有希ちゃん殺害事件と93年美容師殺人事件の対照・コメント


93年美容師殺人事件(以後93年事件と略)と有希ちゃん殺害事件(以後05年事件と略)を対照する。
ソースについて : 93年事件は「法医学事件ファイル 変死体・殺人捜査(日本文芸社・2001 三澤章吾著)」と茨城新聞07-12-13、産経08-1-13による。05年事件は諸報道による。


(-1)被害者
○93年事件   22歳女性 159cm、45kg (住所:茨城県旧石下町)
■05年事件   7歳女児  120cm、19~20kg   (住所:栃木県旧今市市)


(0)不明場所‐発見場所間の距離(備考の地図参照)
○93年事件    約20Km
■05年事件    約60km


(1)遺体発見場所・発見状況
○93年事件   町道から山道を西へ約40メートルほど行った切り通し状の右斜面。林道脇。車内から発見。
■05年事件   県道から林道を200m、その支道を約50m入った地点の10m下の斜面。林道脇。車内から発見。


(2)発見時の遺体状況
○93年事件   仰向けの状態で全裸  衣類、所持品等、身につけたアクセサリー以外遺留品なし 
■05年事件   横向きの状態で全裸  衣類、所持品等、髪に付いた数cmの紙テープ片以外遺留品なし


(3)遺体状況
□93年事件   血がきれいに拭き取られていて、全身を洗い清められているようであった。ネックレス2本、左耳にイヤリング、右手中指薬指の指輪はつけたまま
■05年事件   殺害後、流れ出した血液をふき取ったか水などで洗い流した可能性が強い。(茨城新聞05-12-6)口から血を流していた。胸の傷からの出血は少量


(4)抵抗した形跡
○93年事件   なし
■05年事件   なし


(5)連れ去り時または殺害時の拘束状況
○93年事件   不明
■05年事件   手、(足)、口にテープ痕  (足にテープ痕ありとしたもの:朝日、共同系)


(6)刺し傷状況
○93年事件   首2ヵ所、胸13ヵ所、4ヵ所が心臓に達する         
■05年事件   胸12ヵ所程度、1ヵ所が心臓を貫通、数ヵ所の深い傷


(7)刺し傷・切り傷の傷口状態(裸で刺された可能性)
○93年事件   傷口には繊維やゴミなどの付着物がまったくない
■05年事件   遺体の傷口には有希ちゃんの衣服の繊維などが付着していない(TBSニュース05-12-12・読売06-6-1)


(8)死因
○93年事件   心臓損傷による失血死
■05年事件   心臓損傷による失血死


(9)刺し傷以外の外傷など

  (a)頭部
  ○93年事件   2ヵ所の皮下出血(殴られたような跡)
  ■05年事件   頭に1ヵ所打撲痕、頬に数ヵ所ほど(それほど目立たない)打撲痕?があった (頭の打撃痕は下野新聞が否定)

  (b)首
  ○93年事件   2ヵ所の刺し傷、ビニールコードのようなもので締められた跡
  ■05年事件   2ヵ所の点状の皮下出血(毎日06-12-1)

  (c)その他
  ○93年事件   足の裏にもいくつかの傷、右大腿部に大きな切り傷
  ■05年事件   手足にすりむき傷のように表皮がはがれていた部分(朝日05-12-6)


(10)失血状態
○93年事件   体内の血液は半分以上が流出していた
■05年事件   体内の血液のほとんどを失った


(11)凶器
○93年事件   幅1~1.5cm、長さ10cm以上の鋭利なノミ、あるいはヘラのようなもの
■05年事件   幅約1.5cm、刃渡り10cm以上、厚さ数mm以下の、鋭利な峰のある片刃のナイフ


(12)性的暴行の有無
○93年事件   不明
■05年事件   なし



(備考)

・事件現場地図

  

・93事件遺体遺棄現場と思われる地点。このサイトではグーグル地図を埋め込めないので、リンクを。ポインターをクリックするとその地点の説明が。

遺棄現場地図

(ⅰ)事件発生日時
○93年事件   93-1-12(月)10時半頃以降不明
■05年事件   05‐12‐1(木)15時頃以降不明
           (広島の女児殺害事件でペルー人容疑者が逮捕された翌日)

