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西海夫婦馬鹿善哉10

無事の帰還を祝う宴を早々に抜け出し、湯殿に飛び込むと、元親は半月分の垢と潮を大急ぎで洗い流した。
鴉の行水を終えて湯殿を飛び出し、今度は侍女の悲鳴を飛び越えて、身支度に取り掛かる。
整えても整えても跳ねるばかりの髪は端からあきらめ、代わりに衣装は洒落ものらしく、
白絹に藍の小袖を重ねて、銀糸を織り込んだ帯を巻く。眼帯も帯と同様の品だ。
姿見に映る美丈夫に満足してから、元親は意気揚々と妻の待つ閨に向かった。
冴え冴えと月光の降りそそぐ館の外廊下を、踏み抜く勢いで駆け抜ける。
遠くから宴席の陽気な賑わいが聞こえてきたが、これまでなら一晩でも過ごしたその場所に、
今はもう戻る気にはならない。
半月の間、港の娼家通いも我慢してようやく訪れた、久方ぶりの夜の営みだ。
今夜はどうしてやろうかとほくそ笑みながら、何度目かの角を曲がる。
だが、数歩進んだところで、突然足の下から床の感触が消えた。
水面に足を下ろしたときのように、がくん、と体が沈みこむ。
「うお!?」
間一髪、床板にしがみついて落下は免れた。
慌てて辺りを見回せば、果たして元親の足元から三尺四方ばかりの板が、きれいに消えてなくなっていた。
観音開きの要領でぽっかり開いた穴は深く、元親の長身でも底に届かない。
下はどうなっているのかとふと気になったが、怖くなったので途中で考えるのはやめにした。
滑る板に爪を立て、腕の力だけで何とか這い上がり、廊下に座り込んで一息つく。
それから元親は、にやりと笑って月を見上げた。
半月前通ったときには、家の中にこんな穴などはなかった。
先ほどといい、どうやら妻の現在の自分的流行は、落とし穴らしい。
こないだまでの炸裂弾に比べりゃ、今度のは随分かわいい罠じゃねえかと、多趣味な妻に和みながら、気合を入れて立ち上がる。
元親の足元で、またもや床板が消失した。

長曾我部と毛利の同盟により、実質西海は平定された。
武力、知略、財力ともに国内有数となった両国に、対抗する勢力は皆無に等しい。
あの織田、豊臣さえ、今は静観するのみだ。
同盟より三ヶ月も過ぎたころには、戦国の世にありながら、西海から戦火はすっかり消えうせていた。

だがそれは同時に、元就が丹精こめて練り上げた罠も、元親が情熱と国力を傾けて作り上げた重機や火器も、活躍する場を失ったことを意味していた。

領主としては万々歳の結果だ。戦はないに越したことはない。
しかし西海の平和は、戦略と軍備を愛する二国の領主に、多大な欲求不満を強いる結果となった。
だからといってわざわざ戦を起こすほど馬鹿ではない。
それに、突き詰めれば本当は戦がしたいわけでもない。
ただ自分たちの趣味とこだわりを、憂いなく発揮したいだけだ。
ただそれだけだが、平和な世においてはこれほど難しいことはなかった。
持っているだけでは満足できず、試し、見せびらかし、高め、どこまでも追求したい。
果てなく悲しきオタク道。
二人は、国を平定する領主であると同時に、あまりに趣味人だった。
だが、西海と二人にとって幸いなことに、元親と元就は伴侶であると同時に、互いの趣味をこの上なく理解し、またぶつけあうことができる格好の、好敵手だったのだ。

かくして新婚の館は初夜から、罠と光弾と炎と爆薬と重機と剣戟が飛び交う、戦場と化すことになった。

三度目の落とし穴を辛くも突破し、だんだん手の内が読めてきたと機嫌のいい元親が
五つめの角を曲がった途端、懐に黒いものが飛び込んできた。
わっと叫んで飛びのくと同時に、黒いものもわっと叫んで後ずさる。
月明かりにぼんやり浮かぶ影を睨みつけ、だがすぐ元親は隻眼を瞬かせた。
「なんだお前ら、こんなとこでなにやってんだ?」
「兄貴こそ!……いや、こりゃ野暮ですな」
暗闇の中、頭を掻いているのは、先ほどまで宴席にいたはずの部下たちだった。
全員、酔いで赤くなった髭面に落ち着かない目を泳がせている。
よく見れば、中の一人は肩に、こちらは青ざめ、ぐったりとした男を担いでいた。
妙に身を縮こまらせた部下たちを見比べ、腕を組むと、元親はあきれ返った苦笑を浮かべた。
「お前ら元就の刺身、つまみ食いしやがったな。食うなっていっただろ」
「すみません。姉御のお手製って言葉に、ついこう、指が動いちまって」
「でもみんなで一切れずつっす」
なのにこいつだけ当たっちまって、と揺すり上げられた男は、焦点の合わない目で元親を見上げ、それでも殊勝に頭を下げた。