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花影ワヤン4

ため息をつきながら、政宗は書房にある文机の前に座った。行儀が悪いと分かりつつ頬を机に預ける。
「元気ないね。どしたの」
蝙蝠よろしく佐助が天井裏からさかさまになって登場する。悲鳴を上げる気力も沸かず、
政宗は顔を向け、よお、と手を上げた。
「帰還早々、屋根裏警備か。ご苦労なこったな」
佐助はくるっと宙で回転し、書房の床に立った。犬のように手足をまとめて座り、政宗を見上げてくる。
「忍びの習性っていうか職業病っていうか。変わってないか確認しないと気持ち悪いんだよねー。
――で、どしたの? 帰還早々喧嘩でもした?」
「……拒まれた。それだけ」
佐助から顔を背け、政宗は机に顔を寄せる。
佐助は目をぱちくりと瞬かせると、視線を文机の隣にやった。
物凄い量の本がある。孫子と六韜、それに源氏物語。
「何これ? 旦那の本……もあるし、昌幸さまのもあるし、これは……源氏物語?」
「……奥の箱から引っ張り出して読んでた。なんかしてないと、落ち着かなくて。――笑えよ」
ひらひらと手を振って失笑を促すが、佐助はちらりと見ただけですぐに視線を書の山に戻す。
孫子に六韜に源氏物語のフルセット。百冊はあるだろうか。
「源氏物語なんてあったっけ」
「あったぞ。割と古かったな。写し直ししておいたぜ」
佐助は口笛を吹いて感心する。行儀悪いなぁと政宗は顰め面を作った。
何かしていないと落ち着かなかった。執務といっても、上田のことは勝手が分からず
下手に手を出せない。現状維持に努めたためあまりすることがなかった。
時間が空いてしょうがなかったので、沢山本を読もうと思った。しかし真田の書房にあった本は
全部読んだことがあるものばかりだったので、すぐに飽きてしまった。そこで古くなっている
本を新しく書き写す、という作業を行った。
書房に籠り過ぎて季節の移り変わりに気づかなかった。いつの間に桜は終わったのだろう。
折角、幸村と桜を見る約束をしていたのに。
幸村に上田の桜のことを伝えようにも、知らないのだから伝えられない。どれほど美しいのか。
どれほど妖しいのか。聞いていたというのに。
「可愛いことするねぇ。おにーさん気に入っちゃったぁ」
政宗は顔を上げ、生気のない顔を佐助に向ける。佐助はにっと笑っている。
「前から気になってたんだけど、お前いくつなんだ? birthdayとか知ってるのか?」
「ええー、生年なんて俺知らないよぉ。だってぇ、生まれた日とか時間とか分かってるとぉ、
呪術に使われちゃうしー」
「聞いた俺が莫迦だった……」
佐助は本を閉じて積み上げた。寝る前に読もう、と孫子を懐に入れる。
「旦那、結構気にしてたよ。桜の季節に間に合わないって」
「……それで焦って、上杉に突っ込んだりしてねぇだろうな」
「うちの旦那はそこまで莫迦じゃないですってば。一番槍を務めるって騒いでたけどさあ、
結局戦らしい戦しなかったし」
「そうか」
政宗は顔を文机に落とした。
ひたすら本を読んでいたはずなのに、何を読んだのかまるで覚えていない。目の前にある
本の山は全部自分が書き写したもののはずなのに、何を写したのか思い出せない。ずっと上の空だったせいだ。
何か夢中になっていないと、心が潰れてしまいそうだった。眠れない夜の方が多かったし食事の量も減った。
一緒に行けばよかった。戦場で妻が夫に従うのは、珍しいが非常識な話ではない。
正室を武田家中から娶っていない幸村の立場は微妙だった。
お館さまの意思に背こうとしているのではないか、という噂すらある。
そんなときに自分がでしゃばれば、幸村の立場が益々危うくなる。そう判断しての留守居役だった。
すぐに後悔した。
待つという行為はとても辛い。前田や織田の奥方が戦場で夫を助ける理由が分かった。
大切な人の無事をすぐに知りたかった。共にありたかった。
それほどまでに待ち望んだ再開なのに、幸村は沈んだ顔をしていて無事を素直に喜んでくれない。
会いたくなかったのではないか、と思えてくる。
花影ワヤン5