(ⅱ)以後行方不明となる場所
○93年事件   茨城県現常総市の常総市営自動車学校 (常総市新石下1321-18)を出てのち不明
■05年事件   栃木県今市市(現日光市)土沢地内の三差路で友達と別れた後不明

(ⅲ)遺体発見日時
○93年事件   93-1-13(火)16時頃(不明の翌日)
■05年事件   05-12-2(金)14時頃(不明の翌日)

(ⅳ)遺体発見場所
○93年事件   茨城県新治郡八郷町の国有林内にある林道脇の斜面。表筑波スカイラインの朝日峠                               から北へ(直線で)約1.2キロメートル下った山の中腹
■05年事件   茨城県常陸大宮市東町地内のおおみや広域聖苑南東約450メートルの山林内にあ        る林道脇の斜面

(ⅴ)およその天候
○93年事件   ○ 93-1-12-12時(不明時) 常総市のデータはないが近傍の
             筑波市(館野)晴れ、 気温約4度、 風約3m
             下妻市    晴れ、 気温約4度、 風約3m

              ● 93-1-13-16時(発見時)   
             筑波山    晴れ、 気温5.5度、 風3m     

■05年事件   ○05-12-1-15時(不明時)   
            今市市   晴れ、 気温約8度、  風1m

              ●05-12-2-14時(発見時)   
                        (常陸大宮市内と思われる)

           小瀬   曇り、 気温11.5度、 風1m


(ⅵ)月齢(茨城県での)
○93年事件   19~20日
■05年事件   0日(12-2-0-02-00秒:月齢0.000)


(コメント)
★対照項目を実質11項目ほど挙げたが、

(1)遺体発見場所・発見状況
(2)発見時の遺体状況
(3)遺体状況
(6)刺し傷状況
(7)刺し傷・切り傷の傷口状態
(8)死因
(10)失血状態
(11)凶器

以上の項目で類似性・同一性が見られる。犯行の手口はほぼ同一、とみることができる。
したがって、犯人が同一ではないかと推定することは自然。同一性が確実だ、とまでは言えなくても。
逆に、仮に犯人が同一で、同様な手口の犯行がなされたとした場合に、現在片方が不明となっている項目は、相同な項目になると考えられる。
その場合、(12)性的暴行の有無は、93年事件でも「なし」になる。93年事件での性的暴行の有無は発表されていないようだが、実際に「なし」であるならば犯人の同一性の確度はさらに高まることになる。地元紙など事件続報には出なかったのだろうか。

まあ、茨城県警の情報開示度によってしまう話になってしまうが。この点では茨城県警は言うまでもなく評判が悪い。たとえば2004年の茨城女子大学生(原田実里さん)殺害事件でも、5年も経った09年1月、「現場に残された遺留品から男2人のDNAが得られていた」などと明らかにするくらいだ。
ついでに言えば、原田実里さん殺害事件でも有希ちゃん事件でもDNAが出ているという事は、両事件の犯人はまずは違う人間だということだ。

2004年の事件では犯人らしき男のDNA検出は5年も伏せられていたわけだが、93年事件のDNAはどうなんだろう。まるで情報はなく、それも警察の無能の一つの証明ではなければいいのだが。

合同捜査本部は、有希ちゃん事件の捜査では、改めて93年事件のデータを掘り返して欲しいものだ。(それくらいはやっているのだろうか?)

