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道化の手記

道化の手記


 表紙と裏表紙になめし革を用い、開閉する金属の輪で閉じられた手記。
 表裏の表紙の間にある紙は疎らで、恐らくは必要になった時、適宜枚数を増やしていく形式のものなのだろう。
 間に挟まれた紙は余り上等とは言えぬ羊皮紙で、其処には堕落世界のものとは似ても似つかぬ文字が連なっていた。


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手記
覚書

狂骨歌・回風



幽谷に、花一輪と岩燕
舞い上がる、薄絹に映ゆ朧影
手を伸ばし、掴むは儚き砂細工
空を駆け、疾るは真白き雲の峰
からからと、廻る風車が告げるのは
蒼天に、吹きし別れの渡り風。誰ぞ唄いし声響く
岩燕去り花は散り、残るは深き谷ばかり


カテゴリ: [覚書] - TrackBack(0) - 2007年04月05日 21:33:21


死者の呼び声



  死者は、何も語らない。
  生前、彼ら彼女らが何を想い、何を考え、何を大事にしていたのか。
  生き残ったものに、死者達が何を望んでいるのか。
  それら全ての一切を知る術は既に無く、そして彼らに生者の声が届くこともない。
  それ故の死だ。

  だから、生きている人間が死者の為にすることは、実のところ死者の為ではない。
  それは、生者の為だ。
  祈りも、懐旧も、追悼も、回想も、謝罪も、そして忘却も――全ては、生者の為にある。

  何故ならば、死者が生きる場所はもう、生者の中にしか無いのだから。
  それは幻想と、本物とは違うものだと、そう知りつつも人は己の中の死者のイメージに囚われ、多くの場合そのことを忘れる。
  そして、己の行動に対し、そんな己の中の死者を通して自己へと向けられる問いかけ。
  それこそが、不意に生者を絡めとり、時に足を止めさせようとする死者の呼び声の正体だ。

  これを乗り越えられるかどうかは、言ってしまえば、己との戦いでしかない。
  そしてそれ故に、勝つことも負けることも酷く難しく――だからこそ、目を逸らさずに結論を出さなくてはならない。
  勝ったにせよ、負けるにせよ、それが己にとってのその『死者』の重みということなのだから。
  その重みを受け止めて、初めて人は死者を過去と出来るのだ。


     記すべき名は無し、故に無名


カテゴリ: [手記] - TrackBack(0) - 2007年04月05日 21:27:48


偽り



  偽りとは、真実を隠す行為である。
  逆に言えば、善でも悪でもなく、ただそれだけのことでしかない。


     記すべき名は無し、故に無名


カテゴリ: [手記] - TrackBack(0) - 2007年04月05日 21:26:21


出会いと別れ



  人は常に出会いを続けている。
  他者とではなく、己と。
  そして同時に、人は常に別れ続けている。
  他者とではなく、己と。

  例えば、Aという事象があったとし、その事象のことをまったく知らない人間が居たとしよう。
  しかしある時、その人物はAという事象のことを耳にし、知識として得たとする。
  その瞬間、「Aという事象を知らなかった人間」は消滅し、其処には「Aという事象を知っている人間」が新たに生まれることとなる。
  無論これはある種の比喩であり、実際にその人物が消滅と新生を行なったわけではない。
  しかし、Aという事象を知る前の人物と知った後の人物がまったく同一の存在かと言えば、これは確実に否だろう。

  ある状態の「我」はその一瞬しか存在し得ない。
  人が常に移ろい行く存在である以上、これは避けられないことだ。
  しかし、だからこそ。一瞬しか存在しない我だからこそ。
 人は、それを仕方ないと諦めるのではなく、その瞬間瞬間を最高のものにすべく意識し努力していくべきだろう。
  それこそが既に過ぎ去ってしまった「我」への手向けであり、これから出会っていく「我」への礼儀でもあるのだから。


    記すべき名は無し、故に無名


カテゴリ: [手記] - TrackBack(2) - 2006年07月01日 13:38:19


輝けるもの、必ずしも金ならず



  本当に大事なものとは、それを見聞きするだけで誰もが納得するような、はっきりとしたものばかりではない。
  それは、余りに身近過ぎて普段意識すらしないような、『普通』の中にも確かに存在するのだ。


    記すべき名は無し、故に無名


カテゴリ: [手記] - TrackBack(0) - 2006年06月05日 18:35:35