から二十五を引くと、十四だ。&lt;br&gt;

　しかし、それは、決して活字のあやまりではないのである。私は十四のとしから、井伏さんの作品を愛読していたのである。二十五年前、あれは大震災のとし
ではなかったかしら、井伏さんは或るささやかな同人雑誌に、はじめてその作品を発表なさって、当時、北の端の青森の中学一年生だった私は、それを読んで、
坐っておられなかったくらいに興奮した。それは、「&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;山椒魚&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;さんしょううお&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;」という作品であった。童話だと思って読んだのではない。当時すでに私は、かなりの小説通を&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;以&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;もっ&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;てひそかに自任していたのである。そうして、「山椒魚」に接して、私は埋もれたる無名不遇の天才を発見したと思って興奮したのである。&lt;br&gt;

　嘘ではないか？　太宰は、よく&lt;ruby&gt;&lt;rb&gt;法螺&lt;/rb&gt;&lt;rp&gt;（&lt;/rp&gt;&lt;rt&gt;ほら&lt;/rt&gt;&lt;rp&gt;）&lt;/rp&gt;&lt;/ruby&gt;を
吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、まず無い、と井伏さん
の創作集が五、六冊も出てからやっと、井伏鱒二という名前を発見したというような「人格者」たちは言うかもしれないが、私は少しも嘘をついてはいないので
ある。&lt;br&gt;
　私の長兄も次兄も三兄もたいへん小説が好きで、暑中休暇に東京のそれぞれの学    </description>
    <dc:date>2007-02-11T17:00:53+09:00</dc:date>
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