★ふと直感的に思いついたのだが、93年事件では性的暴行はなかったのではないか。
まずレイプ後に刺殺したとする。この場合は単独犯にせよ複数犯にせよ、レイプの際に暴れる被害者をねじ伏せておく必要がある。(コンドームをしなければDNAも残る。コンドームをつけてレイプするキチガイもいないだろう。)その際、被害者の手足などには強く押さえつけられた内出血痕などが残ることになる。たとえば、2004年の原田実里さん事件では、実際そのような跡が遺体の手足に残っている。93年事件ではそれがない。ということはレイプ後刺殺したのではない。すると、刺殺後の死姦ということが考えられるが、血まみれの遺体にはさすがにレイプなどできないのではないか。93事件では遺体が洗われたようだが、死姦するために遺体をきれいにしたのだろうか。ありないことではないにせよ、極めて考えにくい。

また、93年当時は、足利事件の後なのだから、犯人は遺体に残るDNAが証拠になるということを知っていただろうし。DNAを残さず遺体を死姦するのには、おもむろにコンドームの装着が必要だ。・・・死姦にそんな作法はとり行わなかっただろう。で、死姦などなかった可能性が高い。

したがって、現在のようなDNAの採取・解析技術のなかった当時、精液が検出されなかったはずの93事件では、犯人のDNAそのものも見つからなかったと思われる。万一DNAが検出されていれば、それは当然有希ちゃん事件のDNAと比較されていなければならない。そんな話がまったく臭わないのは、やはり93事件DNAはなかった、性的暴行はなかったということではないだろうか。

(この点について、2ch議論板17レス番853より異論がなされた。

・「コンドーム無でレイプ」前提で書いてるけど・・
神経質な人だと、「行きずり」相手の場合はゴム必須だと思うよ。
神経質で猟奇的殺人願望、両立しないとは言い切れないと思う。

自分としてはこの論を否定も肯定もできなかったので、そのまま付記しました。)

★事件発生・遺体発見日時は対照項目に入れなかったが、どちらも平日の昼間に発生、翌日遺体発見ということでは共通性がある。

★また、あまりにも自明なので書かなかったが、どちらも茨城県内に遺体が遺棄されている事件だ。

★(6)の犯行時の拘束状況は、93年事件ではまるでわからない。(この項目はまとめの(17)拘束と重複する。)
有希ちゃん事件では口と手が粘着テープで拘束されていたことは確実だが、足の拘束痕の報道は一部にとどまる。しかも拘束が連れ去り時のものなのか殺害時のものなのかもはっきり書かれていない。
殺害が着衣で行われたのか、着衣なしで殺害されたのかも不明。

これらに見通しをつけるのは、「足のテープ痕」かもしれない。

足の拘束痕ありの報道は、共同と茨城新聞(共同系)・朝日で、残り主要紙などは口と手のみにテープ痕があるとの報道になっている。
事件発生初期には林道から遺棄地点へ遺体が投げ落とされたと考えられた時期があり、斜面を落下した際にできたとされる「すり傷」の報道が産経・時事にもある。すり傷の報道は、朝日05-12-6になると、「手足にすりむき傷のように表皮がはがれていた部分があることがわかっている。」となる。ところが、その後、遺棄現場の状況(木立が生える間隔、斜面角度、犯人足跡など)から遺体を投げ落としたとすることはできず、遺体が「置かれた」ことがあきらかになった。したがって「手足にすりむき傷」はできないことになる。手の「すりむき傷」はほんとうはテープを取った際、表皮が剥がれた痕だったわけで、それなら「手足のすりむき傷」は実はすべてテープ痕だったと考えられる。

「また、足首にもテープをはがすなどした際に付いたと見られる擦り傷があった。 朝日05-12-7」

そこで実際に足にもテープ痕があったらしいとなるが、足首のテープ痕はさらに突っ込んで考える必要がある。
有希ちゃんは事件当時ジーパンをはいていた。さらに、通常何もつけない手とは違って、足は最低冬用のソックスをはいていたはずだ。連れ去り時、犯人が足を拘束したとしてもわざわざソックスをひき下ろすなどして拘束する意味はないので、足首にテープ痕があるならば、犯人が連れ去り後、ソックスなどを取ってからテープで拘束した、と考えるのは不自然ではない。

そのことと胸の傷口に衣服の繊維などが残っていないことを考え合わせると、有希ちゃんは衣服を取られた状態でテープで拘束され、殺害された可能性が高いことになる。まあ、繊維の残っていないことは、洗われたため、とも考えられるが。

ただ、このような考え方をすると、拉致時に拘束はなされなかったのか、という疑問が生ずる。

93年事件の記事で拘束跡の記述が見られないのは、殺害時、拘束する必要がなかったということだろう。首を絞めるなどして意識を失わせていれば、殺害時に拘束する必要はないかもしれない。複数犯で、1人が押さえつけ役に回ったなどの可能性もあるだろうが、その場合は性犯罪がともなったり、手足に内出血跡が残ったりするだろう。


★犯人が同一とした場合、22歳成人殺害の後で7歳という小児の殺害に及ぶというのはおかしい、という考えについて。
犯行が性的なものである場合、性対象が22歳から7歳に落ちる、というのはかなり考えにくいが、犯行が単純な性的構造でないなら、それほど変な成り行きではないかもしれない。つまり、年齢はさほど関係なく、殺害そのものが目的あるいは性的目的であるような場合。その場合、22歳の体格が扱いにくかった経験から、扱いやすい対象に変更した、なども可能性としてあるかもしれない。

また、広島のヤギ事件が犯行に影響を与えたということは考えられる。ヤギ逮捕の翌日の犯行は、単なる偶然ではないだろう。93年事件の犯人は殺人を犯したいと日ごろ思っていたが、愚鈍なヤギの犯行を知り、それに対し「殺人とはこうするもの」ということを誇示するために、あえて同じ7歳の女の子を選んで犯行を実行したのかもしれない。この場合、ヤギ事件は単なる犯行の引き金でしかない。このようなよくある考え方でも、05年事件での犯行容態を説明できて矛盾がない。

また、遺体に残された傷を見ると、93年事件では傷が多い。05年事件では頭を殴られた跡と胸の刺し傷だけになっている。
これは一度犯行を経験し手馴れたため、という流れを想定してもおかしくはない。

93年事件の犯人は2005年時点でまだ30代もありえるだろう。

★両犯行ともに、ごく細い凶器で胸を集中的に突いている、ということから考えると、凶器の細さには肋骨の間を通す、というような極端な狙いがあったのかもしれない。これは被害者が裸で刺された可能性が高い、ということと整合するように見える。

産経08-1-13によると、93年事件は「殺害のされかたが、米映画の『氷の微笑』に似ている」と思われたというので、「氷の微笑」ではどんな殺害のされ方をされたのかあたってみた。「アイスピック」で刺され、殺害された、ということらしい。つまり、93年事件は捜査員にはアイスピックを連想させるような細い凶器での犯行という印象だったのだろう。このアイスピックという言葉は、有希ちゃん事件の凶器についても一度使われた。

「凶器は刃幅がかなり狭く、アイスピックに近い鋭利な刃物だったことも判明。」  東京新聞05-12-4

のちに、アイスピックという印象は訂正される。しかし、一時ではあるが両事件ともに「アイスピック」を連想させるほど、ごく細い凶器を犯行に使っていることはあながち偶然ではないのかもしれない。

★「法医学事件ファイル」の一部の記述には不明な点がある。
「死体には足の裏にもいくつかの傷があったが、これらは鑑定の結果、死亡後に首や胸を刺した凶器とは別のものによる傷だとわかった。」

「死亡後に首や胸を刺した凶器とは別のものによる傷」とあるが、極細の凶器で首や胸を刺したのは『死亡後』だったのか?
死因は胸を刺され、心臓が損傷したことによる失血死なのだから、「死亡後に首や胸を刺した」という語句が宙に浮く。

「首を絞めて意識を失わせてから胸、首などを刃物でめった刺しにしたのではないだろうか」という記述もあり、そういう想定では「死後の傷」にはならないだろう。とにかくどこか意味がうまく伝わっていないところがあることになる。筆者が法医学者であることを考えると、記述が厳密ではないことには首をかしげる。

まあしかし、「足の裏の傷」ということ自体もめずらしいのではないか。普通は傷をつける意味がない箇所だと思われるし、実際、殺人の際にそんなところに傷をつけている事例を、寡聞にして知らない。何のための傷だろうか。
真実はわからないが、ただ一つ頭に浮かぶのは、血抜きを試みてつけた傷ではないのか、ということ。


★93年事件の場合は遺棄現場にまったく血痕がなかったという。「血抜き」がなされたとすれば、この意味で、それは成功している。
茨城新聞によると、93年事件被害者の「体内の血液は半分以上が流出していたことも判明。」とある。一方、05年事件では、有希ちゃんの失血の程度はより大きそうで、遺棄までに遺体の血液のほとんどが失われていたことがわかっている。しかし93年事件とは違って、遺体や遺棄現場には少しの流血が見られた。

その遺体からの流血は、遺体を「横向きの体勢」で運んだことが影響しているのだろう。93年事件と同様に仰向け状態で運搬・遺棄されたのなら、同じように遺体にも遺棄現場にも、ほぼ完全に血痕は残らなかったのではないか。(ただ背中の傷からは少し血液が漏れ出ただろうが)また、恐らく遺体の運搬時間が長かったことも、流血量に影響していると思われる。

★「93年事件犯人=05事件犯人説」を採用するとあっさり謎が解けることがある。
05年事件で、「犯人はなぜわざわざ遠い茨城に遺体を遺棄したのか?」ということが難問になっているわけだが、答が簡単に得られる。その答は、
「一度茨城管内で同じように死体を遺棄して、まんまと成功したからだ」、となる。
犯人は再び茨城県警に遺体を渡したかったので、直線で65kmも離れたところまで労をいとわず運んだ。
もしそうであるとすると、犯人は茨城県警察の捜査力、筑波大の法医学力の「無能」を大いに評価していたわけだ。
一言で言うと、茨城県警を「あざ笑った」ということだろう。

05年事件の前年にも茨城県警は未解決力で大いに名を上げた。前にも挙げた「茨城女子大生殺害事件」だ。この事件も全裸で損壊された遺体が、霞ヶ浦に至る河口付近に遺棄された。ただ93事件とは犯行の様態が異なる。死因は絞殺だ。首を切り離そうとしたらしい首を一周する深い傷と、胸・腕周辺にいくつかの大きな切創があったとされるが、それらは死後の傷で、また「刺し傷」はなかったようだ。

★★★(事件3年半後の感想)
報道などで流通した情報から、矛盾する考えや不純な雑念を取り除く、という方向で見てみると、数少ない犯人候補(きれいな目とかキモオタロリコンとか)には矛盾があった。また、スレ上に示された犯人候補(ヤクザ親とか、「レイヤー」の言う電波つき男とか)は、不安を膨らませた妄想に近いものだった。どれもこれも厳しい検証のフィルターは通らなかった。

フィルターを通過する唯一の仮説が、「93事件犯人=有希ちゃん事件犯人」説だ。
無論、100%肯定できるものはないけれども。
なんと言っても事件間の年数が開き過ぎている。「性対象」年齢が極端に落ちている、ということもある。これらは決定的な否定要素ではないが、う~ん…と首を傾げたくなる材料ではある。

しかし、そんな心理的抵抗よりも、両事件の相似性による、同一犯への収束力は強い感がある。被害者の裸の胸を「ごく細い凶器で十数ヵ所刺して」失血死させ、「遺体を洗い清め」、「林道脇の見えるところに遺体を晒した」、そのように見てもいい人間が、いったい茨城近辺に2人も存在するのか?05年事件の犯人は93年事件の模倣犯ではありえない。93年事件は地元紙茨城新聞ではどのような扱いだったかは不明だが、読売、毎日といった全国紙では信じられないような小さなベタ記事で、まともな続報もなく事件報道は終わった。なぜかそのような状況であったので、事件の残酷さ・猟奇性がはなはだしいにもかかわらず、ネット上の未解決殺人事件のリストにも上がらないほど93事件は埋もれてしまった。そのような人知れぬマイナーな事件を、13年も後に模倣する人間などいないだろう。


有希ちゃんの遺体が、あのような状態で茨城県警管内に晒されたということは、うがった見方をすれば、93事件の犯人が発した、「わかるか、俺だ、俺なんだよ」というメッセージなのかも知れない。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年09月26日 21:23